双数は対偶にある:対偶 -4


      4


 御厨警部と滝沢刑事とが伴って、紫桐探偵事務所を訪れた。


「御足労様です」翔琉が二人を迎え入れ。来客用のソファを勧める。


「で、事件のほうはどうですか?」


「いや、それがどうも……、それより、向井孝が自供から、三ヶ月ほど前に森下浩司の彼女が中嶋に強姦されていたということがわかりました」


「ああ、中嶋智史の友人の森下ですね」


「ええ、それより翔琉さん。事件が解決したって本当ですか?」

 御厨が、座りながら驚きの表情で聞く。


「ええ、まあ、翼がそう言っているのだから、そうでしょう」


「えっ? 翼さんが……?」滝沢が眼を見開いて翼を見詰める。

 冷たい飲み物を、御厨と滝沢のテーブルの上に差し出しながら、翼が頷く。


「取り敢えず、これから翼が、今回の事件の真相を解明すると言っていますので、みなさんご静粛にお願いします」翔琉は、そう言って自分のデスクに腰かけると、コーヒーカップに手を伸ばした。


 翼が、コホンと咳をひとつして話し始めた。


「これは、私が、優子と名乗った女性から直接依頼を受けたときに録音した内容を箇条書きにしたものですが、事件当夜、その女性が警察に証言した内容との比較、特に微妙なニュアンスの違いを、昨日、そちらの滝沢さんにも確認して貰いました。①から⑩まであります。ここでは、まず、その女性の証言が事実に基づいて語られたものである……、と言う前提でお話します。実際、彼女は事実を言っているのですが……、まあ、取り敢えず、このボードをご覧ください」


 そう言って翼はホワイトボードを指し、事件の概略を、時系列に箇条書きにしたものを一同に示した。


 ① 六月二十一日午後七時ごろ、この日彼女は、以前からの約束どおり、この事件の被害で妹の裕子のマンションを訪れた。

 ② このマンションはオートロックシステムが設置されていて、彼女は、風除室から裕子の部屋に連絡を取った。返答があった後、ロックが解錠され、彼女はマンション内に入れた。

 ③ そこからエレベータで、裕子の部屋へ。(その間、約二、三分かかる)

 ④ 部屋の前まで来た優子は、インターフォンを押す。しかし、室内からは何の応答もなく、ドアには鍵がかかっていた。

 ⑤ 訝しく思った彼女は、合鍵を使って室内に入った。

 ⑥ 室内の電気は、すべて消されていた。

 ⑦ リビングで死体を発見した。

 ⑧ 室内のすべての窓には、内側から鍵がかかっていた。(密室状態)

 ⑨ 部屋のマスターキーは、ダイニングのテーブルの上に置かれていた。

 ⑩ 優子が部屋に入ったとき、室内には裕子の姿はなく、もちろんほかに誰もいなかった。



「②を、よく見てください」そう言って、翼は滝沢に視線を向ける。


「返答があったということは、裕子がその時点ではそこにいたという証拠でしょう?」滝沢が、自信なさ気に答える。


「いいえ、優子と名乗った女性の証言では、返答があったとしか言っていません。つまり、ここを読み違えると、すべてがおかしくなります。彼女は、返答の相手が裕子だったとは言っていません。これは、洛西署の徳永刑事にも確認を取りました」


 御厨が「なるほど」と小声で言う。


「では、返答した相手は誰だったのですか?」滝沢が疑問を口にする。


「このことは、ここでは、ひとまず置いておきます」翼は、ホワイトボードに視線を戻す。「ところで、⑤を見てください。何か気づきませんか?」


 翼の問いに、御厨と滝沢は、ボードを見詰めたまま首を捻る。


「彼女は、合鍵を持っていたのですよ」翼が、そう言って回答をうながす。


「それが、どうかしたのですか?」滝沢が詰め寄る。


「このマンションの入居者は、通常、風除室からどうやって中に入るのでしょう? インターフォンで、自分を呼び出すのですか?」


「ああ、そうか。その必要がない」滝沢が頷きながら言う。


「そうです。鍵で入れるんです。合鍵でも一緒ですよ。なのに、彼女はインターフォンを使っている……。おかしいでしょう。何故そうしたのか……? 多分、鍵を使って中に入れることを彼女は知らなかったのでしょうか? このことも取り敢えずは置いておきます。ここで、お二人に質問します。第一発見者で、合鍵を持っていて、裕子の姉の優子と名乗った謎の人物は一体誰か?」

