8-8 プロポーズ

「ね、オディラギアス」

 レルシェントは、きらめく星空の下、飛空船の舳先で、恋人にそっと肌を摺り寄せながら、軽く口付けた。

 ゆるやかな風が、彼女の長い髪をなびかせる。

「何だかどきどきしてるわ。初めてあなたに裸を見られた時みたい……」


 オディラギアスは、そっと口付けを返す。

「それなら、私だって同じような気持ちだぞ? しかも、見られるのは、そなたばかりではなく、そなたの家族全員にではないか」

 くくくっと笑ってオディラギアスはもう一度、レルシェントに口付けた。


「いやね。あたくしたち、変態みたい。家族に、好きな人を紹介しに行くだけなのに、どうしてこんな気分になってるのかしら」

 弾力のある肌を恋人に押し付けてくすくす笑うレルシェントを、オディラギアスは抱き寄せた。

「その家族を、増やす予定、だからではないのか?」


 船はゆったりと、その島の空域に入り込む。


「……ああ。美しいな」


 その島を見たオディラギアスは、ほうっと、感嘆の溜息をついた。

 今まで見て来た魔法王国メイダルの島々は、いずれも美しかったが、この島は 別格だ。


 その島は、王宮のある本島と並んで、空の只中に浮かび上がっていた。

 天空に浮かぶ群島というべきメイダルの中でも、その島は風変わりだ。

 オルストゥーラ女神の本神殿があり、大司祭一家が居を構える聖なる島は、大司祭家の家名を取って「アジェクルジット島」と呼ばれていた。


 他の島々と違って、その島の基部に当たる部分は巨大な水晶に似た宝石の結晶でできており、夜の光の中に、ぼんやりと浮かび上がっていた。

 遠くから望み見る魔法の光に彩られた神殿、そして他の群島の街並みから比べても更に美しい、発光する宝石を積み上げたような街並み。

 実際、市内のあちこちには、島の基部から続いているのであろう発光水晶の大きな結晶が飛び出し、人工の光と相まって何とも幻妖な雰囲気を醸し出す。言わば、島全体が宝石なのだ。しかし、地表には十分な植生があるのも確認でき、更に美しい風景を見せていた。ここは、昼間来れば、また違った美であろう。


 飛空船で近付くにつれ、オディラギアスはぞくぞくするような緊張に包まれた。


「そんなに緊張してる? オディラギアス」

 レルシェントは、彼の手をそっと取った。

 多分、自分の顔色が悪いのかも知れないと、オディラギアスは予想した。

「……ああ。前の人生から見ても、こういうことは初めて経験するのだ。そなたの家族のことだから、きつい方はいらっしゃらないとは思うが、それでも緊張するな……」


 オディラギアスは、前の人生のことをぼんやり思い出す。

 長身で、顔立ちも悪くなく、成績も良く、更には武道をやっていて運動神経も良かった「中原尊」は、恐らく結構モテる部類だったのだろう。

 しかし、そうであっても、大人になってから、互いの家に挨拶に行くほど親しくなった女性は何故かいなかった。

 彼女はできるのだが、何故か何か月かしか続かない。

 多分に仕事が忙しすぎたのと、合わない部分が見えて、何となく遠ざかってしまったのと。

 あの殺された事件の前などは、それらしい気配もないほど、色恋沙汰から遠ざかっていた――心密かに、コンビニで会う「細淵美澄」に心ときめいてはいたが。恋愛というには一方的過ぎ、淡すぎたであろう。


