第9章9話 教え

 ダンジョンを塞ぐ3つの扉を抜けた魔王たちの前に、小さな木製の扉が現れた。ケシエバ教の象徴、星のマークが彫られただけの簡素な扉である。この扉を開けるには、謎を解く必要はない。なぜなら、鍵すらかかっていないからだ。

 小さな扉の取っ手にリルが手をかけ、扉は開かれる。そして、魔王たちが扉をくぐると、篝火に照らされる、灰色のレンガの壁に包まれた部屋が広がった。


 天井は高く、広間と呼んでも過言ではない部屋の中心には、ぽつりと祭壇が置かれている。祭壇の上にあるのは、小さな木箱。あの木箱の中身こそ、ヤクモの魔力であると魔王は確信した。

 

 祭壇の側では、1人の老人の男が、飾り気のない小さな椅子に座り、ケシエバ教の聖書を読んでいる。老人は魔王たちに気づくなり、立ち上がって微笑んだ。

 老人は、星の飾りを首に下げ、ケシエバ教の白い礼服に身を包んでいる。彼が教会関係者であるのは間違いない。魔王はマントをひるがえし、低い声を部屋に響かせた。


「我は魔王、魔王ルドラである。お主、何者だ?」


 右手を掲げた魔王の紫色の瞳が、老人を威嚇するように睨みつける。だが老人は、シワだらけの微笑を絶やさない。


「ケシエバ教枢機卿の1人です。魔王に教える名はありません」


 背筋を伸ばし、微笑みながらも力強く答えた老人。ケシエバ教の枢機卿となれば、ケシエバ教内でも高位の人物。魔王は箱が置かれた祭壇に向かいながら、質問を重ねた。


「法王たちはとうに逃げたようであるが、お主はここで何をしている?」


 今のアプシント教会は死体の山。法王はすでにアプシント山を離れ、姿を見せない。ダンジョンの最深部で聖書を読みふけっていたこの枢機卿が、それを知っているのか。

 視線は祭壇に置かれた箱、枢機卿の顔も見ずに放った魔王の質問。枢機卿は穏やかな口調で、魔王の横顔に返答した。


「私はここで、この魔力を返すため、真の勇者の到着を待っているのです」


 枢機卿の答えを聞いて、祭壇前に到着した魔王は再び、枢機卿の顔を睨みつける。そして、ヤクモを指差し言った。


「では、勇者はあそこにいるぞ。さあ、務めを果たせ」

「それはできません」


 頰に切り傷をつけたヤクモの顔をじっと見て、魔王ではなくヤクモに対してそう答えた枢機卿。彼はヤクモを見つめたまま、言葉を続ける。


「私が待っているのは、真の勇者です。しかしそこにいるのは、真の勇者ではない。魔王の従者に、この魔力を渡せません」


 穏やかな口調、温和な微笑み、老人とは思えぬ伸びた背筋、信仰心に裏付けされた言葉。魔王は目の下をピクリと動かし、彼もまたヤクモに視線を向けた。〝魔王の従者〟と呼ばれたヤクモは、動揺してか魔王の顔を見ようとしない。

 枢機卿の答えに困ったのは、魔王たちだけではなかった。ここまで魔王たちを案内したリルも、困り顔をしている。


「あの、あんまり言いたくないんだけど、ヤカモト陛下からの依頼は聞いてないの?」


 渋々ながらも、リルの口からまたしても飛び出した、ヤカモトの名。おそらく、ヤカモトはケシエバ教に対し、ヤクモに魔力を返すよう依頼していたのだろう、と魔王は推測する。

 魔王とヤカモトに迫られ、それでも枢機卿は首を縦に振ろうとしない。彼の信仰心が、ヤクモに魔力を返そうとしない。


「聞いております。しかし、彼は世俗の王。私はケシエバ教の教えに従い、ご依頼は断りました」

「ううん、言いたいことは分かるけど、ダメ?」

「できません」


 首を横に振る枢機卿に、魔王はため息をついてしまった。ルファールは枢機卿の答えを聞いて、冷たい視線を枢機卿に突き刺し、冷たく言い放つ。


「理解できないな。魔王を倒し人間界を救うのは、勇者だろ。人間界を救うためなら、さっさと魔力を返すべきだ。教えがどうとか、関係ない」


 ケシエバ教徒であり、元女騎士でありながら、魔王の味方としても、どこまでも淡白なルファール。枢機卿はそんな彼女を見て、少し驚いたような表情をした。


「あなたは、元騎士のルファール・ノールですね。やれやれ、噂通りのお方だ」


 そう言って、微笑みを絶やさぬ枢機卿。彼はおもむろに口を開いた。


「ノール、あなたの仰ることは、決して間違っていません。現実とはたしかに、冷酷なものです。しかし、人には心というものがあります。人の心は必ずしも現実と一致することはありません。現実はひとつ。人の心は千差万別」


