第2章6話 好機到来

 果たして、ケーレス領主の座を譲りたいというシンシアの要請に、魔王とヤクモはどう考えているのか。最初に口を開いたのは、ヤクモであった。


「私はウォレス・ファミリーに協力しても良いよ。どうせ行くとこなんかないし。領主になるかどうかは、魔王次第かな」


 特に何も考えてはいなかったヤクモ。居場所ができるというのなら、そこに行く。それが彼女の考えだ。いや、考えというよりは直感とも言うべきか。魔王よりも早くヤクモが口を開いたのも、彼女が頭を動かさず、直感だけで口を開いたことの証である。


 ヤクモの曖昧な答えに、シンシアたちは頭を抱えてしまった。こうなると、魔王の答えがより一層と重みを増していく。

 しばらく時を置いて、魔王は突如、笑い声を上げた。己が野望を実行する機会が、このような形で訪れたことに、世の不可思議を感じ、笑わずにはいられなかったのだ。しかしほとんどの者は、何がおかしくて魔王は笑っているのか、理解できない。

 大笑いを終えた魔王は、シンシアやキリアン、カウザたちをじっと見つめ、まるでおとぎ話を口にするかのように、シンシアの質問に答えた。


「我こそが魔王、魔王ルドラである。魔界を統治すべき存在であり、魔族を束ね、魔界の繁栄を約束するのが我の運命さだめ。いつかは再び、魔都ディスティールの玉座に戻らねばなるまい。そのための一歩として、シンシアよ、お主の願いは好機到来であり、魅力的である」

 

 魔王は右手をシンシアに掲げ、彼女の願いを肯定した。これにシンシアは、尻尾を垂直に立て、大きな瞳で嬉しさを強調する。だが、魔王の言葉には続きがあった。


「魅力的であるのだが、それを受け入れるには、ひとつ注文がある」

「注文? なにニャ?」

「我は追放され、追われた身。あまり目立てば、無用な争いを生む。それだけは避けねばなるまい。そこで、領主は我が務めよう。しかし、それはあくまで裏の領主だ。シンシアよ、お主は表の領主を務めてはくれぬか?」


 野望を成就させるために必要な環境を整えるための、領主引き受けの条件。魔王は笑みを浮かべ、シンシアの条件受け入れを待った。

 シンシアは、魔王の注文という単語に不安を覚え、尻尾を小さく早く動かしていた。ところが注文内容を聞いてからは、再び尻尾を伸ばし、猫耳をピクリと動かし、すぐさま魔王の注文に返答する。


「分かったニャ! むしろ、表だけでも領主の座を続けられれば、ファミリーの誇りと名誉も守れるニャ! シンシアは大歓迎ニャ!」

 

 不満はなく、むしろ先ほど以上に喜ぶシンシア。キリアンやダート、ムーニャも納得したようで、シンシアの方針に反対する者はいなくなった。話はまとまり、シンシアは最後の質問をヤクモに投げかける。


「勇者さんはどうするニャ?」

「さっき言った通り。私はあなたたちの味方になる」

「ミャ~、ありがとうニャ~! シンシアは嬉しいニャ~」


 これでファミリーを守れるという至上の喜ぶを隠す気はないのか。シンシアはヤクモの答えに、ついに飛び跳ねる。さすがのこの反応はキリアンに止められ、シンシアも我に帰り、何事もなかったかのように魔王とヤクモに挨拶し、彼女は父親の亡骸に寄り添った。


 一連の話が終わり、魔王は血なまぐさいレストランを出て、外の空気を吸った。残念ながら、ダイスの空気もまた、血なまぐさいものなのだが。

 タダ飯を食いにきたはずが、影のケーレス領主に就任してしまった魔王。彼は突如として訪れたこの好機に、ニタリとした笑みを浮かべ、これからのことを考えた。そんな彼に対し、何も考えず、ただ流れに身を任せたヤクモが話しかける。


「ねえ、あんたに聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「あんた、なんでまだ魔王の座を取り返そうとしてるの? もう魔王の座なんか捨てて、自由に生きようとか、考えないわけ? 魔王以外の生き方、あんたにはないの?」


 真顔のまま、まっすぐとした瞳のヤクモに質問をぶつけられた魔王。彼女の質問の意味が、魔王には分からない。


「我は魔王ぞ。『魔王たるべき者、生まれた時から、死する時まで魔王でなくてはならない』。魔界を統治すべきは我であり、我は魔界を統治する運命にある。それだけだ」


 生まれたその時から魔界を統治することが決まり、そのために生き、実際に魔界を統治してきた魔王は、魔王以外の人生を歩もうなどという考えなど思いつきもしない。彼は魔王だ。この道以外に彼は生き方を知らない。


