第6章2話 巨像
魔王の魔力の在り処が判明したその日のうちに、ラミーは作戦を立て終えた。そして翌日の朝には、魔王とヤクモ、ルファール、ダート、マット、ベンも出発の準備を整え、彼らはラミーをケーレスに残し、スタリオンに乗ってロダットネヴァ渓谷へと向かった。
なぜここまで早く出発の準備が整ったのか。理由は簡単である。これといった作戦も、これといった準備もしていないからだ。まるで買い出しにでも行くかのような感覚で、彼らはロダットネヴァ渓谷へと飛び立ったのである。
ケーレスから出発して約5時間。スタリオンが降り立った地は、なんとも淀んだものであった。空は分厚い雲に覆われ、地上は赤黒い土と真っ暗な木に包まれ、空気は冷たい。太陽の光はほとんど届かず、昼間だというのに景色は暗い。魔界では標準的な景色だ。
ロダットネヴァ渓谷内部に作られた鉱山の町、アヴェンから1キロほど離れた場所。魔王とヤクモ、ルファール、ダートは、スタリオンを降りて、渓谷の切り立った崖に刻まれる、ドゥーム洞窟の入り口を眺めた。
「魔界って、なんか住みにくそう。暗いし寒いし、殺風景だし」
「人間、みんな、そう言う。でも、おいらたち、魔界、住み心地、良い」
「住めば都ってやつ?」
人間の常識からかけ離れた魔界の姿は、ダートがいくら魔界は良い場所だと説いても、ヤクモにとっては住み心地の悪い場所でしかない。そんな彼女を見て、ルファールが冷たい表情のまま、呟いた。
「生まれ育った環境の違いが人間と魔族の根本的な価値観を決別させ、長きにわたる戦争の要因となった。そう考えれば、人間と魔族の戦争に終わりが見えないのも納得できる」
元騎士として、魔族との戦争に参加していたルファールは、人間と魔族の価値観の差を嫌というほど見てきた。そして今、ヤクモとダートの根本的な価値観の違いを見た。だからこそ、彼女は魔界の異様な景色を前にして、人間と魔族の戦争に納得したのである。
魔王は、ルファールの考察とも思える呟きを聞いて感心していた。ルファールの呟きは、まさに歴代の魔王が人間との戦争を繰り広げてきた理由に他ならないからだ。
しかし、ルファールの冷たい表情は何を語っているのか。それが分からぬ魔王は、ルファールに質問する。
「ルファールよ、よく分かっているではないか。だが、それに納得してしまえば、人間と魔族の争いが虚しく感じられはせぬか?」
「目的もなく、ただ永久に殺し合う。それの何が虚しい」
ルファールの口から躊躇なく飛び出した回答。彼女が冷たい表情を浮かべるのは、虚しさからではなく、単に冷淡さからだったのである。いよいよ魔王は、ルファールが味方になったことを喜んだ。
一方で、前にも増して喜ぶ魔王とは違い、前にも増して恐怖したのがヤクモである。彼女はルファールの回答に、即座に反応していた。
「いやいやルファさん、目的なしに殺し合うんだよ? ものすごく虚しいよ、それ」
「そうか? 生きるために殺し合うのは、普通だと思うが」
「う……うん。ルファさんがそう思うなら、もうそれでいいや」
冷たい表情は変わらず、ヤクモの言葉を理解した風もないルファール。これにはヤクモも諦めるしかない。
ルファールの人となりを知りながら、魔王はドゥーム洞窟とその周辺を眺め続けていた。今の魔王がいる位置から洞窟までは約2キロ程度。この2キロを進む間、敵に見つからぬよう、進路は慎重に選ばなければならない。
黒く禍々しい雑木林は、敵の警備が少ない。あの雑木林を通って洞窟まで行けば、敵に見つかる可能性は少ない。魔王はそう判断し、スタリオンに振り返る。そして、操縦席に座りながらくだらない冗談を言い合うマットとベンに、指示を下した。
「マット、ベン、我が魔力を取り返した頃には、ドレイクトルーパがやってくるであろう。それまで慎重に哨戒任務をこなし、ドレイクトルーパがやってきても、我らを必ず回収するのだ。必ず、我らをここから逃すのだ」
「そんくらい分かってらぁ。俺たちの操縦を信用しやがれってんだよ」
「わしらがドレイクなぞに、そう簡単に見つかりはせん」
「では、任せたぞ」
ロダットネヴァ渓谷は、ドラゴンの魔物であるドレイクの生息地にほど近い。そのため、魔界軍ドレイクトルーパの基地が、ロダットネヴァ渓谷には置かれている。ドレイクトルーパに見つからず、または逃げ切るには、マットとベン2人の力が必要不可欠なのだ。
