第15話・欺瞞教師

 5~6年になると、担任教師はスミガマという坊さん先生に変わった。名は体を表す、の言葉通りに、ガマガエルを思わせる巨大な唇と、分厚い肩を持った、レスラー崩れのような巨躯の50男だ。彼は、河合先生ほど暴力的ではないものの、やはり軍隊式の規律と上意下達を好んだ。そのやり方は極めて独裁的で、戦争終結から30年を経たこの時代、年配の教師といえばこの手の「ブルドッグ軍曹」ばかりだった。「私は万能者であり、生徒たちは私の命令に従ってさえいればよい」風の勘違い教師が、日本中を跳梁跋扈していたのだ。つくづくうんざりさせられる。その一方で、スミガマ先生はむやみに教育熱心で、日本政府の推し進める間違っちゃった戦後教育の権化だった。毎日毎日、テストテストテスト、毎日毎日、宿題宿題宿題・・・詰め込みこそが教育の正解である、と信じているのだ。知性や、個々の人間性、学びの感動といったものを完全に追いやったそんなやり方は、「先生がラクをするためだ」と、当時ぽわ~んとうわのそらな子だったこのオレにさえ察しがついた。

 スミガマ先生のやり方はこうだ。毎日毎日、翌日に行われるすべての授業に、膨大な予習と復習の宿題を課す。その宿題を生徒たちは、スミガマ考案の様式化されたノートへの書き込みで消化しなければならない。そのノートの文字数が、翌日の宿題チェックによって数値化されて評価となる。つまり、ノートが文字で埋まっているかどうか、だけが評価の対象だ。毎日の昼休みに、すべての生徒のすべての教科の宿題ノートが、あまさずチェックされる。スミガマ先生自らが、それらを一瞥し、ノートのすみに「3」だの「10」だの「1」だのと10段階評価の得点を書き込んでいくのだ。ノートがたくさんの文字で埋まっていて黒ければ、高得点が期待できる。一方、宿題をやってこなかった者は、ゲンコツを頂戴することになる。各ノートを1秒程度で確認しての主観評価なので、内容や理解の密度は関係ない。質より量。まったくバカバカしいやり方だ。この教師の暴力は、ビンタではなく、「勉強の大食い」という重いストレスだ。双方は、愛が存在しないという点で共通している。が、スミガマ式は、現代につながる薄っぺらな受験テクニックをいち早く取り入れていたわけで、まったくアッパレな姿勢ではあった。

 毎日のように行われるテストも、バカバカしい儀式だ。スミガマ先生は、授業で自分が話すことを丸暗記させ、ノートの取り方にマニュアルをつくり、その様式がきちんと取り入れられているかどうかをテストで確認する。翌日に返ってくる答案用紙には、正解の点数の他に、彼が満足のいく回答内容だったかどうか・・・すなわち、自分好みの型にはまっているかどうかの習熟状況が、10段階評価で添えられている。このやり方で、オレは勉強が大嫌いになった。ついでに言えば、オレは宿題もほとんどやらなかった。学校の授業時間以外は、教科書など開きたくないのだ。そんなことをしなくても、全部わかっている。家で勉強をしたことなど、皆無と言っていい。画を描くのに忙しくて、そんなヒマはない。天才だし、勉強など必要ない。そもそも、この教師の授業に中身がないことは、子供ながらにはっきりとわかっている。彼は、彼自身の評価のために、生徒たちの評価を飾りつけたいのだ。そんな底が知れているために、授業を聞く側は、まったくしらけたものだ。

 この教師の処置にはまったく苦労させられたが、そんな嘆きではすまされない、ある「事件」が起きた。オレの作文が評価され、「全国コンクール」に応募されるとなったときのことだ。学校を代表する栄誉に、幼いオレは大喜びし、家族も栄誉に浴した。ところが翌日、スミガマ先生からひとつの作文を手渡される。

「こんなふうに書き直しておいたから」

 コンクールに応募する「杉山くんの作文」だという。読んでみると、驚いたことに、オリジナルの作文とはまるで違ったものになっている。書き直すどころの話ではない。完全に別物とすり替えられているのだ。しかもその内容が、つまみ食いをして見つかってしまい、反省しました、などというくだらないものなのだ。大人ウケ(あるいは「審査員受け」と見て間違いない)しそうではあるが、冗談ではない。オレはおずおずと抗議をしにいった。ところが、欺瞞教師は自信満々にこう言い放つのだ。

「じゃあ、おまえの書いたものと、先生の書いたこの文章と、どっちが面白いか、クラスのみんなに訊いてみよう」

 まったくひどい話だ。子供の作文と、国語教師が書いた作文とを読み比べ、出来を子供たちに判定させようというのだから。しかし、受けて立つしかない。こうして、ふたつの作文が国語の時間に披露されることになった。

 その日がやってきた。オレの書いたものが読まれる。クラスのみんなはじっと聞き入ってくれている。拍手が起きた。が、スミガマ先生の書いたものが読み上げられたとき、大爆笑がわき起こった。ちゃんとウケるように面白おかしく書かれているのだ。そして作文の最後で、作者であるオレが反省していい子になり、引き締まる内容となっている。なるほど、うまいものだ。文章とはこう書けばいい。先生は満足そうな顔でこちらに視線を送ってくる。吐き気をもよおすような醜悪な顔だ。

 その後、挙手での投票があり、圧倒的多数で「スミガマ作品」がコンクールに送られることになった。オレは、国語が大嫌いになった。

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