 そう言って翼は、一同の顔をゆっくりと見渡し、滝沢の前で視線を止めた。


「ええっ? 誰かって聞かれても……、誰?」滝沢が困惑した顔で訴える。


「では、話を変えます。殺害された中嶋智史の友人の話に、居酒屋に行ったとき、裕子がトイレに立った後、誰にも何も言わずに家に帰ってしまったという出来事があります。それと、会ったときの裕子の印象から、とても感情の起伏が激しい女性のように思えます。また、裕子の友人の話では、機嫌が良いときは凄く話しが合うけれど、話の途中で、急に、別人になったように不機嫌になる。道で出会っても、無視して通り過ぎることも少なくなかったと証言しています。このことから、彼女は、躁鬱病質とも考えられますが、交換人格及び、共存人格の持ち主です。言い換えれば、二次元的人格の現れ、所謂、多重人格的症状が見出せます」


「えっ? では、彼女は二重人格者だというのですか」御厨が驚いて確かめる。


「そうです」翼が一同の顔を見遣って言う。「あきらかに解離性同一性障害です。どうです? もうおわかりですね。姉のユウコと名乗った人物が誰だか……」


「ああ、そうか……。ヒロコですね」滝沢が言う。


「何っ?」滝沢の言葉に御厨は、飲み物を取ろうと伸ばしかけていた手を止めた。

「そうです。裕子の中には優子という姉の人格が存在しているのです。つまり姉妹という間柄で共存している状態です」


 このことを前提として、今回の事件を推理してみますが……、と前置きして、翼は、今回の事件の真相を語り出した。

「まず、中嶋と付き合っていたのは裕子自身です。事件当夜、裕子の部屋には中嶋が来ていました。そこで多分、飲み足らなくなって、缶ビールかなんかを近くのコンビニで買うために、裕子は、一旦マンションから外に出たのだと思います。ところが、何かがきっかけとなり優子の人格が、急に出てきたと推測できます。それから、優子の人格は、約束どおり裕子のマンションを訪ねます。インターフォンで返答してきたのは中嶋です」


「あっ、そうか!」滝沢が首肯しながら声を上げた。


 翼は、満足げな顔で話を続けた。

「そのとき、中嶋は裕子が面白がって、インターフォンを使っているのだろうと、ロックを解除します。そこで中嶋の中に悪戯心が芽生えたのでしょう。すべての電気を消して、玄関の鍵をかけ、裕子を驚かそうとでも思ったか、声を潜めて死んだふりをして待っていました。すると、鍵を開けて入って来た彼女が電気をつけ、中嶋が隠れているソファのほうにやってきます。裕子が自分の名前を呼びながら近づいてくるのを、中嶋は不思議に思ったでしょうね。しかし、彼は、また、彼女が、驚かそうとして巫山戯ているのだろう、とでも思ったでしょうか――ともかく、床の上に俯せになったまま彼は凝然としていました。すると突然、背中に火傷をしたような激痛が走り、そのまま、彼の意識は薄れていきました……」


「包丁で刺されたのですね」滝沢は、唾を飲み込んで言った。


「ええ、一方、優子の人格は、インターフォンから聞こえた声を、妹の彼氏だと思いました。彼氏が来ているのか、と一瞬戸惑ったでしょうが、すぐにエントランスのドアが開いたので、大丈夫だと思い入りました」


