〇三三 冥 獣

「……ん、あれ? ここってどこだ……?」


「おーー、起きたか少年。身体の調子はどうだ?」


 六花りっかさんに尋ねられた僕は、反射的に自分の胸を触る。心音と鼓動を確かに感じた。やっぱりあれは夢じゃなかったのか。

 周りを見回すと、元の芦屋公園だ。ベンチに寝かされていたらしい。

 倉持という刑事が黒塗りの牛車の車輪を、車のトランクに入れている。

 それに黒いパンツスーツを着た女性が、倉持さんと何か話している。あの人も公安庁F課の人間なんだろうか?

 そうだ、涼子さんは……? いた。こっちに背中を向けて表情は分からないけど、とにかくお礼を言わないと。


「涼子さん、僕のことあの世まで来て助けてくれたんですよね。ありがとうございます!」


「うん、無事でよかった」


 涼子さんはそっぽを向いたままだ。よく見ると前に黒い子猫を抱いている。


「それより体調はどう? まあ私が蘇生させたから大丈夫か」


「感謝してやれよーー、少年。涼子は自分の夜叉の力を、君の魂に補填させて吹き込んだんだから、口移しで」


「え!?」


「なっ、なんで言うのよ六花!」


「だってーー、隠すことでもないしーー。せっかく涼子が純潔を捧げた、ファーストキスなんだからーー」


ちーがーうーーっ!!」


「そ、そうなんですか? でもなんかさっきから僕の口の周り、猫っていうか、魚臭い……」


「失礼ね! 私は猫臭くも魚臭くもないわよ!!」


「……それじゃやっぱり……!」


「だからそれはそうじゃなくて!」


 右手を振り上げて涼子さんが否定する。僕はなんだか意識が朦朧もうろうとしてきた。

 鼻の下、それから唇、あごにかけて、何か熱いものが垂れてくる感覚があった。思わず触ると手のひらが真っ赤に染まっている。


 …………え!?


「――――な……っ、なんで鼻血なんか出してんのよ、変態!!」


「ち、違います。ちょっとのぼせて……」


「少年、往年の『なんじゃあ こりゃあ!!』かーー?

 多分、注入された魂とか生命力がちょっと多かったんだろう。大丈夫、鼻血って出切っちゃえば止まるから」


「それだと帰れないじゃない。ほら、鼻に詰めなさいよ」


 涼子さんにもらったポケットティッシュを、左の鼻穴に詰める――だめだ、鼻からのどに熱いのが流れてくる。


 ――――ごくっ  ごくっ  ごくん


 反射的に喉を鳴らして動かした。


「あなた、ひょっとして出てる鼻血飲んでるの? バカじゃない!?

 六花,洗面器とかボックスティッシュないの?」


 六花さんは夜叉の浄眼から、薬局の黄色い洗面器と大量のティッシュを出してくれた。


「うん、ある。少年、ファーストキスの味はどうだった?」


 六花さんは変な笑顔のまま僕に尋ねる。


「なんていうか、猫っていうか魚のにおいが――――」


「だから、キスしてないし、そもそも魚臭くない!」


 薬局の大きい洗面器(確か関東仕様だ)にティッシュを何枚も敷く。

 鼻に詰めたティッシュを取ると、血がぼたぼたと垂れて洗面器が真っ赤に染まった。


「もう、さっさと止めなさいよ」


「そ……そんなこと言ったって……。

 ば、ばくしっ!」


「なんで鼻血出しながらくしゃみできるのよ!?

 キャーーーー! 手に血がついたーー!! きーたーなーいーーーー!!!」


「ず、ずびばぜん……。はいティッシュ……」


「なんで血がついた手で出せるのよ! このバカ! ヘンタイ!!」


     ぼぐゎっ!

               がふっ!!


