数学は遊戯する:積/Product


      ◇


「以上が数十年前に、鞍馬口の屋敷で起こった首切り殺人事件の概略です。その当時、私はまだ刑事になりたてで、直接この事件には関わっていませんが……」


 京都府警刑事部捜査第一課長の風間武嗣は話し終えると、新しく注がれたビールを一気に飲んだ。そして、「――いかがです。犯人の見当はつきましたか?」と一同に問う。


「話しをするのが、お上手ですね」

 翼が言う。


「いえ」と風間が短く言って頭を掻く。


「それでは、お訊きしますが……、関係者全員の部屋割りは?」

 翼が、先陣を切って質問する。


「ああ、そうですね。まず一階には家政婦の牧野知子。一階には彼女の部屋があります。彼女だけが一階です。それと、二階には萩本祐樹監督、作家の田月学、その友人で吟遊詩人のシンジン、作曲家のマルモ磯田、そして水沢リオナのマネージャの戸倉文孝の男性五名が、それぞれ個室の部屋に泊まり、そして、三階には沙耶香と卓の個人部屋が一室ずつあり、それ以外の部屋には紗耶香の友人の栗花落美雪、藤堂薫の両名。この彼女たち二人だけは同室になっています。後の、女優の水沢リオナと出版社の片桐未瑠は、この二人は個室となっています。四階は、エレベーターの扉が部屋へのドア代わりとなっていて、ドア開くとそこからが惣司彬の書斎と寝室になっています。これは、車椅子での移動に配慮された設計でそういう構造となっているそうです。それと、その部屋の側面に設置されたドアの外には、エレベータの機械盤と階下への階段があります」


「そのエレベータは、通常誰でも使用できるのですよね?」

 続けて翼が問う。


「ええ。しかし、防犯のために彬が四階にいる間だけは、使用不可能な状態にできるようになっています」


「それは?」


「ええ、彬の部屋から操作できるようになっているのです」

「その部屋以外からは操作できないのですか?」

「いえ、四階の機械盤でできるそうですが、素人には難しいでしょうね。あっ、それから、エレベータが使用できるときは、各階のエレベータ乗り場の上部に『使用可』の緑のランプが点灯され、それでエレベータの使用不可が確認できるようになっていてます。それと、日常の家政婦の牧野知子との連絡は、台所と彼女の部屋に設置された室内用インターフォンで行っていたそうです」


「これは、密室殺人ですね!」

 翼が、突然目を輝かす。


「ええ、そう見えるかも知れませんね。その時も関係者はそう思ったようです」


「違うのですか?」


「この事件は既に解決していますから……」


「ああ、そうでしたね」

 翼はその言葉で納得した。


「では……、次は私からの質問ですが、彬がこの中の誰かと、いざこざがあったなどという事実はないのですか」

 横から京都府警刑事部捜査第四課の武藤健吾警部が訊く。


「動機ですね」風間が確認する。

「ええ」


「監督の萩本祐樹は、自分以外に彬氏と、親しい人物はいないはずだと言っています。それと、家政婦の知子や長男の卓からは、金品が盗まれたというような形跡も、どこにも見当たらないと証言しています」


「それじゃ、利害関係か怨恨? その夜、彬と犯人との間に何かがあり、それが殺人の動機に結びついたとも考えられるのね」翼が言う。


「財産目当てか保険金目当てと考えると、長男の卓か、妹の紗耶香になるが……」


「長男の卓が、怪しい! だいたいこういうのは、サスペンスドラマでは財産目当ての身内の犯行だと相場が決まっているのよ」

 突然、東儀家の家政婦、塚原加代子が、翼の兄、翔琉からの注文であるコーヒーをテーブルに置き、眼を輝かせながら叫んだ。


「加代さん。 テレビの見過ぎよ!」

 翼が突っ込む。

 加代子は、翼の方に顔を向け、チョロっと舌を出して、その場を退散する。


「外部からの侵入者の、犯行の可能性は?」

 京都府警刑事部捜査第二課の吉川義光警部が、メガネのフレームの位置を直しながら、横から話しを変える。


「屋敷の門は固く閉ざされていたと、美雪さんが証言していることから推測するとそれはないといっていいでしょう。もし万一、侵入者があったとしても、それほどたくさんの人がいるところに侵入して、エレベータ内で殺人を犯し、逃走したとは到底思えません」風間が言う。


