京都3

素数は無限にある:京都3


 昨夜、紫桐翔琉は琵琶湖にいる妹からの電話で、急遽愛車に乗って琵琶湖へと向かった。


 滝沢は、仲真美智と、博和とが本当の兄妹なのか、調べてみることにした。

 その日の夕方、滝沢は、その報告のために再び、『紫桐探偵事務所』を訪れた。


「ああ……、君か」

 今まで寝ていたのか、眠そうな眼を擦りながら、彼がソファから起き上がって言う。翼の姿は今日もない。


「あのう、昨日の件調べてきました」

「えーと……、何のことだったっけ?」

「美智と、博和の関係ですよ」

「ああ……、そのことね。ちょっと待ってくれるかい」

 そう言って、彼はキッチンに向かう。滝沢は向いのソファに腰掛けた。

 しばらくすると、コーヒーカップを手にして現れる。

 滝沢は、彼が無類のコーヒー好きだとはよく知っているが、一体、一日何杯飲むのかは、まだカウントしたことがない。コーヒー好きといいながら、彼はサイフォンコーヒーだろうが、インスタントコーヒーだろうが一向に構わない。彼にしてみればそんなことは問題ではないらしい。そんなこととは、一体どんなことが問題ないのか――それが、滝沢にはわからない。多分、カフェインらしき味が付いているものなら、彼にとっては何でもいいんだと、勝手に想像する。


「で、どうだったんだね」向かいのソファに腰掛けると、早速聞いてきた。

 彼は、自分専用に使っている寿司屋の湯飲みのような大きいカップで、コーヒーを啜る。

「お茶、かよ!」と、突っ込みたくなるのを我慢して滝沢は話を始めた。


「まず、美智の両親、博之と美鈴はお互いに再婚同士でした。そして、兄の博和は前妻との間に生まれた子供です。前妻は博和が三歳の時に、博之と離婚しています。博之は、離婚して三年後、取材のために訪れた長野県の、とある田舎の温泉旅館で、美鈴と知り合ったのです。彼女はそこの旅館の仲居として働いていました」

「滝沢君、ここにも『なかい』というキーワードがでてきたね」

「あっ、そうですね」


「それで?」

「ええ、美鈴の方も、その時離婚したばかりで、美智には双子の姉がいたのですが、離婚した美鈴の夫側は姉の方を引取り、美鈴は妹の美智を引き取ったそうです。女の子が欲しかったという博之は、幼い美智を大変可愛がり、それが縁で二人は再婚しました。美智は美鈴の連れ子ですから、当然博之との血の繋がりはありません。つまり兄の博和と美智とは血の繋がった兄妹ではなかったということになります」

「――そうではないか、と思っていたよ」


「えっ、どうしてですか?」

「例の遺言さ」

「えっ?」

 翔琉は、徐にソファから立ち上がると、ホワイトボードの前に向かった。


 「いいかね。『みちのちに』は、『美智の血に』、または『美智後に』と書くことができる。並べ替えて『ちちのみに』とすれば、『父の身に』となる。また、『ちのみちに』とすれば、『血の道に』となる。それと、キーボードのひらがな部分で打ち出された『なかい』は『仲居』とも書けるし、並び替えると『かない』、『いなか』となる。これは『家内』、『田舎』と、書くこともできる」と言いながら、翔琉はそれぞれを列ねて書いた。


 『みちのちに』→『美智の血に』、『美智後に』

 『ちちのみに』→『父の身に』

 『ちのみちに』→『血の道に』


 『なかい』→『仲居』

 『かない』→『家内』

 『いなか』→『田舎』


 滝沢は、書き出されたホワイトボードの文字を、しばらく無言で眺めた。


「どうだね」彼が滝沢の顔を覗きこみ訊く。

「ええ、何となくですが……。では、あの言葉は博之氏が美智さんに宛てたものなのですか?」

「ああ。ともかく、美智は父親が本当の父親でないことを、知らされずに大きくなったのだろう。博之は、成長とともに美しくなっていく彼女を寵愛し、父親としての愛情以上の感情を抱いていたであろうことは否めない」

「そ、そうなんですか?」

「でも、いくら血の繋がりがないと言っても、父親には変わりない。そんなことを、噫気にも出さずに過ごしていたのだと思うよ。だけど、あの日、悲劇は起こった」

「それが、あの事件ですね」


「父親が娘の部屋で楽しくおしゃべりでもしていたのだろうが、それを、母親の美鈴が誤解した。前々から、仲の良い二人を見て、勘繰っていたのだと思う。常々、夫の娘を見る眼つきや、挙動に不信感をだいていたのだろう。たぶん、それ以上の関係まで疑ったに違いない」


「えっ? そ、そんなことは……、絶対有り得ない!」滝沢は、厳しい表情で言う。


「ああ、そのとおりだ。娘はまだ十五、六の少女だ。ただ懐疑心が生み出した妄想に過ぎないが、彼女はそこまで思い込んでしまい、それがジェラシィに変わった」翔琉は淡々と話す。


