復讐は転嫁する:最終話 放逸


     ◇


 『紫桐しとう探偵事務所』が入居しているビルの、一階にある喫茶『ぷらいむナンバ』で瞳は、紫桐翼、岡田おかだらんの友人と三人でテーブルを囲んで座っていた。


「例の、幼女失踪事件って……、瞳が住んでいるマンションの事件だったの?」

 翼が、瞳に確かめる。

「誘拐されたっていうその子、殺害されて埋められてたんやて……」蘭が言う

「もう、吃驚!」瞳が答える。

「吃驚、くりくり、くりっくりって感じ?」蘭が問う。

「そうそう、そんな感じ」瞳が答える。

「えっ? 何、それ……、まさか、驚き、桃の木、山椒の木の間違い?」

「違うよ。翼は『吉本新喜劇』とか見ないの?」瞳と蘭が顔を見つめ合う。

「小さい頃は見てたけど、今は、テレビ自体滅多に見ないわね――それより話の続きは?」

「そうそう、それで、滝沢刑事にもいろいろ聞かれたわ」瞳が意味ありげに言う。

「へぇ……、そうなの」翼が視線を逸らせて応える。


「あっ、翼……、もしかして……?」

 瞳が大きな眼を見開かせて、懐疑の眼を向ける。


「何が、もしかしてよ?」

 翼は、少し膨れて叱るように言う。


「あっ、なるほどねぇ」

 蘭は、大げさに首を上下に振って頷く。


その時、〈カラン〉というドアベルの音とともに、滝沢刑事と御厨刑事が入って来た。


「おや、翼さん。ここにいらしたのですか」

 そう言って、滝沢は御厨と、翼たちと通路を挟んだ横のテーブルの席に腰をかける。

「あっ、こんにちは。岡田さん、森川さんのご両人もご一緒でしたか」

 滝沢と御厨は、瞳に気付き、愛想よく挨拶した。

 瞳が軽く会釈をして、翼の顔を覗き見る。


「それより、どうしたの? こんな時間に二人揃って……?」瞳の視線を無視して、翼が不思議そうに尋ねる。

「ええ、翔琉さんと、ここで待ち合わせをしているんですが……」滝沢は、にっこりと優しい眼を向け、翼に応える。

「兄と?」


「あっ、そうそう、昨日突然、翔琉さんから電話があって……」瞳が唐突に言い出す。「今、近くに居るから、これから家に伺ってもいいかなって、それで、嬉しさと興奮で私もう、あわてちゃって……、」

「えっ? 何で兄が、瞳のところに?」

「ええ、とにかく来るなり私に、朝、目覚めてからの一連の行動を、いつもどおりに再現してくれないか……、と言われ、私も言われるままに再現したの。その後、という日の再現も頼むよ――って言って、その時の再現もしたのだけど……、その間、翔流さんは通路に出ていて、私が一生懸命再現しているところを、まったく見てくれていないの……」

「それで」

「ありがとう、って言って、すぐに帰ったわ」

「何、それ?」

 翼は首を傾げ、滝沢と顔を見合わせた。


 滝沢たちが、ウェートレスにコーヒーを注文したあと、五人は他愛のない話で盛り上がった。


 しばらくして、〈カラン〉と入り口のドアが開き、翔琉が姿をみせた。

 日焼けしたマスタに片手を挙げ、「いつもの」と注文をすると、滝沢を見つけて彼らのテーブルに向かった。

 御厨が席を譲り、滝沢の横に腰を掛ける。

 翔琉は、二人と向かい合うように腰を掛けた。


「で、用ってなんだい?」翔琉は、隣の席を一瞥して一言。

 滝沢は翔琉に、今回の幼女消失殺害事件についての新情報を入れながら事件の概略を簡潔に語った。


「どうですか? 幼女の死亡推定時刻が、誘拐時から前後に三日間なんです。ということは、誘拐してすぐに殺した……、ということになります。死因は扼殺です。それに、誘拐しても何の要求もしてこない。誘拐犯人の目的は、いったい何だったのでしょう?」滝沢は首を傾げて、話を続ける。「エレベータに乗った梓ちゃんを、一階に到着する間に誰にも見られずに、どうやって誘拐したのか? そして、その誘拐犯人は何処に消えたのでしょう? 僕たちもいろいろ推理しているのですが……、さっぱり要領を得ない事件です」