「ええ、そうですね」そう言って、吉川は黙り込む。


「犯行現場は、エレベータの中ですか?」

 武藤が、口に頬張っていた握り寿司を飲み込んで言う。


「そうかもしれないし、違うかもしれません。何しろ被害者の血痕はエレベータ内からしか発見されていませんから……」風間はそう言って、「それと、言い忘れていましたが、体内からは、睡眠薬が摘出されています。それと死亡時刻は、発見時刻からそう遠くない時間です」


「じゃあ、エレベータが四階に止まっていた間の犯行……?」

 翼はそう呟き、それだけの資料で推理しろとは、無理だと思う。


「三点だけお聞きしてもいいですか?」

 今まで黙って、みんなの遣り取りを聞いていた翔琉が、コーヒーを口にして言った。


「ええ、どんなことですか?」


「ええ、ひとつが、そのエレベータに換気口があったかどうか。もうひとつが、あった場合ですが……、エレベータ内に飛び散った血痕は、そこにも付着していたかどうか、最後にエレベータの点検作業に立ち会ったのは誰か……。それだけで結構です」


「ええ、前項の問いのふたつは翔琉さんのおっしゃるとおりです。三つ目の問いは、エレベータの点検作業に立ち会ったというか、見物していたのは被害者の彬は勿論のこと、被害者以外には萩本祐樹、田月学、シンジン、マルモ磯田、惣司卓の五名です。そして、点検完了時に家政婦の知子が現れたという次第です」


「思ってたより、人数が多いですね」

「まあ、ふだんそんなところ見られませんから、みんな興味本位で集まってきたのでしょう」


「なるほど……」翔琉が頷く。


「なるほどって……、もしかして、わかったの?」

 翼が、翔琉を顧みて言う。


 一同は翼の視線に倣って、同じように翔琉を見遣った。


 それらの視線を一身に受けて、翔琉は言う。

「トリックとしては、古典的だね。たしか江戸川乱歩の小説の中にも、同じようなものがありましたよ」


「へぇ、乱歩ですか? それで?」風間が結論を求める。


「つまり犯人は、四階に設置された機械盤、つまり電気制御装置を操作してエレベータを手動で動かし、エレベータの天井が三階に止まる位置に移動させ、三階のドアを開けてシャフト内部に侵入し、エレベータと連動しないシャフトの上部にピアノ線の一方を取り付け、もう一方はエレベータの天井の換気口から垂らしておきます。その状態にしておき、シャフト内から外へ出ます。それから、もう一度四階に行き、『使用可』の状態にして三階に戻り、外からエレベータの昇降ボタンを押し、丁度三階で止まるようにします。それに乗って四階へ、その段階かは別にして、ピアノ線の長さを計算し、先に輪を作っておきます。四階に着くと、どうやって飲ませたのかは不明ですが、眠っていた彬に睡眠薬を飲ませ、車椅子に乗せ、手押しでエレベータまで移動させたのちに、先程作っておいた輪を首を潜らせたのです。そしてエレベータ内部の昇降ボタンで三階に降りて――」


