復讐は転嫁する:第2話 消失


     ◇


 本田ほんだ正雄まさおは、毎月第一水曜日を楽しみにしていた。


 娘に会える――。


 月に一度だけの至福。

 どうしてこのような状況になったのか。

 全ては自分にある。

 自分の過ちが招いた結果なのだ。

 離婚の理由が、自分の浮気にあったことは否めない。

 過ちは、こんな形で応酬してくるのか。

 今考えると、間が指したとしか思えない。

 しかし、そこに愛が無かったとは言い切れない。

 だったら、浮気とは言わないのでは……、とも思う。

 浮気相手を責めるなどという気持ちは毛頭ない。 

 しかし、たかが一度の過ちがこのような結果になろうとは……。


 浮気の相手は、正雄が店長をしているレンタルビデオショップで、アルバイトとして雇った女子大生だ。


 正雄は、新米の彼女に対して指導しているうちに、彼女が時折見せる艶かしい視線や態度から、彼女は自分に好意を寄せているのではないかと感じた。

正雄は、それ以来というもの、なるべく彼女を意識しないようにと努めた。それが却って、不可なかったのかも知れない。


 職場の飲み会があった日、解散と同時に彼はタクシーに乗ろうとした。

 その時、同乗してきた数名の中に彼女がいた。

 それぞれが途中で下車し、気がついたときには、彼女と二人だけになっていた。

 その夜、正雄は彼女とホテルの一室で一夜を共にした。

 それからは、成り行き任せで交際が始まった。

 当初、自分には、妻と生れたばかりの女の子がいることを聞かれないのをいいことに、彼女には黙っていた。


 ある日突然、「妻子がいても私はかまわない……」、と彼女のほうから泣きながら言ってきた。

 しばらく経って、店のスタッフの中から二人の関係を訝しむ声が出てきた。

 それから、職場には気まずい空気が流れ始めた。

 そうこうしているうちに、二人の関係が妻の知るところとなり、夫婦関係は取り返しのつかない泥沼へと加速し、離婚問題へと発展した。


 離婚協議で揉めているときに、彼女は、あっさりとバイトを辞めた。

 そして、離婚が成立した途端「子供がかわいそう。もう終わりにしましょう……」と、今更ながら無責任な言葉を言い残して、彼女は去っていった。


 それで、ふたりの関係は終わった。

 あまりにも突然で、あっけない幕引きだった。

 すべてに、片が付いた時、正雄は天罰が下ったと思った。

愛する者をすべて失った。


 悪いのは自分だと、自分を責め、そして、結局運がついていなかったのだ――と自己規制が無意識に働き、ようやく立ち直ることができた。


 正雄に残されたものは、ただひとつ、我が子に対する深い愛情だけとなった。


 娘に会える――。

 そのことだけが、今の彼には、生きる支えとなっていた。


 政雄は、携帯の画面で娘と会える時間を確認した。


     ◇


 エレベータは、ゆっくりと階下へと降りていく。

 美代は、インターフォンから聞こえてきた正雄の声にも、まだ冷静になれない。

「今、エントランスに居る」

 ただそれだけの会話ではあったが、美代の躰が……、頭が……、拒否反応を示した。

 吐き気と腹痛を同時に感じ、軽く眩暈もした。

 とにかく、もう会いたくはなかった。


 美代は、エレベータが一階に着いたのを確認して、部屋に戻った。

 リビングには、娘が遊んでいた玩具が転がる。

 それを、片付けながら美代は溜息をついた。


 美代が正雄と始めて出会ったのは、彼女がアルバイト情報誌でみつけたレンタルビデオショップの面接に受かり、そのバイト初日のことだった。

 最初に紹介された彼は、当時大学生で、美代より一年ほど先輩のバイト生であった。


 彼は明るく真面目で、美代に対してとても親切に接してくれた。

 彼は、店の上司や同僚にもいたって評判がよく、彼の笑顔と優しさが、じわじわと美代の心の中に沁みていき、彼女のとっては大きな存在として住み着き出した。

 それから、間もなく二人は交際することになった。

 そして、お腹の中に子供が宿るまでは、それほど時間は要しなかった。


 (ピンポーン、ピンポーン……)


 インターフォンの呼び出し音に、美代の回想は破られた。

 美代は立ち上がって、インターフォンに向かった。

「はい……?」


 インターフォンから聞こえてきたのは、予期もしない正雄の声だった。

「いつまで待たせるんだ。早く梓に合わせてくれよ」


 ――えっ?


「梓は、二分前には、降りていったはずよ」


「何を言っているんだ。いくら待っていてもエレベータからは、誰も降りてこないぞ」


 ――そんな馬鹿な?


「あなたこそ、何を言っているの。梓をエレベータに乗せて、そのあと階数表示ランプで、ちゃんと一階に着くのを確認したんだから……」


「じゃあ、どうして乗っていないんだ!」


「どうしてって……、私にはわからないわよ!」


「それなら、梓は、途中で消えたとでも言うのか!」


 ――消えた?


 梓が、消えた……。


 本田正雄の通報により、太秦うずまさ署から警察関係者が、引越し屋を装って山崎美代の入居するマンションへとかけつけた。


 本田正雄と山崎美代から事情聴取をし、彼らから得た証言を基に、誘拐事件として捜査員による賢明な捜査が行われた。


 正雄から、娘との面会は『月に一度、第三水曜日の午前十時~午後六時』と決められていたというのだが、この日は元妻の美代に、やむを得ぬ事情ができたということで、娘との面会時間の変更を要望するメールが前日にあり、メールには、『午前七時』と、変更時間が記されていたと証言。そのことは、携帯の履歴で確認された。

 このことから、犯人は内情に通じている者の中にいるのではないかと推測され、犯人の割り出しの有力な情報として重視された。

 しかし、いつまで経っても誘拐犯人からは何の要求も動きも見られず、秘密裡に行われた聞き込み捜査からも、これといった重要な手がかりは得られなかった。


 こうして事件は、暗礁に乗り上げたまま三週間が過ぎた。

 幼女を誘拐した目的が金ではないと確信した京都府警は、これ以上長引くことを危険と判断し、人質の命を優先に執っていたマスコミ関係者との報道協定を解いた。


 それにともない、幼女消失事件として、梓ちゃんの顔写真入り公開捜査へと切り替えた。


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