 滝沢の話を聞き終えた翔琉は、コーヒーカップをテーブルに戻し、「君から電話をもらって、いろいろと調べてみたよ」と前置きして、彼らの質問に応えようとする。

 滝沢と御厨、そして瞳と蘭と翼は、翔琉の言葉に耳を向けた。


「そもそもこの事件の発端が、夫の不倫による家庭不和だ。つまり、愛情の欠落と早過ぎた出産。女性は出産後、産縟にかけて大きな精神不安定の場に置かれる。非常にデリケートな心は繊細なほどに脆い。こういうとき、夫に裏切られたり、夫が冷酷だったり、姑の意地悪さが介入したりすると、経験の少ない若い母親は自信喪失に陥り、育児ノイローゼが始まる。多くは不眠からはじまるが、この育児ノイローゼの症状は、所謂鬱状態である。今回の事件も、子供の出産、子育て、夜泣き、排便の始末、食事、洗濯、病気、不眠、夫の浮気、イライラ、不安、劣等感、自己卑下、離婚……と、若すぎる母親を襲った環境の変化。それらが絡み合って引き起こされた事件だと言える」


「で、では……?」御厨が眼を見開いて言う。


「滝沢君、メーディア・コプレックスって知っているかい?」

翔琉が、滝沢に向かって質問する。

「マスメディアの複合体っていう意味の、メディア・コンプレックスですか?」滝沢が不安そうに言う。


「僕の言っているのは、M・E・D・I・Aのメディアではなく、M・E・D・E・I・A。これは、ギリシャ神話のコルキス王女メーディアのことだよ」

 そう聞いても滝沢には、何のことなのか皆目わからない。

「彼女は、大叙情詩『アルゴナウティカ』の主人公イヤソーンの夫人で、他の女性に心を引かれた夫に復讐するために愛児を殺した。それが、メーディア・コプレックスの語源となったものだよ」翔琉は、そう説明してコーヒーを飲む。


「まさか今回の場合も……、母親が、我が子を殺した――というのですか?」御厨が、身を乗り出して言う。


「ああ、その可能性も否定できない。多分、娘は誘拐騒動の前日か前々日に、母親の手によって、既に殺されていたのだと思うね」

「殺されていた? では、彼女は娘を、あの時エレベータには乗せていない。いや、乗せた振りをしたってことですか?」滝沢は、興奮して言う。


「あの日の朝も、瞳ちゃんはキッチンでコーヒーを作っていたと聞いているが、間違いないね」翔琉が、瞳に向かって問う。

「はい、そうです」瞳が応える。

「あのマンションはキッチンが通路側に面しているので、ちょっとした物音なら通路側にも聞こえるからね」

「あっ、それを確認しにいらっしゃったのですね」

 翔琉が頷き、瞳もそれを見て納得するように頷く。

「その音で、瞳ちゃんがキッチンにいることを悟った美代が、瞳ちゃんに、聞こえるようにして演技をした……、ということですか?」滝沢が詰め寄る。

 

「あの日……、梓ちゃん消失事件の前日のことだが、美代から娘とのを要望するメールがあったという証言があったが、取り敢えず父親本人に会って、そのメールの内容は確認した。そのメールには、『午後からどうしても外せない事情ができた』という文面の後に、面会の変更時間が記されていた。父親は、その時間に合わせ、指定された時間より少し早目に現場に向かったらしい。マンションのエントランスでしばらく待機していたときには、特に怪しいと思われる人物には遭遇していないという。彼は、腕時計で、約束の時間を確認すると、携帯の画面で、を再確認している。その後で、元妻の美代にインターホンで到着を告げたと証言している」


「ええ、そのとおりです」滝沢が首肯く。


「其処でだが……、仮に美代が、瞳ちゃんの部屋から聞こえた物音により、瞳ちゃんの位置関係を認識し、急遽それを犯行の偽装に利用したとは考えられないね。もしそうなら、そんな行き当たりばったり的な偶発的な事象を利用しての偽装工作ほど危なかしいものはないよ。少なくとも確実性に裏づけされた工作でなければ成功は覚束ない。そのために、瞳ちゃんの品行方正な行動パターンが利用されたのだろうね」


「ああ、なるほど」御厨が理解を示す。


「事件当日、瞳ちゃんは朝起きた時に、時計を見て起床時間を確認している。あの日も、通常通りの時間に起きたらしい。瞳ちゃんが、規則正しい生活を送っていることで、事件の時間的全貌が明白あきらかになったのさ。母親には、瞳ちゃんの休みが水曜日だということもわかっていたことだしね」翔琉が瞳に確認を取る。


「ええ、以前、そんな話をしたことがあります」瞳がそう言って大きく首肯き、翔琉を見詰める。

「では、母親の証言は虚実だったのですね」滝沢が呟く。


「ああ、それと……、あのマンションの構造と、エレベータの仕組みや速度。被害者当人同士の証言と現場検証。近隣の方と彼女のパート先での聞き込みなどから得た情報。それらから導いた私の結論だが……」