「つまり、こういうことですか。夫が書斎のワープロに向かって、次回作のトリックを考えているところに、美鈴は睡眠薬入りの飲み物を持って書斎を訪れ……、ああ、飲物はコーヒーがいいですね。冷めない内に口にしますから……、そこで彼女は、飲物を置いて退出する。しばらくして睡眠薬も効いてきたであろうというところで、再び入室。夫が眠っているのを確認し、そこで、彼女はロープを取りに、一旦外に出ます。しかし、博之はまだ眠っていなくて朦朧とした意識の中でパソコンを操作し、あの文字を打った。戻ってきた美鈴はそれに気付かず、自殺に見せかける工作をする。小柄な博之氏は、婦人の手でもそれほど重労働を伴わずに、偽装することが可能であった。だから犯人は美鈴である」滝沢は自分の推理を披露した後、翔琉の表情を窺った。


「いや、君の推理は悪くはないと思うが、如何せんポイントがずれている。強いて君の説にそって考えるなら、博之氏の体内から睡眠薬が検出されたが、調書には、『夫は、普段から不眠症で悩んでおり、寝付けない時には時折、睡眠薬を服用していて、就寝する前に薬を服用して寝床に入った』と美鈴は証言している」

「たしかにそう書いてありましたが、それのどこが?」


「睡眠薬の副作用で、一番怖いのは習慣性なんだよ。昔の睡眠薬の種類には連用すると薬物依存となり、大量に使用している時に急に服用を中止すると、けいれん発作や、譫妄、振戦、不安などの禁断症状を起こしやすくなるものもある。以前は、バルビツール酸系、非バルビツール酸系の睡眠薬が使われていたが、現在では、これらの睡眠薬は手術前の麻酔など、それらは現在、特殊な場合を除いてほとんど使われていない。最近は、ベンゾジアゼピン誘導体というものが含まれた不眠症治療薬が主役になっている。ベンゾジアゼピン系の薬は、持続時間によって大きく四つに分類されている」そう言って翔琉は、ホワイトボードに書きだした。



(主なベンゾジアゼピン系睡眠薬)

 『超短期作用型』

  トリアゾラム(商品名:ハルシオンなど)

 『短時間作用型』

  ブロチゾラム(商品名:レンドルミンなど)

  ロルメタゼパム(商品名:エバミール、ロラメット)

 『中時間作用型』

  ニトラゼパム(商品名:ベンザリン、ネルボンなど)

  フルニトラゼパム(商品名:サイレース、ロヒプノールなど)

  ニメタゼパム(商品名:エリミン)

  エスタゾラム(商品名:ユーロジン)

  クアゼパム(商品名:ドラール)

 『長時間作用型』

  フルラゼパム(商品名:ダルメート、ベノジール)



「ここに挙げたのはごく一部なのだが、それぞれの持続時間は、『短時間作用型』が三時間から八時間、『中時間作用型』が十時間から二十時間、『長時間作用型』なら一日から三日間の作用がある。しかし、これは、個人の体質や年齢などによって多少の誤差がある。それに、それぞれ、副作用があるので、医師の処方箋に従うか、指示通りに服用しないと大変なことになる。筋弛緩作用があるため、眠気、ふらつきがある。中途覚醒時のことを覚えてない。長時間作用するタイプは翌日に作用を持ち越してしまう、短時間型は急に連用を中止すると不安が強くなる、アルコールと併用すると記憶喪失になるなどの副作用が出る。つまり……」


「つまり、何ですか?」

「博之氏が服用していた薬は『ニメタゼパム』だ。これは、中間作用型に入る。人によって効き目は異なるが、人によっては八時間から十時間くらいは、ぐっすりと眠れる薬だ。美鈴は、その日は午前三時に夫が睡眠薬を服用している場面を見ている。おかしいだろ」

 滝沢には、何がおかしいのか、さっぱりわからない。


「それなら、彼は午後一時頃に起きたことになる」

「それなら、問題無いでしょう」

「他殺か自殺かは別として、死亡したのが、遺体発見時の二、三時間前ということは、その日の午後〇時頃か、午前十一時頃に亡くなったということになる。君の推理では、美鈴は死んでいる夫にコーヒーを運んだことになるよ」


「えっ?」


「出版社の人と編集の打ち合わせ時間は、午後二時なんだよ。だからこそ彼は、午後一時に起きるために逆算して、午前三時には就寝することにした。確実に起きるためにこそ薬を服用したんだよ。彼女が、コーヒーを運んだ時間は夫が起きている時間だから、遅くとも正午だよね。その時点では、彼はまだ夢の中だよ。寝ている時に、睡眠薬入りコーヒーを運んだことになるよ。それに、カフェインには薬の効果を弱める作用があるのだよ。どちらにしろ、彼女は犯人ではない」


