エピローグ

素数は無限にある:ふたつの事件のエピローグ


     *


「あっ、滝沢さん」ドアを開け入ってくるなり、滝沢の姿を見つけた翼が呟いた。

「ああ、翼さん。お帰りなさい」滝沢はバツが悪そうな顔をして言った。

 森川瞳と岡田蘭が「お邪魔します」と言って、翼の後から入って来た。

「お疲れさま、大変だったね」翔琉はそう言って、三人を迎える。


「結局、彼の殺害動機は何だったの?」ソファに腰掛けると、開口一番に翼が言った。

「博和の勘違いが、全ての犯行を誘発してしまったのだよ」

「勘違い?」

「ああ」翔琉は、博和の生い立ちを説明した上で答えた。「知乃さんのことを実の妹として疑わない博和の心は、常に彼女に向いていた。妹が正明氏に恋心を抱いていると悟った彼は、彼なりに探りを入れた。そこで、正明氏と郁子さんの関係を知ってしまった。妹を不憫に思った兄の屈折した愛情表現――それが、すべてなのだろう」

 一同は、頷いて黙りこんだ。


「あっ! ねえ、結局、あのクイズの解答は?」蘭が、突然思い出したように翼に尋ねた。

「あのクイズって?」滝沢が興味津々な顔をして言った。瞳がクイズの問題を繰り返す。

「背理法を使うのだね」問題を聞き終わるとすぐに、翔琉がぽつりと吐いた。


「ハイリホー? ああ、昔あった某ハンバーグのCMですか?」滝沢が言う。

「そうそう、ハイハイ、ハイリホーって、違うわ!」蘭が突っ込む。

「ちなみに、あのCMは、ジャズシンガーのキャブ・キャロウェイの『ハイデホー』が元になっているらしいわよ」瞳がちょっとした博学を披露する。


 三人がワイワイ騒いでいるのを尻目に翼が説明を始めた。

「『素数の無限性』については、古代ギリシャの数学者ユークリッドが、『ユークリッド原論』の中で、背理法によって証明しているのよ」


「否定命題は、背理法で証明するっていうのはわかるけど……いざ、それを証明しろと言ったって……」蘭が悔しそうに口を挟む。


「ええ、まず、素数は『1とその素数自身でしか割り切れない正の整数』でしょう。そこで、ユークリッドの証明では、背理法を使って、『もし素数が有限個しかなかったら』と仮定したうえで証明していくの。そう仮定した場合、その中に『最大の素数』というものが存在することになるわよね。その数を『p』として、『すべての素数の積』を『q』とする。『q』の次の整数が『r』、すなわち、『r』は『q』に1を足したもの。この『r』は、どの素数で割っても1余るでしょう。だとしたら『rは素数』で『p』よりも大きいということになるわよね。よって、『p』が最大の素数だという前提がおかしいということになり、『素数は無限にある』という証明になるのよ」


「理屈ではわかっていても、そうやって言葉で証明するのは難しいわね」瞳が横から言う。


「言葉は、言う相手と聞く相手の間に共通の語彙認識がなければ、相互解釈は難しい……。あっ、そうだ」と思い出したように、翔琉は言った。「あの『もにかにみらかにみに』という言葉にも何か意味があるのでは……、と少し気になって考えてみたのだが……」


「何か意味があったのですか?」滝沢が詰め寄る。


「最初は、これもアナグラムの一種なのかと、平仮名、ローマ字と並べ替えを、いろいろと考えてみたが、特にこれといって意味のありそうな配列はなかった。そこで、そのまま素直に文字を見ていると、全てに共通のワードが出てきた。断っておくが、ここからは飽くまでも、僕の想像に過ぎないことだからね。」


「それは?」


「車だよ」

「車……?」


「『モニカ』に、『ミラカ』に、『ミニ』」ホワイトボードに書き込みながら、翔琉は言った。


 『もにか』に、

 『みらか』に、

 『みに』。


「つまり『モニカ』は、今は既に無くなってはいるが、フランスの高級車メーカの名だし、『ミラカ』はダイハツのミラカスタムの略。『ミニ』は翼が愛用しているBMWのミニク―パ。つまり、全て〝車〟に関連する名称だ」


「あっ、そうですね。しかし、ワードが〝車〟だとして、そこにどんな意味があるんですか?」


「『CAR』だよ。『カー』と言えば……」翔琉は滝沢に問いかけ、「博之は推理作家だよ」と補足した。

「密室作家の、『ジョン・ディクスン・カー』ね。博和は、そのカーに影響されたって言っていたわ」翼が横から言う。


「ああ、父親は、自分の息子がカーを敬愛しているのを知っていて暗号のように、カーの名を忍ばせた。彼の犯行だと安易に伝えたかったかも知れないね。もしそうなら、推理作家らしいダイイングメッセージだ」


「そうだったのかも知れませんね。それと、美智の双子の姉というのは、仲井知乃だったのですね。しかも、博和にも双子の妹がいた」滝沢は煙草を取り出し、火を点けた。

「ああ、双子と言っても、互いに二卵生双生児だ。それぞれは、そんなに似てはいない」

 翔流は立ち上がって自分のデスクに向かい、回転式のアームチェアに腰掛けた。


「しかし、二つの事件の犯人が、仲真博和だったとは……。皮肉にも彼は、実の父親と実の妹を殺害したことになる」滝沢が煙を出しながら呟く。


「悪いが、寝不足だから、ちょっとひと眠りするよ。君たちは、ゆっくりして貰って結構だから」そう言うと翔琉は、デスクの上に両足を投げ出しそのまま腕を組んで目を瞑った。


 幾許も無く、翔琉は小さな寝息を立てて眠ってしまった。

 彼には睡眠薬は必要ない。あれだけコーヒーを飲んでいても、何処でもすぐに寝ることができる。これは一種の才能なのか、単に特殊な体質なのか。滝沢には羨ましく思う。

 そして、翔琉の寝姿を見ながら滝沢は思った。


 美智はすべてを悟った。だから、自分に連絡を取った。


 滝沢の吐いた煙が空を舞う。


 ――『美智に知乃』


 彼女たちは、一体、これから何処へ行こうとしているのか?


 それは、きっと……、


 未知の地に――。




          <了>

 【第二奇譚:「素数は無限にある/The prime number is infinite」】


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