9-12 薔薇と宝石とちょっとした幸せ

「機嫌良さそうだね、スリュエルミシェル」


 ゼナスフィールが、宵闇を魔法ランプの光が妖しく照らすテラスで、妻に呼びかけた。

 彼の玉虫色の高貴な鱗や翼は、夜の光で昼間とは違った美しさを見せる。


 いつもながら、彼は神使のようだ、とスリュエルミシェルは思う。

 砕けた物腰なのだが、いつもどこか高貴さが漂うのは、彼が天空の魔法王国メイダル出身だからだろうか。


「嬉しいの」


 そう言えば、昼間、公務中に気付いて、伝えようかと思っていたことを、スリュエルミシェルは今や夫となったゼナスフィールに素直に伝えた。


「聞いて、また、白い鱗の龍震族の子供が生まれたの。二か月で50人以上……やっぱり、白い龍震族は本来極端に珍しい訳ではないんだわ」


 はしゃいだ声でスリュエルミシェルは夫に抱き着いた。

 彼の香りがする。


 スリュエルミシェルが、実子であり新王朝の初代国王となったオディラギアスから、「リーボルシュザーン大公」の地位を与えられて別格の貴族として独立したのは、彼の即位後すぐのことだ。

 わざわざ実母を「大公」という特別な地位に置いたのは、前王朝の正当な後継者だという前提を守るためだ。

 前王朝最後の王の妃の一人を王朝に組み込むことにより、オディラギアスは内外に正当性をアピールした。

 同時にそれは、かつては弱い地位にあったスリュエルミシェルを、この新たな王朝では弱い立場なままにしておかないという宣言でもある。


 かくして、スリュエルミシェルは大公としての公務も負っている。

 主に、国事に関する様々な記録の管理統括だが、その関係で国の住人登録局の記録を閲覧することもある。

 いや、むしろ、彼女は積極的に閲覧していた――我が子と同じく白い鱗の龍震族系の新生児が、闇に葬られていないかということに目を光らせるためだ。


 バイドレルファーザン朝ルゼロス王国では、住民は住民として登録された時に、鱗や表皮、髪、翼の色などを映像記録にして登録する法律がある。

 わずらわしい法律のようだが、これはかつて横行していた鱗の色による差別を根絶するための措置だ。

 出生時にある色だった国民が、それに関して差別や迫害を受けたりした時に、その違法行為の根拠が外見の形状や色彩に由来するという、動かぬ証拠にするためだ。


 同時に、各個人の持つ色彩などと、魔力の関連性のデータを収集し、各個人に見合った医療、教育などのプログラムを、素早く提供する目的もある。

 この辺りは、ほぼ丸ごとメイダルのシステムの流用だ。


 メイダルからのデータによると、むしろ白い鱗の龍震族は、他の鱗色より魔力の柔軟性が高く、多彩な能力を発揮することができるということが分かっている。

 このことを知ってからというもの、スリュエルミシェルはかつてのルゼロス国民の暗愚を恥じると共に、どれだけ人材を無駄にしたか、暗澹たる思いを味わうのだった。


「大したものだ。これだけ短期間に変わるというのは、オディラギアスの王としての技量もさることながら、彼を育て上げた君の力量も背景にあるぞ」


 ゼナスフィールは、優しく微笑んで妻を見下ろす。

 結婚したのは先月のこと。

 今や彼は絶大な支持を集めるカリスマ王オディラギアスの義父、リーボルシュザーン大公として、共に王宮に住んでいる。


 咲き誇る薔薇のようなスリュエルミシェルの美しさと気品に惹かれ、その知性とそれを生かせない境遇に心を寄せるうちに、本格的に恋に落ちた。


 助けたいと思った。

 共に生きたいと思った。


 大きな子供のいることも、誰かの妻であることも関係なかった。

 前者はメイダルではよくあることだし、後者は、「誰か」が愚劣過ぎて配慮に値しないと判断した。


 障害が排除された後、迎えに来たオディラギアスに「僕を父さんと呼んでくれないか?」と要請したところ、「父上。母上との式は私の戴冠の後になりますが、よろしいですか?」と、前から知っていたように即答された。

 レルシェントには「あなたをこれからお父様と呼ぶのね……」と遠い目をされたが、「絶対にお母様を泣かせないでね」と約束させられた。

「僕が泣かないように、スリュエルミシェルにも言ってくれよ」とつついたところ、「お母様なら、決してそんなことをなさらないわ」と、こちらも前から知っているように即答された。