「生真面目なのね」


 質問への回答を聞いたヤクモは、それだけ言ってレストランに戻り、シンシアたちと話をする。魔王は店の外で、ただ1人、曇天の空を見上げていた。


    *


 影のケーレス領主に就任して1週間。装飾の一切ない、無機質なダイス城の執務室にて、1年半ぶりの汚れのない服装をしている魔王は、ケーレス領主のあまりの忙しさに苦笑すら浮かべている。

 ケーレス領主の仕事は、重要政策等の承認と、ケーレス領内で起きた事件の把握である。このうち、重要政策等の承認は大した労力を必要としない。問題は、ケーレス領内で起きた事件の把握だ。


 ケーレスは10秒に1度は強盗事件が発生し、街の至る所で絶えず喧嘩が勃発、1日に10人以上の人間が殺害されている、異常な島である。その事件のほぼ全てを把握し、犯罪集団の動向を知るのが、領主の主な仕事。

 机に積まれた犯罪に関する資料は、魔王の身長すらも超える高さを誇っていた。魔王がまだ魔王の座にいた時は、こうした雑務は全て部下に任せていたため、魔王はこの1週間で大いに疲れてしまっている。


 そんな魔王のもとに、カウザがやってきた。また新たな事件が起きたのかと魔王はうんざりしたのだが、今回は少し様子が違うようだ。


「城の前で怪しい少女を捕まえたのですが、その少女、魔王様との面会を望んでいます」

「少女だと? 名前は分かるのか?」

「ラミー・ストラーテと名乗っています」

「ラミーだと!?」


 意外な人物の名前に、魔王は思わず席を立ち上がり、カウザに詰め寄った。


「ラミーはどこにいる?」

「城の広場に――」

「会いに行く」


 カウザの報告など聞かず、城の広場へと向かった魔王。ラミネイで別れて以来、その行方が知れなかったラミーが現れたのだ。魔王が急ぐのも当然である。


 城の広場に到着すると、そこには、髪を短くし軽鎧と陣羽織を着たヤクモ、この1週間で数多の裏切り者を処分・・したシンシア、そしてアイギスの隊員たちに囲まれる、赤みがかった長い髪の少女が地面に座らされていた。

 座らされているとはいえ、広場には和やかな雰囲気が漂っている。というのも、ラミーはヤクモやシンシアと笑顔で会話を交わしていたのだ。


「やっぱりヴァンパイなんだから、血とか飲むの?」

「いいえ、私は血が苦手だから、あまり飲みません。なんかなんか、血って変な味がするじゃないですか」

「それ分かるニャ。シンシアも昔、殺した裏切り者の血が口に入った時――」


 内容もまた、なんとも軽いような恐ろしいような分からぬ会話。少なくともラミーは、元気そうであった。

 広場に到着した魔王にラミーが気がつくと、彼女は巨大なカバンを片手に、魔王の目の前までやってきて、満面の笑みを浮かべ口を開いた。


「魔王様魔王様! ご無事で何よりです! 私ラミー、遅ればせながら、魔王様をお支えするためケーレスまでやってきました! 1年半もお待たせして、申し訳ありません!」


 喜びに溢れ、はしゃいでいるのか、頭を下げ、謝罪しているのか分からぬラミー。魔王はちょっとした疑問を口にする。


「ラミーよ、我がケーレスにいるのを、どこで知った?」

「マフィアの情報網です! 魔王様が影のケーレス領主になったと聞いて、飛んできました!」

「お前はなんでもお見通しだな」


 久々の再会に、つい笑みがこぼれる魔王。これを意外に思ったのが、魔王とラミーの関係を知らぬヤクモとシンシアだ。


「その娘、知り合い?」

「ラミーは我の側近中の側近ぞ。こやつほど頼りになる者はそういない」

「お~、魔王様がそこまで褒めるんだから、ラミーさんはすごい人ニャんだニャ」


 よほど魔王が他人を褒めるのが珍しかったのだろう。ヤクモとシンシアは目を丸くし、あっという間にラミーに対して信頼の目を向けるようになった。

 そうこうしている間、ラミーはカバンを開け、それを魔王に渡す。


「どうぞどうぞ、これが私の久々のお仕事です」


 そう言ってラミーが差し出したカバンの中身は、立派なファーが付いたマントに、黒いロングベスト、黒いブーツ、黒い革ベルトなどなど。


「おお! これは我の服ではないか! フン、やはりこのマントがなければ、はじまらんな」


 カバンの中身、特にマントを目にした瞬間、領主の仕事の疲れを吹き飛ばした魔王。長らく人間界の服装、そしてボロボロのローブに身を包んでいた彼にとって、魔王らしい服装の存在は、己が野望に欠かせぬアイテムであったのだ。さすがのラミー。彼女は魔王が何を望んでいるのか、よく分かっているのである。


 ラミーの参加は、魔王たちにとって心強い。彼女の到着を魔王は手放しで歓迎し、ヤクモやシンシアもラミーの親しみやすい性格に心を許し、その実務能力の高さは、キリアンたちを驚かせた。こうして魔王の復活への道は、その一歩を踏み出したのである。

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