「えっ? それじゃその時点で首が……」翼が疑問を投げる。

「だから――最初からピアノ線は、その分長めに計算されていたんだよ」


「でもいくら長めと言ったって、ピアノ線って精々二メートルぐらいの長さしかないんじゃあないの?」

「直棒の場合はね。でも犯人は『輪取り』を用意していたんだよ」


「輪取り?」

「ああ、『輪取り』とはピアノ線を緩く巻いた状態のことで、それだと百メートルでも購入可能なんだよ」


「へえ~、そうなんだ」


「つまりそれを使って、四階から三階までの距離なら何も起きないように長さが細工されていたということだね」

 東儀家の当主、東儀慎一郎が補足する。


「ええ。では、いいですか? 話を続けます。そこで犯人は、三階でエレベータから出ます。あと、もう一度階段から四階に行き機械盤を操作して、エレベータを四階の位置に戻します。あとは階段を使い犯行現場から一番離れた一階へと下ります。トリックを仕掛けた犯人としては、安全圏にいるのが必然です。あとは、誰かがそのエレベータを使うのを待っていればいいのです。エレベータは下降すれば、首に通したピアノ線の輪が締まり、首が切断されるか、そうでなくとも、致命傷を負わすことは可能です。ピアノ線は、エレベータが下降することにより引っ張られ、換気口から消えて無くなります。そのピアノ線は、後で回収したのでしょう」


「それが殺害のトリックですね。で、犯人は?」風間が詰め寄る。


「その前に、ここでは、動機については述べられません。惣司彬と犯人の間に何があったのか……、殺人にまで至るその動機となるもの何なのかは、ここでそれを論じても、所詮、想像の範囲を超えることは出来ません。犯行動機の理由づけは、犯行を行った当事者以外が納得するための材料に他ならない。納得できないことは動機としては成り立たないのです。個人の客観は主観の中にありますからね」


 一同が肯き、翔琉の最後お言葉を待った。


「しかし、これだけは断言できます……」

 翔琉は少し間を空けて言った。


「犯人は、――だということです」


「その、証拠は?」

 風間が、論証を求める。


「犯人以外、その場所にいる必要がないからですよ」


「ん? どういう意味ですか?」

 吉川が首を傾げる。


「マルモ磯田は、事件発生と同時に、犯行現場からは一番遠くにいて、事件の成り行きを知ることができる一番近くの場所に居たではないですか」


「あっ、そうか! 自分が仕掛けたトリックの成果を確認するとともに、自らのアリバイ作りも同時に行うことになるってことね」翼が声を張り上げる。


「ああ、エレベータの降下ボタンを押すのは誰でも良かったのさ。自分以外の人物ならね。起きてきた人間に、エレベーターに乗るように誘導するだけでいい。もし、ロビィに誰も来なくても、家政婦の牧野知子が主人に朝食を運ぶときエレベータを使う。それでも結果は同じで、彼がそこにずっといたことが証明される」


 一同は、納得できたかのように、お互いに顔を見合わせて頷き合う。


「後日談ですが、マルモ磯田は、五年前に彬が起こした交通事故の被害者――斎藤孝明の長男で、本名を斎藤守さいとうまもると言います。彼は、その時高校生で、その事故は示談が成立して終結していますが、その事故の一年後に同乗していた母親が昏睡状態のまま病院で亡くなり、父親は、その事故で負傷した腕の後遺症で、それまで勤めていた下請け工場での仕事が続けられなくなり退社。仕事を転々とした挙げ句、母親の後を追うかのように首を吊って自殺。その上、後遺症を患って長年車椅子生活をしていた妹も、昨年秋に亡くなっていたそうです」


「あっ、そうか。マルモ磯田は、車椅子の妹さんとの介護経験もあったのね。それに、マルモ磯田は、本名のアナグラムだったのね」


 一同は翼の言葉に首肯く。


「それにしても……」 翼は、眉を顰め唇をかみしめて項垂れた。


「翔流さん、あなたと同じ推理をした人物を、私はもう一人だけ知っています」

 風間が翔流の目を直視して言う。


「えっ、その人物は?」

 武藤が躰を乗り出す。


「その人物は――」


「栗花落美雪さんですね」

 翔流は躊躇なく言う


「ええ……、でも、何故彼女だと?」

 風間が驚いたように聞き返す。


「だって、この事件は、もう既に解決している過去の事件ですよ。風間さんは、最初から彼女の証言を基に、このお話をなされている。つまり彼女の証言こそが真実であり、問題を提起する側の中立性と正当性を保っている――恰も、彼女という客観は主観にあるかのように……」 


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