パスピエ
パスピエは行商人の子供だった。
身を立てるべく村を出て小さな商いをしていた父と、とある村の自警団で女だてらに剣と弓で腕を鳴らしていた母が出会って結ばれ、彼が産まれる。一家はホルムト近郊の村々を回って家計を支えていた。
或る
パスピエは運良く近くに生えていた木に登って難を逃れる。そのまま朝まで樹上で泣き明かし、通り掛かった冒険者に保護されてホルムトに生還する。
しかしホルムトに身寄りが有った訳ではなかった彼は路頭に迷い、
物乞いをしたり、商店の簡単な用聞きをしたりしてギリギリ生き延びていたパスピエは、ルドウ基金が行う炊き出しで腹を満たしていると職員に声を掛けられ、託児孤児院に保護される事になった。
そこには親も行く当てもない子供達が共同で暮らしている。彼らは似たような境遇の彼を温かく迎え入れてくれた。掃除や洗濯、料理の仕込みの手伝いや預かった小さい子供達の世話など、やる事はたくさんある。それでもお腹いっぱいの食事に
職員の大人達は優しく、時に厳しく、親のように彼らを見守り支えてくれる。パスピエのような子供達には夢のような場所だった。目まぐるしい
託児孤児院という所は少し変わっていて、勉学の時間が設けられている。読み書きはもちろん、基本的な算術も教えてくれるのだが、父よりは母の生き方に憧れて剣の振り方などを習っていたパスピエは勉学の時間があまり得意ではない。それでも皆が頑張っている様を見ていると、自分もやらねばならないと思っていた。
出遅れているパスピエはその
これが要領を得るまではなかなかに難しい。加算減算までは何とか付いて行けた彼だったが、乗算で引っ掛かってしまっている。職員の大人達は粘り強く彼に付き合ってくれ、時間が掛かりながらも少しずつは上達しつつあった。しかしそれを揶揄する声が上がり、彼は注目を集めてしまう。
「そこの職員、そんな頭の悪い奴にかかずらっていないで説明を続けてくれ給え」
ヌダーツという名のその子は、
託児孤児院の子供達もそんな彼を好きにはなれず、関りを避けるようにしている事が多かった。しかしヌダーツは遠巻きにするその様を、自分にかしずいているかのように受け取り、振る舞っているきらいがある。
「時間を掛けても無駄なんだ。馬鹿はどうやっても馬鹿。将来もたかが知れている。そこに時間を使うよりはテレメンツ商会の将来を担うこの僕にもっと時間を割くべきだ。それに僕は客だぞ、客。どっちが大事かなど、こんな孤児院の職員にだって理解出来るだろう?」
「そうはいきませんよ、ヌダーツ君。この院では誰もが解るまでみんなで勉学に励む方針です。助け合って頑張っていきましょうね?」
「だから無駄だと言っている。どうせそいつは大人になっても荷駄程度にしか役に立たんに決まっているのだ。時間は金ほどの価値があると父上も言っていたぞ」
立ち上がってパスピエを指差し批判している彼を、同じく預けられた女の子の一人が制止しようとする。
「止めて、ヌダーツ。
「僕に触れるな!」
彼を座らせようと袖を引っ張っていたその子の手を振り払うヌダーツ。
「貧乏人の子供が僕に触れるなどおこがましい! 跪いて謝れ!」
怯える女の子の顔を見た瞬間、パスピエの中で何かが弾けた。走り寄ると彼はヌダーツを殴り倒す。
「馬鹿野郎! 人を貶めて何が面白いんだ! それも解らないなんてお前のほうがよほど馬鹿じゃないか!」
「何だと!?」
頭に血が上っているパスピエは叩き付けるように自分の考えをぶつける。頬を押さえて目に涙を滲ませているヌダーツは睨み返してきた。
「貴様、何をやったか解っているんだろうな? 思い知らせてやるぞ!」
そんな捨て台詞を放ったヌダーツは託児孤児院を飛び出して行った。
◇ ◇ ◇
昼前になってヌダーツは母ファルシャと屈強そうな護衛を伴って戻ってくる。
「ウチの大事な跡取り息子に手をあげた愚か者はどこに居りますの!?」
そのまま踏み入って来そうなファルシャを押し留めて職員が説明しようと試みるが、聞く耳を持たない彼女はより一層金切り声を張り上げて抗議を強める。
「さっさとお出しなさい!衛士に突き出してやりますわ!」
「おや?」
その時、入り口から顔を覗かせた黒髪の青年は目をパチクリさせて戸惑う様子を見せた。
◇ ◇ ◇
カイは、折を見てはルドウ基金が運営している託児孤児院を訪問して回っていた。それは決して抜き打ち検査や監査のような意味合いではなく、ダブつき気味な肉や魚を届けたり、自分に会った子供達が喜んでくれるのでその顔を見たくて訪っていたのだ。
チャム達が狩りに行っていたり釣りに行っていたり街を散策していたりしている時に一人で行く事も多かったが、彼らが同行する事も少なくはなかった。
この
「遊びに行くだけだから、二人でデートでもしてきたら?」
「デートってそんな訳無いじゃないですかぁ。トゥリオさんは一緒に出掛けると色々御馳走してくださいますけど、それはペットに餌を与えるくらいの感覚でしょ? お貴族様なんですよ?」
「そんな訳ねえだろ! 御馳走するのは、そりゃ……、美味しそうに食べてくれるからつい……」
(このヘタレが!)
そう思うチャムだ。浮名を流していたという彼がこうも及び腰である事を考えると、少しは本気なのかとも思って納得するしかないだろう。
到着した託児孤児院では外までかまびすしい声が聞こえてくる。多くの院では子供達の賑やかな声が聞こえてくる事が多いが、この声は少し質が違う気がした。
四人は顔を見合わせ首を捻るも、そのままでは埒が明かないのでお邪魔する事にする。
「おや?」
カイが顔を覗かせると一種異様な雰囲気のまま、視線が集中した。
「何か問題でも?」
「取り込み中ですの。遠慮していただけないかしら?」
明らかに場違いな外出着の夫人が咎めてくる。
「ああ、それでしたら僕が対応しましょう。一応、この施設の総責任者の立場にあります、カイ・ルドウと申します」
「ルドっ!!」
仰天した職員が急に大声を上げてしまい、途中で口を押える。カイが何者かに気付いたのだが、空気を読んで自重したのだ。
「あなたが責任者? そんな風には見えないけどそれなら構わないわ。お宅は孤児にどういった教育をされているのかしら? こちらはお金を払っているお客である上に、正当な批判をしたウチのヌダーツは言われも無く暴力を振るわれたんですのよ?」
「なるほど、それは困りましたね。それでは少し時間を拝借して事情を聞いてみましょう」
「説明はしましたわ。今すぐ謝罪を…」
「お待ちを。客観的な判断が必要です」
カイは職員を手で制して子供達の何人かに事情を聞いていく。半泣きの子も居るが、宥めつつ忌憚のない意見を聞き取る。
ちょっと困った顔をした彼だったが、パスピエを呼び寄せると夫人とその息子のほうを向かせて肩に手を置く。
「パスピエ、謝りなさい」
彼はカイが誰か解っていた。自分を助けてくれた施設を創設したのが、あの英雄だというのは折に触れ職員から聞かされていたから。だから少年はひどく落胆したのだ。
(英雄と言っても権力やお金におもねる人だったんだ)とパスピエは思った。
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