〇二七 摂 津

「なんだよ、せっかく遊んでやろうと思ったのに、夜叉姫が二人ともいないのかよ」


 魔少年ディクスン・ドゥーガルは、廃ビルの上から下を眺めて不機嫌そうにつぶやく。


「ふふふ、誰からも構ってもらえんでねておるのかのう? せっかく新しい造魔をやしたのにな。

 どうする? お前ひとりで虚兵ウツロへいを駆って人間を襲わせるか?」


 黒いローブの奥でくぐもった笑いが響く。虚神の首魁の一人、老科学者ヴェーレンだ。


「そうすれば、留守にしておる小娘どもも来るやもしれぬな。両手に華か、枯れた年寄りには荷が勝ちすぎるが、お前のような若いのには向いているやもな」


「へっ、うるさいよ。奴らはどこにいるって?」


 少年は手に掛け軸を抱える。


「西の方だ。新たな獣と主従の契りを結ぶつもりだな」


「じゃあこっちから出向いてやるよ。うまくいけば手持ちが増えるしね」


 少年が手をかざすと、廃ビルの屋上にどす黒いウロが出現した。


「土産を楽しみにしといてよ、じゃあな」


 返事も聞かずに少年は洞に潜った。


「ふふふ、新たな獣と契約する、その時が好機」




   ***




「涼子? またふてってる。そんなに眉間にしわ寄せてるとせっかくのびしょうじょが台無しだって」


 六花りっかが吊り革につかまりながら、長いシート席に座る私を見下ろしながら言う。誰が原因で、機嫌悪くなってると思って。

 私は目を閉じて無言で唇を突き出した。


「それにしても、やっぱり阪神鉄道はいいですね、乗れてよかった」


 鉄道も好きらしい岳臣たけおみ君が誰に言うでもなくつぶやく。私としては着ければそれでいいな。電車は電車だし。


「そこはまあ、二班に分かれて行動ってことで。『アンコ』は京都からは別行動ってことでひとつ」


「あんこ、って?」


「ああ、倉持刑事のこと。私がアンコって呼ぶと必ず『安吾あんごだ』って言い返すから」


 私は新幹線に同乗していた、背の高い刑事のことを思い出す。今日はなんとなく口数が少なかった。


「兵庫県の北西部で調べものがあるって言ってましたね。もっとも僕には詳しくは教えてくれませんでしたが」


 そうだった、私も去り際に一言言われてた。『何かあったら二人を頼む、三滝さん』と。

 やはりおかしい、いつもなら、ちゃん付けで呼ぶとか子供扱いしてくるのに。問いただそうかとも思ったけど、なんとなくはばかられた。


「やっぱしご当地の『いなかのおかあさんしっとりしたクッキー』はおいしいねえ。抹茶の苦みがこのやわいクッキーの味を引き立ててるわ」


 重い車内の空気を変えようとしてかな。電車の中なのに、六花が買ったばかりの土産物を開けて食べだした。


「少年、『食うかい?』 あとお母さん方もどうぞ」


 六花は必要以上に明るく振る舞って、初対面のおばさんたちにもお菓子を差し出す。主婦たちはとまどってたけど、お菓子を受け取っていた。


「ほら、涼子も」


「……うん」


 曇天模様の空の下、電車は南西、瀬戸内海に向けて進んでいった。




   ***




「ふう、ようやく着いた。ここが鵼塚ぬえづか?」

 私は辺りを見回す。閑静な住宅街の中に松が生えた公園があった。すぐ近くにはごく細い小川が流れている。


「そうですね、正式には芦屋公園の一角になります。で、ここが鵼塚橋です。

 おさらいになりますけど、京都で打ち倒された鵼の亡き骸は、死してなお悪疫あくえき、死病や災いをまき散らしたそうです。

 人々は災いが自分たちに起こるのを恐れて、鵼の亡き骸を丸太舟に積んで流しましたけど、行く先々で亡き骸は悪疫を呼び寄せました。

 最後にここに辿りついた亡き骸を、住人たちは祀って災いを起こさないように塚を建立して、ようやくこの妖魅の呪いは収まったみたいですね」


「なるほど」


 岳臣君の解説を聞きながらくだんの塚を見ていた。

 今岳臣君が説明したのは一般に流布るふしているのだろう、立て看板にはほぼ同様の記載があった。


「へーー、大阪港の紋章にも使われてるんだ。でもこれ見ると怪獣ってなってる。

 しかし、すごい存在力だね。こうしてるだけで浄眼がピリピリくる。

 んじゃ涼子、契約しよっか。これが成功すれば、妖具化ぐるかできる妖魅は合計三体になる、戦力アップ間違いなしだ」


 私は無言でうなずく。


「え? 今からですか? 人通りはそんなにないですけど、公園だから人目は結構ありますよ」


 岳臣君の意見ももっともだ。鎌鼬の時は人気ひとけがない神社だったから気にしなかった。

 でも、こう人目につくところで夜叉の浄眼を展開したり、妖魅との契約をするとなると、周りの視線はどうしても避けられない。


「ふっふっふ、こんなこともあろうかと」


 六花は左腕を前に突き出す。半透明の浄眼がおぼろげに見える。


「海が近い所で助かったわーー。でないと効果が薄れるからね。

 妖魅顕現!」


 六花が文言を唱えると足元になにか巨大なものが現れた。

 体長3mほどのそれは、体中がウロコでおおわれていた。ワニのような胴体だが首は長い。


「これって、龍、ですか?」


 六花が得意げに指を鳴らすと、口が開いた。極彩色の霧を噴き出す。


「わっ! なんですか、これ? ひょっとしてこの妖魅、『蜃気楼しんきろう』?」


「正解! 少年、特別サービスだ。君にも見せてやるよ。夜叉姫に不可能はなーーい!」


 霧はさらに深く濃くなっていく。私は思わず目を閉じた。




「えっ!? わっ! うわわわっ!! これ、落ちないんですか!?」


「心配性だな少年は。なにごともなーーいだよ」


 私はこわごわ目を開ける。


「何も、変化ない……?」


 辺りを見回す。と、先ほどとは明らかに違う変化が分かった。

 見上げると上空3kmほどに陸――――もう一つ世界があった。


「ぼ、僕らが浮いてるんですか!? この妖魅って幻覚を見せるんじゃないんですか?」


「いや、なんて言うんだろ……この世とあの世の境目の一つにいるって感じかな。

 言うなれば3,2次元くらい? ああ、時間はずれたりしないから。

 んじゃ涼子、契約して」


 私は無言でうなずいた。頭上に今いる地面と同じく陸が広がっているのになんとなく居心地の悪さを覚えつつも、ブレザーの右袖を外した。強く念じると夜叉の浄眼が展開される。


       バチッ    バチチチチチ


 そのまま、浄眼に力を注ぎ込むと、私の周りが帯電しだした。岳臣君は雷に当たらないように後ろに下がる。


「いいぞ、もう少しで顕現する。あとは――――」


          バァン!


 六花の話を断ち切るように雷が彼女の足元に落ちた。六花は後ろに飛びのいてかわす。


「こいつは……ちょっと想定外かな……!」


 確かに、鎌鼬のように猫か狐くらいのサイズだと思っていた私にとってもかなり想定外だった。


「岳臣君、どこかに隠れて」


 私は声をかけつつ浄眼に力を込める。



「………………グロロロロロロ………………!」



 夜叉の力でこの世に顕現した雷獣 鵼。

 その身の丈は2mを優に超えている。明らかな警戒と敵意を私たちに向けてきた。

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