 そして「オディラギアス」になってからは、何と言っても鱗が白いのがネックだった。

 大体の場所で化け物扱いされる。

 ごく若い頃に、粋がって王宮の外で商売をする女を買ったことはあったが、精神的充足感は得られなかった。


 そして。

 今日という日を迎えた。

 特別な日だ。

 オディラギアスという一人の男として、そしてルゼロス王国の王族として、レルシェントの家族に会い、挨拶をする。

 それはつまり、彼女を娶る意思を表明することで。



 ◇ ◆ ◇


「レルシェ」

 その言葉を告げたのは、何度目かの女王と重臣たちとの会議を終え、実際のルゼロス介入をどのように進めるかを、具体的に詰めてからだった。


「今こそ、ようやくそなたに告げることができる」


 贅をこらした魔導具や家具で飾られた、妖しくも美しい、王宮の離れの一室。

 気を利かせた王宮側が、オディラギアスとレルシェントを同室にした、その艶やかな部屋で。

 二人は、据え付けられた豪奢なソファによりかかって、穏やかな時間を過ごしていた。


「レルシェ。私は、ルゼロスの王になる」

 オディラギアスのその言葉は、今や夢ではない。

 ほぼ確定した未来だった。


「あなたなら、きっと素晴らしい王になるわ。あの、逆境の中でも己を手放さなかったあなたなら」


 レルシェントの言葉は全くお世辞も身びいきもない直截的な評価。

 実際、オディラギアスは王になるべき素質を残らず備えていると、レルシェントは思う。

 普通、あれだけ苛められたら歪みそうなものなのに、人格は高潔と言って良い。

 母親の良い影響という幸運があるにせよ、あの異様な環境で自分のなすべき道を見失わなかったのは、もう奇跡と言っても良い精神力だ。

 多分、自分がメイダルに繋ぎを取らなかったとしても、ニレッティア辺りに巧みに

担ぎ出されて、王ということにはされたのではないかと、レルシェントは予想していた。

 無論、その場合、オディラギアスの理想は中途半端な形になり、完全には納得できなかったであろうが。


「さて……王となるからには、相応しい王妃を得て、次世代を担う子をなさねばならぬ」


 オディラギアスのその言葉に、レルシェントは、来た、と、身を固くした。

 地上では、同種族同士で婚姻するのが当然視され、それを離れた結婚や、ましてや子孫を生み出すことは一種のタブーだと知っていた。

 オディラギアスもその慣習に従うのだとしたら。

 レルシェントは、オディラギアスとは、一緒にいられないのだ――。


「私はこの地に来てから、新たなものを多く知った。その中でも驚いたのは、寿龍族始め、混血種族がかなり存在して、しかも無理なく社会の一部をなしている、その事実だ」


 はた、とレルシェントは顔を上げた。


「……寿龍族はいいな。堂々として、強く、雄々しく、美しい」


 マーゼレラーンと模擬戦を行ったオディラギアスは、その強さに目を見張ったものだ。

 武器戦闘や物理攻撃から身を護る魔力だけでなく、攻撃的理魔法を行使する多彩にして圧倒的な戦闘能力。

 目を見開いたレルシェントの視線の先で、オディラギアスはにわかに表情を引き締めた。


「レルシェ。我が妻となり、私のために、寿龍族の子供を産んではくれまいか?」


 歓喜のあまり、言葉すら出てこない、呼吸を忘れることもあるのだなどと……

 子供の頃卒業したと思っていた感情が、レルシェントの胸を突き破った。


「で、でも……」


 嬉しさに胸震わせながらも、レルシェントは自分を叱咤した。

 個人的に喜ばしいことと、実行できるかどうかは別。

 ……嬉しすぎて、抱え直す時間がほしいだけだろうと、心の奥の厳しい一言は無視して。


「国王となると、国民や周囲の臣下が納得する王妃でないと、あなたの立場が……」


「私の立場を、表明する上でも、そなたに王妃になってもらいたいのだ、レルシェ」


 オディラギアスは言い含めるかのように、きっぱり、静かに言い募った。


「母が、メイダルの歴史文書を調べて行きあたったのは、かつては様々な種族が入り交じって暮らす、黄金時代と呼ばれる時代が存在したということだ。混血は当たり前で、人々はそれぞれの得意分野を生かしながら、助け合って生きていた、と」


 メイダルはその理想と呼ばれた社会にかなり近い、とオディラギアスは意見を述べる。


「レルシェ、私はその黄金時代を再現したい。この国を見て分かったのだ。どの種族も、単独では不都合がある。どの種族も助け合うよう、神々は我らを定められたのだ。技術だけではなく、血も取り入れるべきだ、それが社会の活力に繋がる」


 オディラギアスは、改めてレルシェントの目を覗き込んだ。


「私の妻となり、我が子を産んで、国民の前に、多種族融和の範を示して欲しいのだ。何より」


 オディラギアスは軽く口づけ。


「……どうか、私を幸せにして欲しいのだ。そなたと結婚でき、子を成せる以上の幸せなど、考えつかぬ」


レルシェントは、オディラギアスのたくましい胸にしがみついた。


「……あたくしのことも、幸せにしてくれる?」

「もちろんだ。私の父は一人の女も幸せにしてやれない男だったが、私は違うぞ。そなたを故郷から引き離すのだ。故郷にいる以上の幸せを」


 二人の影は重なり、長いこと、そのままだった。



 ◇ ◆ ◇


 輝く市街を飛び越えて、曲線豊かな神殿の脇の、大司祭家のプライベート居住区の前庭に船を降ろす。

 溜息が出るような凝った細工の大司祭の居住棟、その風情溢れる前庭は、発光石の彫刻で柔らかく照らし出され、水盤を連ねた噴水が淡い夜の光を反射し、涼やかな夜闇を孕んだ緑陰に陰影を添える。


 レルシェントに案内され、オディラギアスは幻想の世界ではあるまいかという麗しい前庭を抜けて、緻密な彫刻の施された石柱のある、玄関先へと辿り着いたのだが。


「ようこそいらっしゃいました。オディラギアス殿下……さて、愛の話と、死の話をいたしましょうか?」


 突如、玄関先で待ち構えていた長身の男性に突飛な言葉をかけられ、オディラギアスははっとして立ち尽くした。


 この方が。


 艶やかな紫色のローブにターバン、そして目元を除いて顔を覆うヴェールの上からでも、ちょっとびっくりするくらいの美男と判別できる。

 目の色は、はっと惹きつけられるような、鬼火のような妖しい紫。

 額には、常に不可思議な紋様を浮かび上がらせる、夢黒石。


「レルシェもお帰り。さて、何でこういうことになっているのかの説明は、きちんとしてもらわなければならないね?」


 絡みつく紫煙のように、つかみどころのない口調で。

 レルシェントの父、ナルセジャスルール・オロウンジアニ・アジェクルジットは、そう切り出した。

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