京都1

素数は無限にある:京都1-1


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 ――これが、十年前の事件の概要だ。


 滝沢は所轄の警察署に出向き、当時のファイルに眼を通し、事件の内容を頭に叩き込んだ。そうして、ここを訪れたのだ。


 現在、仲真家の屋敷には、美智以外に母親の美鈴と、住み込み家政婦の飯島敏江が母屋に住んでいる。

 長男の博和は既に独立し、現在は大阪のマンションに住居を構え、作家活動をしている。

 その他に、ホラー界の新鋭作家として活躍中の中居敏也と、自称ミステリィ評論家の新見芳樹が居る。お互いに独身貴族である。

 彼らは、十二年前に作家志望と称して父親を頼ってきた人たちの中から、父親の博之が特別に面倒をみていた二人で、彼が健在の時から、この屋敷の別棟の離れに、それぞれ部屋を与えられて居続けている。


 滝沢は、刑事となった自分が、今こうして、再び仲真家の門の前に立っていることを、言い知れぬ運命として捉えていた。


 二日前、京都府警に居た滝沢のもとに一本の電話が入った。

 美智からの電話であった。懐かしい彼女の声であった。

 何やら、おかしな手紙が送られてきたというのだ。

 その封筒の表には、切手は貼られていなく、ただワープロで打たれた彼女の名前だけが印刷されていて、裏面は何も書かれていない。

 たぶん、直接彼女の家のポストに入れられたものらしい。


 便箋の文面には――

 