「あらあら、仲がいいわね。倉持君、なんか昔を思い出すなあ」


「そうか? 俺はあんなドジじゃない」


「誰も倉持君がそうだったなんて言ってないじゃない。しょうがない、他の車を手配するわ。今後のことも含めてご家族とも相談しないとね」


「状況は良くないぞ。強力な妖魅『ぬえ』が虚神やつらの手に渡った。

 雷と風の属性を持つ鵼は、彼女と一番相性がいいはずの『御滝水虎おんたきすいこ』にとっては天敵とも言える。他の戦力を拡充しないとな」




 僕は涼子さんにぶっ飛ばされながら、右の鼻穴からも血が流れだすのを感じていた。

 公園の冷たい地面と、体温よりも熱い血が流れるのを同時に感じる。

 少し離れた所で、六花さんがげらげら笑っているのが、なんとなく聞こえた。

 今日何度目になるかわからない、意識が薄れていくさなか、僕は……

 『しょうがいざい』って漢字でどう書くんだっけ、と頭の片隅で考えていた……。




   ***




「そうですか、清楽きよら秋子さんと言うんですか。いやあ、公安庁F課にも美人さんがいるものですなあ」


「恐縮です。ですが、仕事は顔でするものではありませんから」


「いやいや、こんな美人なら協力者も多いでしょう。無論わしもですが」


「ありがとうございます」


 F課の刑事清楽さんは、おじいさまに出されたお茶を一口飲む。そのたたずまいを見ているおじいさまの鼻の下は、伸びっぱなしだ。全くもう。


 『ぬえ』と交戦したあと『火車』と契約を終えた私たちは自宅へ帰った。

 岳臣君は(私が反射的に殴ったので)気絶したまま鼻血が止まらなかった。

 苦肉の策で洗面器とティッシュごと顔と一緒にラップでぐるぐる巻きにした。

 その上で毛布で梱包する。車の中もビニールで養生、保護して、何とかレンタカーを汚さずに帰ってこられた。今は鼻血も止まって客間で寝ている。人の気も知らないで平和な寝顔ね。


「少年は落ち着いたみたいだね、涼子」


「うん、一応の責任は私たちにあるからね」


「『私たち』じゃなくって涼子が、ね」


「なんで私が――――」


 六花がまぜっかえすから、私が言い返そうとしたら清楽さんが咳払いをした。


「コホン。で、彼、岳臣遊介君ですけど、何か特別な関係なのかしら?」


「そうだよ」「違います」


 六花と私が同時に答える。


「いわゆる、友達以上恋人未満」「単なる同級生で、友達以下です」


「友達以下はかわいそーーだろーー? キスした仲なんだしーー」


「キスしてないし、友達じゃない!」


 また言い争いになりかけたとき、清楽さんは手をぱんと打つ。


「そこのところの線引きはそちらでして。今後彼が危険な目に逢わないようにこれを渡しておきます」


 アタッシュケースを私に差し出す。


「これから先、望む望まないにかかわらず、彼が虚神ウツロガミに襲われる可能性は高いはず。貴女あなたが強化して彼に渡してください。

 六花さん、強化方法を教えてあげて」


 有無を言わさぬ口調に、私はただうなずくしかなかった。黙ってアタッシュケースを受け取る。

 とそこへふすまを開けて誰かが入ってきた。


「この男のこともいいが問題は『鵼』じゃな。奴らに奪われた上に、どう使われてしまうのか、考えるだに恐ろしい」


 その姿は、切り下げたきれいな黒髪に黒い和服のほっそりした美人だった。目元は切れ長の糸目。

 髪飾りとして直径8cmくらいの黒い木製の車輪を着けている。見た目は20代前半くらいだけど――――誰?


「『鵼』は古くから在る強大な妖魅じゃ。まあ私ほどではないがニャ」


「え、もしかして『火車』?」


「もしかしなくても『火車』だニャ」


 言いながら『火車』はネコ耳を出してぴこぴこと動かす。


「ああ、これは本物だニャ。外側は撫でてもいいが、内側のみみげは こそばゆくてかなわんので触ってはいかんニャ」


「やらないです。っていうか何普通にお酒飲んでるんですか!」


「ああ、仏壇前に供えてあった。仏の前に供えてあるということは私に供えたと同じことニャ」


 都合のいいことを言いながら、客用の平湯呑みで日本酒を手酌して飲んでいた。

 ちなみに銘柄は山形県産のお米、つや姫を使った純米吟醸『出羽桜』。確か以前倉持刑事が、おじいさまに付け届けで送ったものだ。

 一升瓶がすでに三割ほど減っている。


「一緒に呑むかニャ?」


「遠慮します」「うんもらう」


 また私と六花が同時に答える。全くもう、おじいさまはとっくにどこかへ行ってしまうし。私は聞くべきことを聞こう。



「そうだ、清楽さん。虚神ウツロガミについてあなた方はどこまで知ってるんですか?」

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