第三奇譚:「数学は遊戯する/The mathematics performs a game」

第一章 数学は言語である/Mathematics is the language

数学は遊戯する:加/Addition


 紫桐しとうつばさが運転する黒のミニク―パSの助手席には、兄の翔琉かけるが眠っている。

自宅を出発してから、ずっと眠ったままである。


 二人が今、向かっている先は、母方の本家である東儀とうぎ家だ。

 昨日、伯母の東儀寿子ひさこから久しぶりに電話があり、急用があるので明日、兄妹揃って東儀家を訪れるように……、とのことだった。


 急用とはいったい何かと、勘繰りながらも取り敢えず訪問することにした。

 翼が、東儀家を往訪するのは久し振りのことだ。

 今年に入って、まだ一度しか訪れていない。


 ――そういえば年頭の挨拶に、兄と一緒に行ったきりだ。


 翼は、車中から見える山並みが、既に紅く色づき始めていることに気づいた。


 ――となると、約十ヶ月ぶりの訪問となる。

 翼は、流れる景色にそれを再認識した。


 翼が、あまり本家に出向かない理由はいたって明白だった。

 決して伯父が、嫌いなわけではない。

 いやむしろ、心から感謝しているし、とても敬愛してといって良いくらいだ。

 ただ、会うごとに「結婚はまだか? 彼氏はできたか?」と、伯父から口癖のように言われる。

 それに対して、いちいち言い訳じみた返答をすることが、翼には億劫であった。

 それが、一番の理由だと答えるだけで十分だろう。


 ――たぶん、今日も言われる。


 翼は、そう覚悟してハンドルを握る。

 紫桐兄妹には両親がいない。

 翼が十六歳の時に起きたある事件で、一度に両親を亡くした。

 その後、二人を引き取り、親代わりとなって少なからず援助してくれたのが、東儀家の当主、慎一郎しんいちろうであった。


 慎一郎は、亡くなった母親の兄にあたり、二人を大学卒業まで面倒を見てくれた。

 現在に至っても、何かにつけいろいろと便宜を図ってもらっている。

 東儀慎一郎は、元警察庁の警視監である。

 今は、退職して実家である京都の、この家で悠々自適の生活をしている。

 警視庁の元警視監――そのお蔭かは定かではないが、二人が生業とする探偵業も、それなりには繁盛してはいる。


 但し、浮気調査と、素行調査がメインではあるが……。


 慎一郎には娘が二人いる。

 翼とそう変わらない年齢だが、長女は既に結婚しているし、妹は警視庁に勤めていて、二人とも今はこの家にはいない。

 今は、慎一郎と寿子。それに家政婦の塚原つかはら加代子かよこの三人が住んでいる。


 東儀家は、高台の閑静な住宅地に一際目立つ大邸宅で、広大な敷地を保有する。

 邸宅の周囲を取り囲む塀の上からは、紅葉した樹木が覗く。

 中央ゲートのインターフォンで往訪を告げると、ゲートが開き、翼は駐車場に車を向けた。

駐車場には、既にセダンが四台ほど駐車されていたが、翼はスペースを見つけて車を駐車した。


翼はシートベルトを外し、翔琉を起こす。


「ああ……、やっと着いたか」

 伸びをしながら翔琉が言った。


「寝ていたくせに」翼が愚痴る。


「おっ! 翼、見てみろ。紅葉が見事に色づいている」


「今頃何いってるの。そんなことより、急用って何かしら……?」

 翼が尋ねた。

「お前の見合いの話じゃないかい?」

 翔琉がシートベルトを外しながら、さらっと言い放った。


「やっぱりそう思う?」翼は溜息をついた。

「いつものことだよ」

 そう言うと、翔琉はもう一度伸びをした。


「ご馳走でも食って、酒を飲んで、のんびりしようや」

 翔琉はドアを開け、車から降りた。


「他人事だと思って……」

 ぶつぶつ言いながら、翼も車から降りる。


「よーし、今日はトコトン飲むぞ!」

 翔琉は浮き立つ様子で、一人で玄関へと向かう。


 ――お酒が飲めれば、それでいいのかよ。


 翼は、翔琉の背中に吐いた。

 翼は、翔琉の後からついて行く。

 翔琉が玄関のドアフォンのボタンを押すと、スピーカから家政婦の加代子が応えた。

ドアが開けられ、加代子が玄関先で出迎えた。


「いらっしゃい。みなさんお待ちかねよ」

 加代子の後ろから、寿子が姿を現し、笑顔で二人を迎えた。


「ああ……、ご無沙汰しています」

 翔琉が挨拶する。翼も倣って挨拶する。


「挨拶は後にして、さあさあ、上がって」

 玄関には、いくつかの履物が整頓されて並んでいる。


 ――えっ?


 翼の心中は穏やかでは無くなった。

 二人は寿子の後に続き、広々としたリビングへと向かう。

 リビングに這入るなり、翼は中央のテーブルを囲んでいる一同の視線を浴びた。


「よお、現れたな」

 慎一郎が、ソファから立ち上がって二人を迎えた。


「ご無沙汰しています」

 翔琉が、先程と同じ挨拶を繰り返す。


「まあいいから、こっちに来て座りたまえ」

 翔琉と翼は、指定された場所に座った。


「これが私の甥の、紫桐翔琉君と妹の翼ちゃん。兄妹揃って名探偵だ」

 慎一郎が、その場にいた他の連中に二人を紹介した。


 そして、伯父の促しにより自己紹介が始まった。

翔琉の前に座っている人物から順番に、京都府警刑事部捜査第一課の御厨みくりや賢二けんじ警部。

彼のことは、翼もよく知っている。


 御厨警部の隣が、京都府警刑事部捜査第一課長の風間かざま武嗣たけし警視。翼の幼なじみで刑事の滝沢たきざわ正人まさとの上司である。


「お名前は、よく伺っております」と風間が会釈をして言う。

「ロクな噂じゃあないでしょうけれど……」翼はそう言って、御厨を睨んだ。


 御厨が手首を顔の前で小刻みに左右に振って、否定する。

「いえ、噂どおりに、お綺麗な方だ」

 風間の発言に、一同は頷く。


「お世辞だとわかっていても嬉しいです」

 翼は、にこりと笑って頭を下げる。


 風間の隣に座っているのが、京都府警刑事部捜査第二課の吉川よしかわ義光よしみつ警部。

「趣味は読書と音楽鑑賞です」と彼は言う。禄無しメガネをして、真白なドレスシャツに、ダークグリーンのネクタイを締めた顔は少し神経質そうだが、作りはどちらかというと二枚目のほうである。


 吉川の隣には、京都府警刑事部捜査第四課の武藤むとう健吾けんご警部。

「全国警察官柔道大会で優勝したことがあります」と、自慢するだけあって腕の太さが翔琉の太ももよりも大きい。前ボタンをきちっと留めた背広が、悲鳴を上げているように張り裂けそうだ。かなり身長もあり立派な体格だが、その顔は温厚で優しそうである。


「どうだ、翼ちゃん。良い男ばかりだろう」

総一郎が、満面に喜色を湛えて言った。


 ――やっぱり


 翼は伯父の顔を睨み、溜息をついた。


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