京都2

素数は無限にある:京都2


 その日、滝沢は『紫桐探偵事務所』に足を向ける。紫桐翼に会って、彼女の意見を聞いてみようと思ったのだ。

 滝沢と紫桐翼は、幼少時からの幼なじみだ。


 建物の一階にある洒落た造りの喫茶店『ぷらいむナンバ』の、横に設置されているエレベータで三階まで昇る。

 ドアをノックして入ると、珍しく部屋の主が在宅していた。


「おや、どうしたんだい。滝沢君」

 机に向かい、真面目腐った顔で何やら書いている主が、顔を上げて言う。


「ええ、あれ、翼さんは?」

「何だ。翼に用かい。あいつは、大学時代の友人だとかの誕生日パーティに招待されたとかで、今朝早く滋賀県の勝野に行ったよ。何やら泊りがけだそうだが」


「えっ? 滋賀ですか……」

「ああ、多分、明日の夕方には帰ってくると思うが……、急ぎの用かい」

「い、いえ……」

「心配しなくても大丈夫だよ。相手は女性の友達だから」と、ニヤリと笑う。

「い、いや。そんなことは……」

 滝沢は、手で額の汗を拭う。


「まあ、それはいい。どうだね、コーヒーでも……? さあ、そこに座って」

 そう言うと、相手の返事も聞かずに部屋の主はコーヒーを淹れにキッチンに立った。

 滝沢は、仕方なくソファに腰掛けた。


 この探偵事務所の主は紫桐翔流という人物で、翼の兄だ。

 煙草を吸いながらしばらく待っていると、コーヒーポットとカップを左右の手に持って、件の主が現れた。

「君は、砂糖はひとつだったね」との問いに、「ええ」と煙を出しながら返事をする。


「あのう……」滝沢は今回のことを、彼に話してみることにした。

 滝沢が話をしている間、彼は真向かいのソファに凭れ、コーヒーを飲みながら黙って聞いていた。


 滝沢の話が終わると、彼は急に立ち上がってデスクに向かった。

「そのパソコンに残されていた文面だが……」

 そう言うと彼は、デスクの上のパソコンをログオンした。しばらく待つとワープロが立ち上がり、「滝沢君、その文字を打ってごらん」と言った。

 滝沢はデスクのところに行き、キーボードで『みちのちに』と打ち込む。


『もにかにみらかにみに』


「な、何ですか、これは……?」

「それでは……」と言って、彼がマウスで少し操作する。

 そして「これで、キーボードの、ひらがなのほうで『みちのちに』と打ってごらん』

 滝沢は、慣れない手つきでたどたどしく、ひとつひとつ文字を探しながら打った。


『なかい』


 ディスプレイには、そう表示されていた。


「えっ?」

「どうだね?」彼は言う。


「なかい、中居……、あっ! ホラー作家の中居敏也。彼が……、犯人? やはりあれは、ダイイングメッセージだったのですね」滝沢は興奮して言った。


「今の状態は、〝ローマ字入力〟だが、先ほどは、〝かな入力〟に設定を変えてみたのだ。入力するのに手古摺っていたから、君も、入力はローマ字打ちなんだね」彼が説明する。


「あっ! そういうことですか」

「いや、違うよ」彼は、あっさりと否定する。

「えっ? 違うんですか……」

「そういうトリックも、あるってことだよ」

 彼はそう言って、ソファに腰をかける。

「……どういうことですか?」といいながら、滝沢もソファに戻る。


「ところで、美智さんのお兄さんの生年月日は、わかるかい?」

 彼がいつものように、突然話題を変更する。

「いえ、今のところ確認は取っていませんけど……、それが何か?」

「いやね。少し気になったもので……」

 突然何を言い出すのかと思ったが、調べてみます――と滝沢は告げた。


 彼が、二杯目のコーヒーを空になった二つのカップに注ぐ。

「この事件は、他殺なんですかね?」滝沢が訊く。「他殺だとしたら、どうやって部屋を密室にしたんでしょう?」

「ドアの鍵は、モノロックのプッシュボタン式だったんだね」

「ええ、扉に円穴をあけて取り付ける錠で、ノブの中にシリンダが組み込まれている円筒錠ってやつです」コーヒーを啜り、カップを戻すと、彼はそう聞いてきた。


「ドアを壊す前、たしかに鍵は施錠されていたのだろうね?」

「ええ、その場に居た何人かが確認したそうです。その後、ドアを壊したということです」


「窓は?」

「ええ、窓のほうも閉じられていて、クレセント錠も、きっちりとかけられていたそうです。もちろん窓の方にも不振なところは見当たらないとのことです」


「では、ドアノブ周辺に不審な点は?」翔琉は次々に質問を浴びせる。

「ええ、写真で見る限りでは、ドアノブの横に大きな穴が開けられていて、ドアノブ自体には損傷は無く、やはり施錠された状態のままだったようです。それと、鑑識の報告書に、ドア側面のフロント部分の一部から微量の天然ゴムの成分が検出されたと書かれていますが、それ以外に、これといって怪しい形跡は見当たらなかったと報告されています」


「壊されたドアの破片も調べたのだろうね」

「ええ、もちろん詳しく調べたようですが、これと言って……」


「なるほど」

 彼は、滝沢に一通りの質問を浴びせ、納得したかのように頷いた。


 その時、彼の携帯から着信音が流れた。



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