芳香は惑乱する:#5 負荷と圧迫

 外回りの営業から戻ったばかりの瀬戸に、上司の斎藤課長が声をかけてきた。

 今日、仕事が終わった後、一緒に飲みに行かないかという誘いだった。


 瀬戸にはあまり気が乗らない誘いではあったが、同僚の真田さなだ茂樹しげきが、横から「いいですね」と割り込んできて、勝手に同伴を決め込んだ。


 その後、瀬戸は斎藤課長から車のキーを渡され、彼が普段、通勤に使っているメタリックシルバーのセダンを、会社の駐車場の一番奥に移動しておくようにと指示された。

 今日は飲みに行くのでマイカーは会社に置いていくのだろうと、瀬戸は課長に言われたままに指定された車を移動させた。


 仕事が終わり、三人で木屋町界隈に繰り出すと、斎藤は自分の行きつけのスナックに二人を連れて行った。


 歓楽街の裏通りに面した雑居ビルの三階に、そのスナックはあった。


 ドアを開けると、すぐに一種独特的な匂いが漂う。

 店内に這入ると、いたるところに、東南アジア風の装飾品が飾られ、民族情緒たる異国的空間がそこにあった。


 瀬戸たちは、薄暗い照明と、スナック嬢の声で迎えられた。

 店内奥のソファに通され、腰掛けると、斎藤を挟んで店の雰囲気とは懸け離れた、二人のスナック嬢が侍る。

 瀬戸と真田の間にも、クバヤという民族衣装を着て、厚めの化粧をした年歳不詳のスナック嬢が座り、水割りを作る。


「こちらの方たちは、初めてよね」

 国籍も年齢も不詳のスナック嬢が言う。


「ああ、営業部の瀬戸君と真田君だ。宜しく頼むよ」斎藤が二人を紹介する。


 年齢不詳のスナック嬢は、「よろしくね」と言って、名刺を差し出した。

 時間が経つにつれ、瀬戸は息が詰まる思いがした。


 質の悪いジョーク――。


 下品な愛想笑い――。


 演出された受け応え――。


 聞くに堪えられないカラオケ――。


 営利目的の嘘と、欲望のゴミ箱で固められた息の詰まる空間――。


 それが耐えられない。

 真田の方は――と見ると、彼にはこの雰囲気がまんざら嫌でもないようで、課長の話に相槌を打って盛り上がっている。


 充満する、煙草とお香の煙――。

 鼻を突く、化粧と香水のニオイ――。

 それらが複雑に混ざり合い、異様な臭いが充満してくる。


 瀬戸は気分が悪くなり、断ってトイレに立った。

 トイレで何度か嘔吐した後、瀬戸は洗面台で口を濯ぎ、顔を洗った。

 瀬戸は、鏡に映る自分の顔を見つめ、葉月詩織の事を思った。

 何とかおさまったので席に戻ると、真田が斎藤の横に席を移動していた。


「真田君は……彼女は、いるのかい?」斎藤が真田に詰め寄って訊く。

「いやぁ、気になる子はいるんですけど、相手がねぇ……」グラス片手に真田が応える。

 斎藤は、「ははは、片思いって奴か」と言って笑いだした。

「そうなんですよぉ」と真田は応えた。

 瀬戸が席に座ると、スナック嬢がお手拭きを差し出した。


「で、瀬戸君はどうなんだね」

「えっ? 僕ですか……」唐突な問いに、瀬戸は言い淀んでしまった。


「彼も片思いの口でしょう」そう言って、真田は笑いだし、「しかし、この店、何か珍しいものがたくさんあるんですね」と話しを変えた。


「ああ、この店は東南アジアの民芸品でレイアウトされているのだよ」と、あれこれ指をさして示す。

「へえ。東南アジアには、ご旅行したことはあるのですか?」と、真田が装飾品を手にとって訊いた。

 斎藤は「ああ」と応え、「インドネシアには八回程、ジャワ島やバリ島に行ったことがあるよ」と、そこから、彼がインドネシアへ旅行したときの話へと移行していった。

 

 真田は相変わらず、「凄いっすねぇ」と斎藤の話に合わせて相槌を打ったり感心したりしていたが、瀬戸には殆ど興味のない話であった。


 そうして、その日は、午前三時ごろまでつき合わされ、瀬戸はクタクタになって家路についた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

Androidでは正しく
設定できないことがあります。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

新規ユーザー登録無料