第四奇譚:「復讐は転嫁する/The revenge is imputed」

The revenge is imputed

復讐は転嫁する:第1話 目撃


     ◇


「さあ、あずさちゃん。お父さんが一階で待っているわよ……」


 エレベータの前でそういうと、山崎やまさき美代みよはエレベータ内のパネルで一階のボタンを押した。


 賃貸マンションの最上階――七階に美代の自宅がある。


 美代は、四ヶ月ほど前に夫と協議離婚したばかりである。

 性格の不一致というのが表向きであったが、実際は夫の浮気が原因であった。

 離婚にあたって、今年二歳になったばかりの一人娘――梓の親権者には彼女がなった。


 慰謝料や養育費は、美代の望んだ金額で、一応、けりは付いたのだが、ただひとつ、相手側が、娘との面会交流権を要求してきた。


 そこで当事者同士の話し合いによって、面会交流の可否、その方法、回数、日時、場所といった具体的な内容を話し合うこととなった。


 美代は、その条件を呑んでもいいが、自分と夫が直接顔を合わせ無い方法での面会を望んだ。


 娘とは、月に一度、第三者に引き渡しを頼むなど、対面での接触がない方法での面会……。

 その方法は、後日、母親側が提示し、父親側はそれに従う、というものだった。

 夫は渋々ではあったが、その条件を承諾し、何とか双方の折り合いはついた。



 美代が、このマンションに引っ越してきたのは、それからすぐのことである。

 商店街がすぐ近くにあり、日々の必需品や消耗品、夕食の買い出しにも便利な立地という好条件に惹かれて決めた物件だ。


 美代が後日、相手側に提示した父親と娘の面会方法が、『母親は娘をひとりでエレベータに乗せ、一階のエレベータホールで父親が娘を迎える』というものだった。

 この方法だとお互いに顔を合わさなくても済むし、子供も安全だ。

 美代が考えた方法である。

 この方法で、既に二回、面会交流がある。

 娘を元夫に月一回会わせる条件――今日は、その三回目の日だ。

 この条件すら、今の彼女にとっては、煩わしさのひとつなのかも知れない。


 エレベータ内で一階のボタンを押し、ドアが閉まる前にエレベータから降りた美代は、ドアが閉まるのを確認すると、下降を告げるランプの行方を眼で追った。


     ◇


 森川もりかわひとみはベッドから出ると、その足でキッチンへと向かった。


 今日は休みの日なので、昼近くまで寝ていればよかったのだが、意に反して普段通りの時間に眼が覚めてしまった。

 平日だろうが休みの日だろうが、起きる時間は変わらない。

 いつもことなのだが、これは多分、脳の何処かにそういった習慣がステートメントされているからなのだろうと、彼女は思った。


 洗面所で、鏡を見ながら歯を磨き、顔を洗う。

 ノーメイクの顔も、そう悪くはない……、と取り敢えず自己採点をする。


「今日は……、八十てーん」


 そう言いながらキッチンに向かうと、冷蔵庫から取り出したペットボトルの天然水を薬缶に入れ、ガスコンロで湯を沸かす。

 その間、食器棚から子猫の絵柄が入ったコーヒーカップを取り出し、インスタントコーヒーと、グラニュー糖をスプーンに一対二の割合で入れる……、それが、彼女の好みの分量だった。

 その上から沸騰した湯を灌ぎ、これまた冷蔵庫から取り出した牛乳を、目分量で少しだけ垂らす。いつものパターンだ。


 瞳は、コーヒーには全く拘らない。というより、あまりよくわからないのだ。

 ドリップやサイフォンを使用してのコーヒーも悪くはないが、時間と手間がかかって、何とも煩わしい。家庭で飲むのは、インスタントで十分だと思っている。

 瞳は、息を吹きかけ、少し冷ましてからコーヒーを一口飲んだ。


 まだ、ぼうっとした頭を左右に振ると、いつもどおりに玄関に朝刊を取りに向かった。

 瞳の部屋は、エレベータホールの斜交に位置している。


 瞳が、新聞受けから朝刊を取ろうとしたとき、ドアの外から、

「さあ、梓ちゃん。お父さんが一階で待っているわよ……」

 と言う声が聞こえてきた。


 瞳は、その声に聞き覚えがあった。


 ――ああ……、そうか。


 それは、四ヶ月ほど前に、同じ階に引っ越してきた親子……、その母親の声だ、と瞳は思った。


 引っ越してきた当初は、夜泣きをする子供の声がよく聞こえてきていて、近所でも少し問題になった。


 子育ての期間中、母親は睡眠不足や、時間の束縛によりフラストレーションがたまり、子供がある時期に達するまでの日々は、母親は育児ノイローゼにかかり、かなり精神的に滅入るとも聞く。


 私にはとうてい無理だ――と、瞳は思う


 しかし、母性本能と理性が、それらの不安より勝り、育児が成りたっていることも理解できる。

 しかも、子供の成長はめまぐるしく、そして著しい。

 成長過程における様々な問題は、ある時期までの通過点――現象だと捉えることで救われる。

 ここ最近では、薩張り子供の泣き声が聞かなくなったのは、多分、この子供も夜泣きの時期は既に治まったのだろうと瞳は理解していた。


 玄関のドアスコープから外を見ると、母親らしき女性がエレベータの前で佇んでいる後ろ姿だけが見えた。


 ――やっぱりね。


 瞳は、朝刊を取るとコーヒーカップを片手に、いつも通りにリビングへと戻った。


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