 これはルファールに対しての言葉なのか、それともヤクモに対しての言葉なのか。はたまた、ここにいる者全てに対しての言葉なのか。


「人の心は時に間違う。だからこそ、人は罪を背負う。一方で、人の心は時に正しい。だからこそ、人は功を積み上げる。つまり人々は、心があるからこそ、現実と葛藤し、罪と功という矛盾を背負う」


 ここで、枢機卿は一息つき、ヤクモとルファールを見つめる。そして、シワだらけの微笑みの奥に真剣な表情を隠しながら、枢機卿は話の続きを口にした。


「ノール、そして勇者ヤクモ、人の心を見なさい。罪と功という矛盾を受け入れなさい。罪は罪であることを、受け入れなさい。罪を背負いなさい。それから功を積み上げるのです。さすれば、神は罪人を許し、罪から救い出してくれるでしょう」


 そう言って、枢機卿はヤクモに真剣な表情を見せる。


「勇者ヤクモ、魔王の従者となることは、あなたの罪です。ラミネイの惨劇は、あなたの罪です。それを受け入れ、功を積み上げなさい。それから、魔力を取り戻しに、またここへ来なさい。それまで、私はここで待っていますよ」


 最後には優しく微笑んだ枢機卿。ヤクモは枢機卿に目を合わせ、そして祭壇の上に置かれた箱を一瞥し、あらゆる物、人物から目を背けてしまう。


「説教は終わったか?」


 ケシエバ教の教えなど興味がない。聞くだけ無駄。魔王は腰に両手を当て、表情ひとつ変えず、枢機卿に対しサフォケーションを発動した。


「神よ……申し訳ありません……」


 窒息し、苦しむ枢機卿は、星と聖書を握りながら、神に許しを請う。枢機卿の表情から微笑みは消え失せ、彼は力なく地面に倒れた。魔王は容赦なく、邪魔者を排除したのである。

 口うるさい老人はこの世を去った。魔王は祭壇の前に立ち、ヤクモを待つが、ヤクモは地面に倒れる枢機卿の亡骸を見つめたまま、その場を動こうとしない。


「どうしたヤクモ。邪魔者は消えた。さっさと魔力を取り戻せ」

「え? あ、ああ、うん」

「貴様、あの枢機卿の言葉を間に受けたのか?」

「いや、別に」


 首を振り、頬を叩き、祭壇の前にやってきたヤクモ。彼女は魔王に言われた通り、祭壇の上に置かれた箱を開け、中に入っていた2つの玉を手に取る。玉は煙と化し、ヤクモに吸い込まれていった。


「さすがに、なんか力がみなぎってきた気がする」


 2度目の魔力奪還ともなると、ヤクモにもそれなりの自覚があるようである。彼女は拳を握り、そんなことを呟いていた。

 

 これで魔王は、自分の魔力を取り戻す際にヤクモを利用できると喜びながら、ヤクモへの警戒心も強まる。もしヤクモが裏切れば、魔王はひとたまりもない。

 そんな魔王の警戒心も知らず、マットとリルは、魔力を取り戻したヤクモを囲んでいた。2人はヤクモに言う。


「ちょっくら試し撃ちしてみろよ」

「ヤクモ姉の魔法、見たい!」

「はいはい」


 ヤクモは右手を突き出し、部屋に風を吹かせた。同時に左手を突き出し、水を垂らす。魔王はそれを見て、ヤクモに話しかけた。


「風属性と水属性か」

「あとは光属性だけってことね」

「その光属性が重要なのだ。光属性は勇者の魔力の半数以上を占める。炎属性等の4つの属性も、光属性によって強化される」

「ふ~ん、じゃあまだまだ、魔力取り戻してないんだ」


 どこか表情が晴れない様子のヤクモ。魔王は気にせず、踵を返し、マントをひるがえしながら、部屋の出入り口へと向かっていった。


「用事は済んだ。ここを出よう」


 ここに長居する意味はない。ただでさえ、枢機卿の説教によって時間を消費したのだ。騎士団の援軍到着前に、アプシント山を出発しなければならない。その思いから、魔王は祭壇に背を向け足早に部屋を後にした。

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