「ああ、そうか。では犯人は?」

「午前十一時から正午の間にアリバイが無い者が、容疑者だよ」

「えっ? アリバイって、アリバイはみんなにあったでしょう?」

「アリバイの無い人が二人いるよ。博和と美智だ」

「あっ! そうでした」


「博之と前妻との間にも双子が生まれた。男の子と女の子の二卵性の双子がね」

 突然、翔琉が言った。


「えっ?」


「博之と前妻の二人が別れる原因になったのが前妻の不倫だった。その不倫の相手が、相川という名の男性だ」

「あいかわ、相川……? 何処かで聞いたことのある名前ですね」滝沢は首を傾げ、一点を見つめる。


「あっ、もしかして、滋賀で殺害された……」顔を上げると滝沢は言った。「では?」

「ああ、博和は大きな勘違いをした」


「博和の双子のきょうだいというのは、相川郁子なのですか……」滝沢が呟く。


「そうだよ。博之と別れた前妻は、親権を得た郁子を連れて相川と再婚したのだよ。博和の親権は、父親の博之が得た。ただ……、博和はその事実を曲解して捉えた。彼は博之と再婚した美鈴の連れ子が自分で、美智の方を前妻の子だと思い込んだ。彼はその実の母親が離婚した時は、まだ二歳の幼児だったのだから、記憶が曖昧になったのだろう。ただ自分には、妹がいたという記憶は、何処かに残っていたのだろう。彼が高校生になった頃、母親が不安定な精神状態になっているのを感じた時、彼自身も、父親が血の繋がりのある実の子ばかり、つまり美智のことだが、彼女ばかりを可愛がる態度に懸念を抱いた。それが、この事件のすべての始まりであり、犯行の要因となった。彼は、母親が自分の実の子、この場合は博和のことだが、博和のことを蔑ろにすることに心を痛めているのではないかと勘繰った。彼は母親をより愛し、父親を憎んだ。その感情が蓄積し、次第に父親に対して殺意が芽生えて行き、そして到頭あの日……、その情動が彼の心を動かした」


「それが動機ですか? では、どうやって殺害したのですか?」


「ああ、彼は寝ている父親を起こし、書斎まで抱き抱えるようにして連れて行った。この時、博之は中途覚醒の中で、自分が何をしているのか何をされているのか、判断できない状態であったのだろう。博和は、父親をパソコンの前に座らせ、パソコンに付く指紋が不自然にならないように、背後から彼の指を使って電源を入れ、あの文字を打った」


「『みちのちに』という言葉ですね」

「いや、違う。博和が打ったのは他の文字だ。遺書だと、はっきりわかる文面だ」


「えっ?」滝沢は怪訝な顔つきで、翔琉の顔を見つめる。


「何と打ったのかはわからないが、その後、博和が自殺に見せるための細工をしている隙に、博之は朦朧とした意識の中で、そこに書かれた文面を理解し、自分が息子に殺されることを察知した。そこで、その文字を削除し、新たに『みちのちに』と打ち直したうえでスクリーンセーバを起動させた。博和は作業に夢中で、そのことに気づかなかったのだろう。博和が、博之を容易に首吊り自殺に見えるように偽装できたのも、薬の作用が、その後もまだ続いていたということと、博之が小柄であったことが、犯行を可能にさせた」

「それじゃあ、密室は?」


「ああ、書斎のドアにはモノロックのプッシュボタン式――内側からボタンを押すことで、外側のノブが回転しないようにロックされて旋錠される仕組み――のモノが使用されていたというが、これは構造的には防犯性が低くいため、室内の扉用の錠前として使用される代物だ。この錠前にはデッドボルトがないため、構造上、強い衝撃をある一定の方向から与えることによって、内部のクラッチが外れ解錠することもあり、バールなどのコジ開けにも弱く、取り付け方によっては、扉と枠の隙間に薄い板状の物を差し込むことで解錠してしまう」


「そんなに簡単に開くモノなんですか?」

「ああ、古い物ほどそうなるし、室外側に開くドアは特に危険だ。では、反対に室外から施錠する方法を説明する。まず、十センチぐらいの長さに切ったセロハンテープを〝く″の字型に拗るように折り……」

 翔流が説明するのを、滝沢は黙って聞いた。


「……、という子供だましの方法だ。これからも、犯人は幼いことが証明される。多分、父親が居ない間に何度か試していたと思うよ。ただし室内から出ないで、だけどね」


「でも、そんな方法ぐらい、当時の警察にもすぐにわかったでしょうね」

「ああ、そのとおり。だけど、遺書らしきものがあったことと、妻の美鈴の証言など諸々の状況から、そのことは重要視されなかったのだろう」

「ミスリードされたことを誰も想像だにしなかったのですかね……。では、あの投函された手紙は、一体誰が……?」滝沢は、詰め寄る。

「ああ、あれは多分、美智の姉が作成したものだと思うよ」


「姉?」


「ああ、美智の姉は最近になって、自分には妹と実の母親がいることを知り、直接会いに来たのだろう。彼女は母親と話しているうちに、十年前の真相を彼女なりに推理し、真相に辿り着いたのだろう。そして、悩んだ挙句、彼女は妹の美智に手紙を書いた。そして美智が、刑事である君に電話をかけた。彼女の初恋の人に真相を暴いて貰うために……」

 翔琉は、三杯目のコーヒーを注ぎながらそう言った。


 滝沢は、美智の顔を思い浮かべる。


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