 で、結局は、今のところその通りになっている。



 ◇ ◆ ◇


 オディラギアスとレルシェントのロイヤルウェディングを間近に控え、ルゼロス王国は湧きかえっている。

 美味いものを食べている時に、人は不機嫌な顔になれないというべきか、不足していた食料が満ち足り、メイダルからの農産物先物買いによる経済的豊かさも増大したところ、短期間でルゼロスの空気は変わりつつあった。


 思いがけぬ柔軟性を見せたルゼロスの龍震族たちの間に、メイダルの文明は浸透していった。

 社会インフラ、経済インフラが整備され、ルゼロスの前時代性は一掃された。

 胃袋と懐が温かくなれば、戦闘的な龍震族とて、他人を思いやる余裕が出てくる。

 まして、霊宝族系異種族は、理想的な隣人だった。

 星暦時代の更に前、黄金時代には、自分たちだとて高度な文明の担い手の一角だったと知らされれば、誇りも生まれる、異種の文明に対する違和感も遠くなる。

 共に地上を蝕む遺跡を攻略した思い出からは、多くの友情が、そして場合によってはロマンスが生まれた。

 ルゼロスの龍震族はメイダル系異種族を戦友として遇し、メイダル系の種族は自分たちの誇る巫女姫が選び取った聖なる隣人としての尊敬をもって、ルゼロスの国民を扱った。


 わずかに生き残っていた真面目な聖職者――世界龍バイドレルの神官や巫女たち――の元に、預言が降りた。


『メイダルを隣人として遇し、愛せよ。彼らもまた、汝らを愛するであろう。汝らの王と、王妃のように』


 やせ細った社会風土は霧散した。

 ルゼロスは今やメイダルの援助の元、豊かで高度な国として再生しつつあった。


 スリュエルミシェルからすると、あのささくれた寒々しい前王朝時代の空気がこんな簡単に払拭されるだなどと、想像もできないことだった。

 やはり、物事は変わる時は本当に変わるのだと、彼女は実感せざるを得ない。


 それを成し遂げたのが、我が子だなどと。

 才能のある子だとは思っていたが、本当にここまで来るとは、正直予想の外だった。


 スリュエルミシェルは、幻想的な魔法の明かりの灯るスフェイバの街を見下ろした。

 石造の重厚で壮麗な建物が立ち並ぶスフェイバは、今や龍震族系と霊宝族系の住人の入り交じる、息を吹き返した古代の夢だった。


 そしてこの光景は、今やスフェイバのみならず、再生された遺跡の周囲に広がる全国の都市に見られる。


 風が都市の香りを運んでくる。

 盛り場の熱気、焦げた肉とチーズの美味そうな匂い、さざめく声の波、祭りの前の沸き立つ気配。


 こんな夜更けでもサーヴァント店員による深夜営業の小売店や飲食店が営業しており、宵っ張りな者たちも寂しい思いやひもじい思いをすることはもうない。

 夫も、息子も、そして義理の娘も、この豊かな光景は、結局はあなたに起因しているのですよと言ってくれるが、スリュエルミシェルには、正直実感がない。


 かつて自分は、あの地獄の王宮で飼われていた哀れな女たちの一人に過ぎなかった。

 子供の地位を保証はされていたので、多少はマシだったというだけだ。

 あの時、王宮でズタズタにされた女たちのため、オディラギアスは可能な限りのことをしてくれていると思う。

 性的蹂躙や無理な出産で心身を損なった者のためには、メイダルの最新鋭の医療が用意された。

 可能な限りのケアと保証が彼女らのためになされ、彼女らはそれぞれ、ようやく自分の人生を歩み始めている。


 恐ろしい孤児院は解体され、かろうじて生き残った子供たちは、それぞれまっとうな養い親の元にもらわれたり、少し年かさになると後見人と従者付きで家を構えたりしている。

 メイダルのこの問題に対する関心は高く、龍震族系住人を中心に、かなりの者から彼女らや子供らのための寄付があり、また養い親に立候補する者も少なくなかったのだ。


 かつて、何かしらの陰惨な現実はルゼロスに限らず、世界の多くで見られた。

 しかし、今はそれを癒そうとする動きが全土を覆っている。

 損なわれたものは修復され、分かたれたものは再び結び合わされつつある。


 全てはこの世界、「神々の遊戯場」の神々、そして選ばれた六英雄の名の元に。



 ◇ ◆ ◇


「やっぱり、君は薔薇だな」


 唐突にそんなことを言われて、スリュエルミシェルは首を傾げた。


「どういうこと?」


「薔薇って、夜でも存在感があるだろう? 他の花なら闇に呑まれるところを、薔薇はその奥から、存在感を主張する」


 伸ばされたゼナスフィールの手が、そっとスリュエルミシェルに触れた。

 満月の下、彼の角と額のムーンストーンが、穏やかに照り映えている。

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