第6章9話 ドゥーム洞窟の戦い III

 先ほどまでの喧騒は何処へやら。魔力が安置されているにしては質素な部屋は、重々しい沈黙に包まれ、冷気が魔王の肌を震わせる。


 魔王のすぐ前には、適当な石を台座にし、薄い魔力障壁に包まれる、小さな木箱がひとつ置かれていた。ここに魔王の魔力の一部が封印されているというのだから、魔王も苦笑せざるを得ない。

 ヴァダルは可能な限り、魔王を貶めたかったのだ。魔王ルドラという存在を、なんとかして矮小化したかったのだ。その結果が、封印した魔王の魔力の一部を粗末に扱うという、幼稚な手段。もはや魔王は苦笑を通り越し、頭が痛くなってくる。


 ふと魔王が振り返ると、そこには部屋まで続く道が奥まで続いていた。ここまでつながる道は、土で埋められてなどいなかったのだ。メイは魔王をたぶらかしていたのである。一か八か、ヤクモに土属性魔法を使わせておくべきであったと魔王は後悔した。


 後悔したところで、どうなるというのか。望みの物は目の前にある。『望みの物を得るのに躊躇は不要。遅れをとることが何よりもの不幸』。魔王は早速、魔具を使って魔力障壁を排除し、木箱の蓋を開けた。

 木箱の中にあったのは、緑色と青色をした2つの玉。ドゥーム洞窟に安置されていたのは、風属性と水属性の魔力だったようだ。魔王は2つの玉を手に取り、それを握り潰すと、玉は煙と化し魔王の体へ吸い込まれていく。


 久方ぶりに魔王の体をめぐった魔力は、まさに乾ききった大地に注がれる澄み切った水だ。魔力が体全体に行き渡ると、魔王の五感は研ぎ澄まされ、体は少しばかり軽くなり、血と肉が活気を取り戻す。


「ようやく……ようやく我の魔力が……この手に」


 本来の力には遠く及ばぬとはいえ、1年半ぶりの魔力だ。魔王は目を瞑り、喜びに浸りながら、その場に立ち尽くしていた。

 

 あの時、ヴァダルが魔界の玉座に座っていたあの時、あっさりと魔力を吸われ、あっさりと追放の憂き目にあったあの時以来の魔力。1年半もの間、人を殺し、魔族を殺し、ここまで生き延び、取り戻した魔力。

 魔力が本来の力の一部であろうと、あの時の雪辱を果たすには、これが必要なのだ。あの時のヴァダルとアイレーを後悔させるには、これが必要なのだ。本来の力の全てを取り戻すには、これが必要なのだ。そして魔王は、それを手にしたのだ。


 喜ぶのも束の間。魔力が置かれたこの部屋に唯一つながる道からは、グレイプニルの通報に慌てて踵を返し、道を塞いだ土を撤去し、鼻息荒く武器を手にした、約20人の警備兵たちが現れる。


「動くな!」

「魔王ルドラを騙る者! 人間界の間者め! もう終わりだ!」


 魔王の背中に、警備兵たちは部屋唯一の出入り口を封鎖しながら、槍や剣、弓を向け、そんな言葉を投げつけた。警備兵たちに、魔王に逆らっている自覚などない。彼らにとって、目の前に立ち尽くす男は、警備兵として排除すべき対象でしかない。

 至福の時を邪魔され、大きくため息をついた魔王。彼は警備兵たちの盲目さに心底から呆れ、黒い皮手袋を整えながら、黒いマントをひるがえし、振り返って、警備兵たちを睨み付ける。


「我こそが魔王、魔王ルドラであるぞ。我は我を裏切りし者を、許しはしない」


 魔力の一部を取り戻し、より本来の姿に近づいた魔王の低い声は、警備兵たちの恐怖心をえぐり出す。それでも警備兵たちは、魔王に武器を向けたまま。


「黙れ! 全員攻撃用意!」

「哀れな者たちだ。ヴァダルに惑わされ、ここで命を落とすとはな」


 生き残る機会は与えた。警備兵たちは皆、その機会をみすみす逃した。となれば、警備兵たちは皆、魔王の敵となった。彼らは今から、魔力を取り戻した魔王の試し打ちの的となるのだ。