 『博之氏は殺された』


 と、ただそれだけが打たれていたという。


 滝沢は、捜査一課の風間かざま課長にそのことを伝え、悪戯かどうかわかりませんが、少し調べさせてください――と申し出た。


 時間の許す限り、という条件で許可を得て、滝沢は彼女に会った。

 応接室に通された滝沢は、家政婦の飯島から出されたコーヒーを口に含んだ。


 しばらくして、ノックの音とともに、襟元にレースの付いた白いブラウスと、茶系に花柄模様をあしらったフレアスカートに身を包んだ仲真美智が現れた。

 八年ぶりに会う彼女は、滝沢の期待を裏切ることはなく、知的で美しい女性へと成長していた。


 美智が向かいのソファに座ると、ノックの音とともに家政婦の飯島が入ってきて、美智の前にコーヒーを置き、滝沢に、お代わりは――と尋ねた。

 慌てて顔を声の主に向け、「ええ、いただきます」と滝沢は応えた。


 飯島が、滝沢のカップにコーヒーを注ぎ、滝沢は、そこに角砂糖をひとつ入れた。


 飯島が退室してしばらく、部屋の中は静まりかえったが、彼女の方から「お久し振りです」と沈黙が破られた。

 しかし、再会に酔いしれる間もなく、一通りの挨拶を済ませただけで、すぐに話は本題へと移った。


 彼女は、その封筒と便箋を滝沢の前に差し出した。

 滝沢は念のため手袋をして、文面に眼を通す。


「なるほど、美智さんからお伺いしていたとおりですね。これはお預かりしてもよろしいですか?」滝沢はそう言って、彼女の顔を見る。


「ええ、そのつもりでお持ちしました」美智が見返す。


 滝沢の胸が少し高鳴る。


「この便箋は、他の誰かに見せましたか?」


「いいえ。それと、その便箋に触れたのも私だけです」

 滝沢が知りたかったことを美智が先に言う。


「わかりました。では、これはしばらくお預かりします」そう言って滝沢は、便箋と封筒を用意してきたジップ付のポリ袋に仕舞う。


「しかし、十年も経った今頃、何故こんなものを……?」美智は独り言のように呟く。


「何か、心当たりは?」滝沢が聞く。


「いいえ、まったく見当がつきません」美智が首を左右に振って言う。


「そうですか」と滝沢はテーブルに眼をやった。美智の細くて長い指が、コーヒーカップに伸びる。指の先につけられたネイルチップが艶かしく美しい。


「これは誰かの悪戯でしょうか? それとも本当に父の死は自殺ではなかったのでしょうか?」美智がコーヒーを一口だけ飲んで訊く。


「……滝沢さん」


 そう呼ばれて、滝沢はコーヒーカップに伸ばす手を止める。


「は、はい」


「父は殺されたのでしょうか?」


「いや、この手紙に書いてあることだけでは、今のところ何とも言えません」現段階では、そうとしか言いようがない。


「私は、父親が亡くなった時外出していました。帰宅して父の死を知り、私は急いで父の書斎へと駆けつけました。書斎のドアは壊され、その部屋の中央に父の……」そこで顔を顰め、声を詰まらせる。


「遺体を見たのですね」滝沢が確認する。


「ええ」と言って、美智は少し間を置いて話し出す。「その時母は、ショックのあまりに倒れ、敏江さんと編集者の片桐さんとが付き添って母のベッドまで運んだ後でした。死体を発見したのは出版社の方で、その日は、打ち合わせで来ていたそうです。父が亡くなっていた書斎のドアは、内側からボタンが押されていて旋錠された状態だったそうです」


 俯いたまま話す美智の表情から、納得しかねているのがわかる。


「でも……、それが自殺ではないとしたら……?」美智が弱々しく呟く。


 もしこの手紙に書かれていることが本当だとしたら、送り主は事件の真相を知っていて、それを彼女に伝えようとしているのか?

 それも十年経った今になって……。


 ――何故?


 何故、それが今なのか? 滝沢は頭を捻る。


「何らかのトリックを使っての殺人でしょうか?」美智が聞く。


 自殺でないとしたら――滝沢も、それしかないと思う。

 犯人はトリックを使って部屋を密室にしたに違いない。


 ――しかし、どうやって?


 発見した人の中には推理作家の卵も居る。所謂その道のプロだ。推理小説などに書かれているトリックの中に前例は無いのか? それが、実際に使えるモノなのかは別として、そういうことに気付かない筈はないのでは……?


 何か、新種のトリックなのだろうか?

 ドアのほうか、窓のほうか?

 どちらにしろ、これは、自殺を装った犯行だ。


 ――動機は何だ?


「美智さん。お父さんは誰かから恨みを買うようなことはなかったのですか?」


「ええ、父は人から恨みを買うような人ではありませんでした」


 ――それなら、金銭トラブルかも知れない……。


 財産目当てということもあるが……、いや、十年も経って手紙を送って来たのだ。何かもっと違う理由があるはずだ――と、滝沢は思った。


「滝沢さん」


「はい」


「パソコンに残されていた、あの文字には何か意味があるのでしょうか?」


「あの文字?」


「ええ、発見時、パソコンは電源が入れられたままの状態で、ディスプレイには『』と、ひらがなで、文字が打たれていました。あの文字の意味と、あれは父親が打ったものなのか、それすら不明です。もしかして犯人が自殺と見せるために打ち込んだものかも知れません」


「ああ……」と頷き、滝沢はテーブルの上に手帳を広げ、『みちのちに』と書く。


――『みちのちに』かぁ……?


『みち』は、美智さんの名前だとして、『のちに』はそれは、たぶん『後に』のことであろうと、滝沢は隣にその文字を書く。「で、あれば、何か遺言めいた言いようにも取れるね」


「ええ、当時の警察も、そのように捉えていました」美智は思い出すように言う。


「だから、自殺と結論付けられた」


「そうです。でも、文筆家の父の遺言が、たったそれだけとは……」


「うーん……?」滝沢は、両腕を胸の前に抱え込み、首を傾けた。

 自殺を決心した人間は、遺書を残す場合、そんな中途半端な言葉だけを残すものなのだろうか? 何か意味のあるメッセージなのだろうか?


 滝沢は、この事件をもう一度検討してみる旨を彼女に伝え、取り敢えずその日は、送られてきた便箋と封筒を持って、仲真家を後にした。



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