〇二三 虚 魔
「くそっ! 夜叉姫は一人だけじゃないのか!? なんだって二人もいるんだよ!!」
建設途中で資金調達が困難になり打ち棄てられた廃ビルの中。
その場にいるのが不自然な、8歳ほどの体格の少年がいた。
小柄な少年は、溶剤が入っていた一斗缶を苛立ち紛れに蹴り上げる。砂埃が舞う無機質な空間に耳障りな音が響いた。
ガラン ガラン ガラン
「おまけに
両手持ちでドラム缶に振り下ろす。ドラム缶が薄紙を破くように真っ二つに切れる。
二つ三つとドラム缶を撫で切りにするが、手応えがない分、かえって苛立ちが募っていった。
「ふふっ、随分とご機嫌斜めね。
言うまでもないけど、虚神と夜叉姫『鬼の一族』に連なる者達とは遥か昔から戦ってる。あなたが逢ったの一人だけじゃないわ」
不意に暗がりから影の部分が膨れ上がり、中から含み笑いを込めた声が響いた。
「なんだ、お前か
「知ってるも何も。例えて言うならね、『一番殺したい最愛の人』かしら」
「なんだよそれ、わけわかんないよ。鬼の一族だか何だか知らないけど、順ぐりに殺していけばいいだけの話だろ。
そんなことより、僕に何か用か?」
現れたのは、長い黒髪に赤い扇情的なドレスを身にまとった、蠱惑的な女性だった。
血のように赤い唇の端を吊り上げ、魔少年に微笑む。
「用事がなきゃ
「付き添いって誰だよ?」
少年が問いかけると、それに応えるようにコンクリートの粉末が一か所に
そこから顕れたのは、漆黒のローブを身にまとった男だった。
「
古くから鬼は
人間どもの研究の一端では、地域土着の旧き
が、こんな説もある。
心理学の
集合的無意識から発現した、形而上のモノとする説もある。
占星心理学では、土星、すなわちサターン。クロノスとも言うな。
ギリシャ神話では父神、
「なんだあんたか、ヴェーレン。
そんな講釈するために、わざわざ
「まあそう
「ああ、そう言えば頼んでたっけ、今度のは大丈夫だろうな?」
「それはこちらの台詞じゃよ、小僧。
せっかくの巨大虚兵
可愛い息子に先立たれる苦悩がお前には解らんか?
まあ陣地遊びに興じている
厚いフードの奥で
「そんなに大事な息子なら、もっと教育に時間をかけろよ」
少年が減らず口を返すと、ヴェーレンは細長い腕を口に当てキチキチと
「おや、これは一本取られたかの。ところで、小娘の名前はなんといったかの?
今一度確認しておこうか」
「確か、ミタキ リョウコ、だよ。どうしたんだ? 夜叉姫は夜叉姫だ。名前なんてどうでもいいだろう?」
「んん? いや少し気になったのでな。では次は儂が現地に赴くか。
子に先立たれんよう親が監督せねばな」
上体を小刻みに揺らすヴェーレンを、少年は追い払うようなしぐさで拒否した。
「余計なお世話だ。あの夜叉姫は僕が倒す。で、新しい虚兵は出来たのかよ? 爺さん」
「おお、まだ出来上がって間もない。
なみなみと注げば、小娘に遅れを取るようなことはあるまいて」
「それを聞いて安心した。さっそく補充に行くよ」
「大丈夫? もし不安ならそっちに付き添いに行くけど?」
「だから子供扱いするなって言ってるだろ。もらうものはもらった。じゃあな」
少年は何の躊躇もなく20階もの高さの工事現場から飛び降りる。そして地面に着地することなく何処かに掻き消えた。
「大丈夫かしらね、あの子」
「ふむ、新たな夜叉が目覚めたことで
虚神の老科学者、ヴェーレンはフードの奥で
「ここで三滝の名を聞くとはな。やはり
***
「こんにちはーーーー、おじゃましまーーす」
「――――なんだ? なんだってガキがいる?」
「おい八馬元、お前んとこのガキか?」
「冗談だろ、うちのガキはもうちょっと目つきがいいぜ……俺に似なくてな!」
「ははははははは! そりゃそうだ!」
下卑た笑い声が重なって響いた。
「ボクーー? ここにはミルクはないでちゅよーー? 学校はサボったのかなー―? いけないこでちゅねーー。
おうちに帰って、ママのおっぱいでも吸ってなさーーい」
歓楽街にほど近い、雑居ビルの9階全部を借り切ったフロアの中。
初夏の陽気でも三つ揃いのスーツを着た者、派手な柄シャツを着た者、スキンヘッドに丸いサングラスをかけた者。
いわゆる、暴力や法に抵触することを
背の高い白いスーツ姿の男が、ほぼ真下を見下ろす。そこにはこの場に似つかわしくない子供がいた。
黒い袖なしのロングパーカーを着た少年は、目深にかぶったフードの奥から人懐こそうな笑みを浮かべる。
「あの、僕ねえこれからひと暴れしたいんだけど。今ちょっと手持ちが足りないんだ。
だから、おじさんたちに都合してもらおうと思って」
「はぁ? 何言って――――」
――――パァン!!
乾いた音がして少年に近づいたスキンヘッドの男が書類棚に叩きつけられた。
「……なっ……!」
「僕らもね、
さらに角刈りで痩せぎすの男が天井に飛んだ。
ガシャーーン どすっ
砕けた蛍光灯と共に男が床に落ちて、ようやく場が騒然としだす。と同時に居合わせた男たちが殺気立ってきた。
「このガキ、何者だ?」
「阿波村、絲井、小尾騒!!」
「なんだ!? なにしやがった!!」
「抵抗してもいいけど、なるべくだったらできる限り抵抗してほしいな。どうせ無駄でもね。
全く燃料確保って大変だよね」
魔少年ドゥーガルはポケットから手を出す。その手の平は黒い煙が噴き出していた。
「恐怖しながら死んでいくと、エネルギーが増すんだ。
エントロピーを低下させるって言えば解りやすい?
ああ、この場合はSAN値を0に、の方がしっくりくるかな」
「てめえ!!」
黒ずくめのスーツを着た男は、何のためらいもなく魔少年を殴りつける。が、その頬に触れる1cmほど手前で、男の拳はぴたりと止まった。
「蠅が止まる、ってこういうこと?」
魔少年は止まった拳にふっと息を吹きかける。男の拳は大きく弾かれた。
「このガキ、普通じゃねえぞ」
「面倒だ、
その場に居合わせた男たち数人が、拳銃を取り出した。銃口には艶消しの黒い筒、サイレンサーが取り付けられている。
「日中だ、他のテナントは開いてねえ。
「なにそれ? おもちゃ?」
「そうだ、ガキには過ぎたおもちゃだがな。
おとなしくしてりゃ痛みを感じる暇はねえ。溶かして便所から流したあとは花でも供えてやるよ」
「ふうん、ありがとう」
ディクスンは目を細めてにっこり微笑んだ。
「お花を供えられるのは……あんたがた、だけどね」
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