 弓につがえた矢を今にも放たんとする5人のケンタウロスの弓兵たち。魔王はおもむろに、彼らに対し右手を突き出した。すると弓兵たちは、一斉にもがき苦しみ、目を見開き、弓矢を放つ余裕など失う。その姿はまさに、窒息しているかのよう。

 いや、弓兵たちはたしかに窒息している。魔王は彼らに、大気魔法――風属性の特殊魔法――の『サフォケーション』を仕掛けたのだ。魔王は弓兵たちの口に真空状態を作り出し、彼らを死へと誘っているのだ。


「なんだ!? 何が起きた!?」

「……ぶ、無事な弓兵は撃て! 全員突撃しろ! こいつは危険だ!」


 高等魔法である『サフォケーション』を、同時に5人に仕掛けられるような者は稀にしかいない。警備兵たちは慌てふためき、槍や剣を持ったガーゴイルたちはがむしゃらに突撃、運良くサフォケーションの対象に含まれなかった3人の弓兵は、一挙に矢を放った。


 放たれた矢は迷いなく魔王に向かってくる。だが魔王は、避けるどころか表情も変えず、左手の拳を突き上げ、氷の壁を作り出した。矢は氷の壁に当たると虚しく跳ね返り、地面に転がり落ちる。

 続いて魔王が左手の拳を広げると、氷の壁は砕け散り、鋭く尖った氷の破片へと変容した。破片は地面に落ちることなく、そのまま弓兵たちに殺到。弓兵たちは凶器と化した氷に体をズタズタにされ、無残な死体と成り果てた。


 この頃には、窒息した5人の弓兵は動かない。そこで魔王は、両腕を一度だけ下げ、すぐさま同時に突き出し、水属性魔法『アクアカッター』を発動する。

 狭い部屋での複数のアクアカッターなど、大人数の警備兵たちに避ける術はない。高速で回転する水の刃は、槍を切り、剣を裂き、ガーゴイルの硬い体をも斬り裂き、血と混ざり合いながら、警備兵たちの首、胴体、四肢を斬り落としていった。


「助けて! 助け――」

「ああ、あああ! バケモンだ!」


 先ほどから、魔王は一歩たりとも動いてはいない。彼は両腕を動かすだけで、逃げまとう20人の警備兵を次々と葬り去っているのである。

 ガーゴイルたちは必死だ。彼らはどうにかアクアカッターから逃れようと、狭い通路を駆けていた。しかし、彼らの足の速さでは逃げ果せることはできない。彼らは次々と斬り刻まれ、飛び散る様々な部位は仲間同士で絡み合い、原型を残す者は減っていく。


 これが、魔王の魔力の一部・・なのだ。一部ですら、一介の魔族警備兵が束になっても敵わぬ力なのだ。

 

 地面に倒れる死体は、窒息死した5人のケンタウロス以外、どれも四散し、壁は血によって彩られている。魔力の在り処へと続く道は、一瞬にして、より一層の薄暗さと湿っぽさに沈められた。


 正義感に燃え侵入者を排除しようと、果敢に戦った良い奴ら・・・・は死に絶えた。ただし、警備兵は殺し尽くされてはいない。魔王は警備兵の隊長と思わしきドラゴン族の男と、他2人の警備兵を生かしておいたのだ。

 魔王は彼らに、影で顔を隠しながら、ゆっくりと、まるで子供に言い聞かせるかのように、口を開く。


「もう一度だけ言おう。我こそが魔王、魔王ルドラだ。我を裏切りし者がどうなるか、しかと目に焼き付けたな?」


 突っ立ったままの3人は、たった今、目の前で仲間を斬り刻んだ男の言葉に震え、崩れ落ちた。彼らを包み込むのは、1人の仲間も救えぬ無力感、反撃のひとつもできなかったことへの絶望、死への恐怖、目の前の男が間違いなく魔王であるという驚き。

 魔王が3人の警備兵を生かした理由。それは、魔王への裏切りがどのような結果を呼ぶのか、その生き証人となってもらうためだ。無力感、絶望、恐怖、驚きは、是非とも多くの魔族に共有してもらいたい感情なのである。


 魔力は取り戻し、邪魔者は片付け、生き証人を作り出した。魔王はこの部屋に、もはや用はない。彼の足はようやく、新たな一歩を踏み出した。

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