騒霊は屈折する:第7話 居酒屋


「ところで、モスキート音と言うのを聞いたことがあるだろう」

 運ばれてきた追加オーダの〝出し巻き〟を、箸でつまみながら翔琉が言う。


「ええ、若者による迷惑行為の防止のために、何処かのコンビニや公園に、十七.六キロヘルツの不快音を三分毎に出す装置を設置している……、という話を聞いたことがあります」

 滝沢が、生ビールを足立に手渡し、答える。


「ああ、しかし、あの装置には迷惑行為をする意思のない若年層も追い出す結果になるのではないかという問題も残る。」


「そういえば、そうですね。やっぱり、あの音って、一般の大人には聞こえないのですよね?」


「ああ、高周波数の音は、年齢とともに徐々に聞こえ難くなるため、二十代後半以降の者には気にならない者が多い。しかし、聞こえる者にとっては、かなり耳障りである。ただし、高周波数の可聴範囲は個人差が大きく、若年層以上でモスキート音が聞こえるために、強く不快に感じる者もいる」


「聞こえる人もいるんだ。私には全然聞こえないけど……」足立がそう言って、ビールを飲む。


「どんな音なのかなぁ……?」翼が興味深そうに言う。

「えっ、翼にも聞こえないのかい?」翔流が言う。

「それ、どういう意味? 私がおばさんだって言いたいんでしょう」

「まあ、若くはないな」翔流が断言する。


「いえ、翼さんは、めっちゃ若いですよ」二人のやりとりを聞いていた滝沢がフォローに入る。


「同い年でしょう!」

「いやぁ、それはそうですけど……」

「それに、そんな風に言われると、それはそれで、少しも嬉しくない」

 翼が不機嫌そうに言う。


「…………」


「あの……、話の続きは……?」足立が申し訳なさそうに言う。


「ああ、そうだったね」翔流が首肯うなずく。


 ――おっ、『何処まで話したっけ』と言うぞ。

 と、滝沢は変な期待を持つ。


「そのそも、音というのは――」翔流が話し始める。


 ――ここは、言わんのかい! 

 滝沢は心の中でずっこける。


「――振動によって発生した媒質の変化が、音波となって伝達される物理状況……。もっと簡単に言うと、物体の振動が空気の振動として伝わり起こす現象を聴覚が感知したものをさす……、ということは、みんな知っているよね」

 翔琉が一同を見渡す。


「ええ、たしか中学のとき、習った記憶があるわ。音とは、弾性体の中を伝わる波動であるってね」

 翼がそう言って、相槌を打つ。

 翔琉が、一同が頷くのを見極めて、話を続ける。


「音といえば普通、可聴周波数のものをさす。それは、上限が十六~二十キロヘルツ、下限が十六~二十ヘルツ程度の周波数で、それ以上もそれ以下も人間の耳には聞こえない。音波には、光と同じように、反射したり屈折したりする性質がある。ところが、音を完全に遮断してしまうような壁があっても、やはり音は伝わってくる。これは回析という現象で、音が壁を回りこんで伝わることを示している。回析は、波長の長いほど顕著であり、また壁が小さいほどよく回析する。そこで、今回の断続音だが、建物の造りによっては、その振動が、まったく違う場所で反響し、その場所があたかも音の根源地だと錯覚する場合があるんだよ」


「山びこのような現象ね」翼が言う。

「そうだ」そこで翔琉は、ジョッキを持ち、ビールを一口ゴクリと飲む。

「それが、今回の怪現象と、どう関係あるというの?」翼が問う。


「ああ、建物は、いろいろな物質が集まって出来ているだろう。当然、物質には音の振動を伝えやすいものと伝えにくいものがある。そして、あらゆる箇所に空間が存在する。隣との壁の間、天井裏、空調の中、あらゆる配線の管、下水管、などの空間がたくさん存在する。それらが、偶然、積み重なった結果、このような怪現象となって現れた。つまり、建物の材質や構造、立地状態、近辺の地形の状態。それと、あとひとつ、ある重要な条件が、この怪現象には不可欠となる」翔琉が一同の顔を見る。


「それは……?」

 足立が、身を乗り出して問う。


「気候の状態だよ。天候、季節、そのときの温度、湿度、大気の密度などに影響される。それらの要素や条件が重なって霊現象と思われるような現象が起こる場合がある」


 翼が無言で頷く。


「たまたま、それらが集中して起こったものだと思える。また、全然関係のない場所で出ている音が、たまたま、そこに集まり、あたかもスピーカのように反響しているのかも知れないが……、すべて、偶然が積み重さなって起きた現象だよ」

 翔琉は自分の考えを言い終えると、残っていたビールを一気に飲み干した。


「何だぁ。結局、そんなことじゃないかとは思っていたけど」

 翼が、納得したように言う。


「じゃあ、たまたまの偶然だったのですね」

 足立は、原因が解明されたことに安堵した表情を浮かべた。

「偶然は、たまたまだよ」翔琉が言う。

「ああ……、そうですね。でも、そうとわかれば、なんてことはない。今日は私のおごりだ。さあ皆さん、これから気分を変えて、パッと飲みましょうよ」足立が安堵の表情を浮かべ、嬉しそうに言う。


 滝沢が、翔琉の空になったジョッキを持ち上げ、「塚ちゃん! こちら生ビール、お代わりね」と、通りかかった件の女子店員に声をかけた。


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