芳香は惑乱する:#3 不審な手紙

 帰国から一週間後、葉月詩織は、本社からの指示書に従い、店頭のディスプレイを変えていた。

 テナントファッションビル『アーク』内のブティック『フォセット・アーク店』が、詩織の仕事場だ。


 株式会社『フォセット』の本社は京都にあり、西日本を中心に、福岡、広島、岡山、香川、兵庫、大阪、京都、愛知など全国で三十店舗を、主に有名百貨店などで、ヤングミセスをターゲットにしたカジュアルショップを展開している。

 

『フォセット・アーク店』は、売場面積は約二十坪、午前十時から午後七時までの九時間営業であった。


 彼女は、今月で勤続三年目になる。

 三ヶ月ほど前に通知があり、今月の二十一日付けで、念願の店長に昇格したばかりだった。

 旅行は、そのための、所謂スキルアップのためのツアー参加でもあった。


森川もりかわさん、そろそろ、みんなの休憩を順番に回していってね」

 詩織は腕時計を見て、チーフの森川ひとみに指示を出す。


 詩織はお腹が空いていたが、この仕事は昼だからといって、店員が揃って休憩を取るわけにはいかない。


 チーフの瞳と詩織の二人だけが正社員で、後のメンバ五名は、アルバイトを使っている。それを平日は三名。土日、祝日は五名でスケジュールを組んでいる。

 詩織の公休日は水曜日である。このテナントビル自体の休館が水曜日だからだ。

 明日がその公休日にあたる。


 詩織は、ディスプレイの変更を終え、レジスタの小計ボタンを押し、売上小計を確認した。

 開店してまだ八点ほどしか売れていない。金額にして六万円ほどだ。

 詩織は少し憂鬱な気持ちになった。

 今月の売上予算は一千万。一日平均三十万。一時間平均三万五千円程度だが、昼前から三時ごろまでは客足が途絶える。

 そのことを考えると詩織は気が滅入ってくる。

 三時には、本社に中間売上報告をしなければならないのだ。

 とにかく三時までに十万円は、いっていないと……。


 詩織が取り出したレジペーパを見ていると、背後から瞳の呼ぶ声がした。


「店長に、お電話が入っています」


「えっ、何処から?」

「ええ、男性のお客様から、店長を……、と」


「お名前は伺っていないの?」

「ええ、お訊ねしても、仰らないので……、どう致しましょう?」


「何か、クレームかしら? いいわ。出てみるわ」

 詩織はそう言って受話器を取り、一度小さく深呼吸をして保留ボタンを解除した。


「もしもし、お待たせ致しました。わたくし、フォセット・アーク店の葉月と申しますが……」


「…………」


「もしもし……、もしもし?」


 ガチャン――。


 ツー、ツー、ツー、ツー……。


「あれ? 切れちゃったわ」詩織は、森川の顔を見て言う。

「えっ? どういうことですか?」森川が怪訝そうな顔をして聞く。


「きっと、いたずら電話よ」

 そうは言ったものの、最近、特に無言電話が増えている。

 自宅の留守番電話にも、これまで何度か無言のメッセージが吹き込まれていたことがあった。



 葉月詩織が仕事を終えマンションに帰ると、ポストボックスに、また『S』と書かれただけの手紙が入っていた。

 この手紙も、一回目と同じフォントのワープロで打たれていた。



    店長に昇格おめでとう。

    きっと、君の努力が認められたんだね。

    これからも陰ながら応援しているよ。



 ――えっ?


 こんなことを書いて寄越すのは、仕事関係の人?


 文面は、詩織のことを理解してくれている者の、励ましの手紙のように思える。文面からは、悪意は感じられない。


 ――この『S』って、いったい誰なの……?

 

 詩織は思った。

 きっと、会社の偉いさんが自分のことを陰ながら応援してくれているのではないかと。


 ――しかし……。


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