「何かわかったのですか?」


「一般的なマンションのエレベータの速度は分速30~60mだ。あのマンションのエレベータの長さは30m」

「……どういうことですか?」

「上から下まで一分かかるということだよ」

「つまり……?」

「父親がインターフォンで母親に娘の安否を確認したとき、母親は『二分前には、降りていったはず……』といったそうだ。怪訝おかしいだろう」

「えっ、どこがですか?」

「父親は階数表示ランプをずっと見ていたのだよ。エレベータが、一階から七階まで上がっていく状態からね。しかも、父親の話だとエレベータの扉が開き、誰も乗っていない状態を確認したと同時にインターフォンで連絡をとったという。連絡がとれたということは、既に母親は室内に居たということになるね」


「そうなりますね」


「エレベータが最初一階にあり、母親がそれを七階まで呼ぶ、そして一階に着く上下運動に要する時間だけで二分。更に、次のエレベータも確認するには、もう一度七階まで行って子供を乗せて一階まで降りてくる。この場合は、どう考えても四分以上の時間を要するだろう」


「ああ、そうか!」


「どちらにしろ、エレベータの一連の操作に費やす時間と、エレベータが止まっている時間、それと自室まで戻るまで歩行時間を足すと時間的に無理がある。それができるのは、瞳ちゃんが聞いた母親の声がした時間と、実際にエレベータを操作した時間とは違うということになる」


「えっ、そ、そうなのですか?」


「違うと言っても、エレベータがか、かの一分程の差だけどね」


「そ、それでは何故、母親はあの時『二分前』という中途半端な時間を言ったのでしょうか?」

「事前に、実際の時間を確認したのだろうね。エレベータが七階にある状態からボタンを押して外に出る。ドアが閉まって、動き出した瞬間から、一階に着くまでの時間を計ったのだろう。もちろん階数表示ランプで確認しながらね。それが、咄嗟に口に出てしまったのだろう」


「なるほど、正確に言ったことが裏目に出たということですか」御厨が感心する。


「美代はノイローゼのあまり、夜泣きする我が子に手を掛け殺害してしまった。彼女が、興奮状態から覚め、えらいことをしてしまったという後悔の念と、短絡的にその原因を夫に対する憎悪から結びつけられた責任転嫁。つまり、それによって自己防衛に走った結果、生み出された苦肉の復讐劇だと思うよ」翔琉は何処を見るでもなく、そう言った。


「夜泣きって赤ちゃんがするものではないのですか?」滝沢が問う。


「夜泣きは早い子だと生後三カ月頃から始まり、一歳半頃にはおさまる。生後八ヶ月頃には多くの赤ちゃんが夜泣きをし、遅い子だと二歳になっても夜泣きをする子供もいるが、ほとんど夜泣きをしない赤ちゃんもいるなど個人差はあるが……」そこまで言うと翔流はコーヒーを一口飲み、「夜泣きって、『かんの虫』という虫が原因だと、昔は信じられていたらしいよ」と付け足す。


「カンノムシですか……」御厨が呟く。

「まあ、『疳の虫』というか、要は『夜泣き』のひどいやつ――これは「発達障害」と呼ばれ、障害の一部である『夜驚症やきょうしょう』だと、小学校入学前から小学校低学年の児童に見られる症状だ」

 翔流が説明する。


「では、夫の不倫、離婚、親権問題、一人での子育て、子供の夜泣き、多分それぞれが度重なっての殺害なのでしょうか?」滝沢はそう言って、まだ何かが納得出来ないという表情を見せた。


「今回の事件は、若き女性が母親になるために必要な試練と覚悟――所謂、課程と義務と責任を放棄したことによる悲劇だ。母親になるということは、子供の成長とともに母親自身も成長することが望まれる」


「男性には到底わからない世界ですね」御厨が言う。


「男性にはわからない事象だからこそ、男性の立ち位置が大切になる。」

 翔流は、そう言って少し冷えたコーヒーを口に運んだ。


「そんなぁ……。それじゃあんまりよ!」今まで黙って聞いていた翼が、突然声を発した。「梓ちゃんに意思や権利は無いの? 誰が悪い、彼が悪いって、なんて自己中で身勝手な母親。そして利己主義な父親……。子供は……、子供は、親を選べないのよ!」


そこまで一気に喋舌ると、瞳は両手で顔を覆い嗚咽を漏らした。




          <了>

 【第四奇譚:「復讐は転嫁する/Revenge is imputed」】


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