自分の操縦の腕を誇るマットとベンは、相手がドレイクトルーパであろうと、御構い無しのようだ。彼らに言われた通り、魔王は彼らを信用し、今度は別の者に対し指示を下した。
「それとラミー、お前はマットたちと共に哨戒任務に就け」
この場にいるのは、魔王とヤクモ、ルファール、ダート、マット、ベンのみ。ところが魔王は、ラミーの名を呼び、ラミーに指示を下した。まるで、この場にラミーがいるかのように。ヤクモやマットは首を傾げ、ヤクモは呆れたように魔王を諭す。
「はあ? ねえ、今日はラミーはケーレスで留守番――」
「分かりました分かりました! 私にお任せを!」
ヤクモの言葉は、スタリオンの貨物室に置かれたコンテナから、びっくり箱よろしく飛び出したラミーの、嬉しそうな返事に遮られてしまった。
「おめえ、なんでそんなとこにいやがる!」
「荷物に紛れておったのか?」
「ラミー、いつの間についてきてたんだ……」
ケーレスで留守番をしていたはずのラミーが、この数時間ずっと、近くにいた。そのことに驚きを隠せないヤクモとマット、ベン。
だが、ラミーと長く共にいる魔王が驚くことはない。彼は当然のごとくラミーに指示を下し、彼女がその指示に従うと、再びドゥーム洞窟を眺めた。
「行くぞ」
それだけ言って、魔王は歩を進める。そんな彼に、魔王の忠実な僕であるダートも、感情を出すことないルファールも、歩き出した。ラミーの出現に気を取られていたヤクモは少し遅れて、彼らの後を追う。
目的地は、ドゥーム洞窟に隠された魔王の魔力。魔王たちは、洞窟到着前に敵に見つからぬよう、マットとベンが操縦しラミーを乗せたスタリオンが飛び立つのを背に、暗い雑木林を慎重に進んだ。
厚い雲に太陽の光は遮断され、ただでさえ暗い魔界。加えて、木々は黒く、地面は赤黒いため、明るさというものがほとんど存在しない。雑木林の中は、昼なのか夜なのか分からぬ程に暗かった。魔王はこれを利用し、闇に紛れ、警備の合間を縫い、洞窟に近づく。
1時間が経った頃だろうか。魔王たちは雑木林を抜け出し、洞窟前の広場にあった岩の陰に隠れ、敵の様子を伺った。
魔王が敵の様子を伺う間、ヤクモは洞窟の入り口に立つ石像に心を奪われた。人型をしながら、人とは違い逞しい岩の肉体を持つ、顔を見るだけでも首を痛めそうな、巨大な石像。それが石窟に収まる形で鎮座しているのだ。荘厳な光景に、ヤクモは息を飲む。
「大きい石像……」
「あれはドゥームだ。石像ではなく、ネメシスゴーレムぞ」
「ネ、ネメシス……ゴーレム?」
敵の様子を伺う傍、巨像の正体を語る魔王。彼は説明を続けた。
「ネメシスゴーレムは、魔王の道具であり、人形。1度でも命令を下せば、その命令を遂行するまで止まることなく、破壊と苦痛を敵にもたらす、我ら魔界の最終兵器だ」
「ヤバそうな代物ってことね」
「ドゥームの他に、ネメシスゴーレムは2体存在する」
「3つもあるんだ……」
ネメシスゴーレムは魔王の道具なのだ。魔王からすれば、ヤクモへの説明は、自らの持ち物の説明に他ならない。そんな彼に続いて、ルファールが口を開く。
「過去の戦争でネメシスゴーレムが使われたことが数度あった。勇者を殺したこともあると聞いている」
「ルファさん、いらない情報ありがとう」
ルファールの説明により、ヤクモが心を奪われていた石像は、ヤクモに命の危機を感じさせる石像へと変わる。ヤクモは明らさまに石像から視線を外し、今度はダートに話しかけた。
「そういや、あれってゴーレムなんでしょ? ダートさんの親戚だったりして?」
「ネメシスゴーレム、ゴーレム族じゃない。ゴーレム族、生物。ネメシスゴーレム、物」
珍しくはっきりと答えたダート。生物と物では、まったく異なる存在であり、ダートは物と一緒にされたくはないのだ。ヤクモもそれを察知し、石像に関する質問をやめた。
石像に関してヤクモが質問していた間も、魔王は敵の様子を伺い続ける。今の彼の興味は、自らの魔力を取り戻すことであり、ネメシスゴーレムではない。むしろ、ネメシスゴーレムは、都合の良い道具なのだ。
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