数学は遊戯する:乗/Multiplication


 リビングでは、やはり、兄の翔琉を挟んで話が盛り上がっているのが、ありありと見て取れた。

「そうなんですか。翼さんがね……」


 ――何っ? 翼が何だって? 本人の居ないところで話題にされている。私が何だっていうのだ……?


「よっ、噂をしていたらご本人の登場だ」


「何のこと?」

 翼は、なるべく冷静に尋ねた。


「例の、琵琶湖で起きた事件のときの話ですよ」武藤が言う。

「翼さんは、歌がお上手なんですね。僕なんか音痴で、まるでドラえもんに出てくるジャイアンみたいですよ」


「えっ? 何のことですか?」


「今、お聞きしましたが、何やら、琵琶湖の別荘に招待されたときに、リンダ何とかというアメリカ人女性シンガーの歌を、来賓の皆さんの前でご披露したそうですね。それもアカペラで。是非、僕たちにも一度お聞かせ願いたいものですね」


 ――余計なことを……。


 翼は翔琉を睨む。


 兄は、翼の親友の森川瞳もりかわひとみか、お喋り好きな岡田蘭おかだらんからでも聞き及んだのだろうと思った。


「いいえ、私よりも兄のほうがずっと上手だと思いますよ。何しろ昔、人前で楽器の演奏を披露していましたから……」

 翼が、含みを持って言う。


「えっ? 本当ですか?」

 一同が、翔琉のほうに一斉に顔を向ける。


 翼は「やった」と、心の中でガッツポーズ。

 矛先を向けられた翔琉は、「ええ、楽器の演奏といっても、町内会の子供祭りで和太鼓を少々叩いた程度ですがね。歌は……、人様に自慢できるほど音痴です」と、受け流す。

「確かに楽器の演奏だ……。ははは」武藤が妙に納得して笑った。


 そこで、寿子がビールを注ぎながら、風間警視に耳打ちをする。

 風間は「えっ、そうだったんですか……」と言って、見開いたままの目を翼に向けた。


 ――ああ……。

 先ほど、寿子が、任せておいて……、といってたけど、何を彼に耳打ちしたのだ?

 翼は少しばかりの期待と、絶対数的な不安を心に抱いた。

 

「ああ、それはそうと、紅葉が綺麗な季節になりましたね」窓の外を見ながら、風間が突然言った。


「ええ、今が正に見頃ですよね。ここに来る道中、そこら中の樹木が色づいて、本当に綺麗でしたよ」

 翔琉が窓の外を見ながら言った。


 ――ずっと寝てただろう……。まあよくも、ぬけぬけと……。


 翼はあきれ返り、翔琉を一瞥する。


「では……、紅葉には何故、赤いのと黄色いのがあるのか知っていますか?」

 風間が一同を見渡して問う。


「黄色のは、赤くなる前の状態では無いのですか?」寿子が訊く。


「違いますよ」

「違う? 今までそう思ってたけど……」


「簡単に言うと、木の種類と、仕組みの違いですね」翔琉が言う

「簡単すぎて、よくわかるわ」横から厭味ぽく、翼が言う。


「翔琉さんが言ったので正解なんですが、もう少し詳しく言いますと、葉には、クロロフィルと呼ばれる緑色の色素と、カロチノイドと呼ばれる黄色の色素があります。通常は、クロロフィルの方が圧倒的に多いので葉は緑色に見えているのですが、気温が低くなると、クロロフィルが分解されカロチノイド由来の黄色が目立つようになってくるのです。イチョウなどの木々は、このしくみによって葉が黄色になり、また、落葉の準備が始まると、光合成によって作られた糖からできるアントシアニンという赤い色素が茎に移動できなくなり、葉が赤くなるのです。ちなみに、イチョウなど、葉が赤くはならない木々は、アントシアニンを作られないからです」


「少し、わかったけど……」

寿子が呟くと、横から翔琉が補足しだした。


「初秋から冬にかけて気温が低下していくと、葉を落葉させるために、葉柄の付根の部分に離層と呼ばれるコルク層が形成されるんだ。これができると、葉と枝の間で水や光合成で生産された糖などの養分の流れが妨げられてしまい、その際、葉を緑色に見せていた葉緑素のクロロフィルが老化、分解され、光合成により作られた糖分が葉に蓄積されてアントシアンという赤い色素や、カロチノイドなどの黄色の色素が目立ってくる。これらの過程を経て、色素が絶妙なバランスで混ざり合った時、紅色、黄色などの見事な紅葉が現れるんだよ」


「そう。でも……、何故、わざわざ赤い色素を作らなきゃならないの?」


「その理由として、天敵であるアブラムシの嫌いな色が赤だからとか、冬眠するための冬支度だとか、諸説あるが、今のところ定説は無い」

きっぱりと翔琉が言う。


「何それ? 結局、わからないということね」


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