「優子という人格は、彼氏の存在を知っていたのですか?」御厨が、話の途中で翼に尋ねた。


 翼は、専門的なことは僕にもよくわかりませんが、と断って言った。

「ええ、多分。あくまでも推測ですが、彼女には、妹に彼氏がいることは、何となくだが、わかっていたんだと思います。それを羨ましくさえ思っていたのかも知れないのです」


「それで、その後、優子の人格はどうしたのです?」滝沢が質問した。


「ええ、そして、部屋に向かい、ご存知の通り、合鍵で部屋に入った。リビングに向かうと、誰かが倒れていました。彼女は妹が倒れていると思い、ソファに近づきました。すると、そこには見知らぬ男性が、床に俯せに倒れています。彼女はそれを見た瞬間、死体だと勘違いしました。そのショックで、また裕子と人格が入れ替わったのです」


「そこで入れ替わった?」


「ええ、極端に言えば、裕子の人格は躁鬱の躁状態の性質ですが、優子の人格は鬱状態の性質と言えます。何らかのショックで入れ替わると言います。所謂、自衛本能と言ってもいいでしょう」


「なるほど……、それで?」


「そこで入れ替わった裕子は、中嶋が、じっとしているのを見てると、無性に腹が立ってきたのでしょう。彼女は多分、居酒屋で聞いた話の真相を聞き出そうと森下に連絡を取った。そのときに、彼から中嶋の本性を聞き出したのだと思います。それからというもの彼女は彼のことを避けていたのではないでしょうか。それでも、しつこく言い寄ってくる彼に辟易していて、別れ話も出ていたのでしょう。そのことを、入れ替わった瞬間に思い出した。ともかく裕子は、このときがチャンスとばかり、キッチンから包丁を持ってきて……、というのが、この事件の一連の流れだと推理できます」

 淡々と述べた後、翼はグラスに手を伸ばし、ジュースを口にした。


「なるほど、小川優子は、小川裕子。中嶋を殺害したのは、裕子であって優子ではないと……。殺害した後、また優子が出てきて、死体を発見、通報ということですか?」御厨は納得したように首肯して言う。


「ええ、彼女の場合、お互いに自分が出ているときの記憶しか無いようです。殺害をした後、もう一度優子へと入れ替わって警察に通報した、ということだと思います」


「ああ、それで……」滝沢が言う。「やはり、彼女は嘘の証言していなかったことになるのですね」


「ええ」翼は近くの椅子に腰かけた。


「ストーカは、事件に関係があったのですかね?」滝沢が尋ねる。


「ああ、あれは多分、森下の嫌がらせでしょう。自分の彼女を強姦した中嶋への腹いせを、彼の彼女へと転嫁したものだと推測されます」


「なるほど、それで裕子は今、何処にいるのでしょうか?」


「彼女が帰るべき場所にいますよ」今まで、コーヒーを飲みながら無言で聞いていた翔琉が、初めて口を開く。


「それは?」滝沢が、翔琉のほうに顔を向けて聞く。


「両親が買った家、彼女の生家ですよ」翔琉は、そう言って煙草を吹かす。そして言葉を発した。「翼の推理は、想像の部分が多い。ストーカの件だが、白石寛子は電話の相手を男だと断定している。おかしいだろ。無言電話なのに……。それと、玄関のドアノブから採取した第三者の指紋が誰のものなのかも証明できないよ」


「あっ……」翼が小さく叫ぶ。


「少ない情報でいいところまで推理できているが、それはあくまでもひとつの側面から見た推測に過ぎない。僕には違う推理もできる」


「えっ?」翼が翔琉の顔を見る。


「この事件は、とても複雑だ。前提を間違えるとどんな解釈も可能になる。まず、裕子のマンションを訪れたのは白石寛子、つまり森下の彼女で、インターフォンで返答してきたのは森下だと仮定した場合。この場合、裕子の部屋には中嶋と白石の二人がいた場合。中嶋と裕子、それに森下の三人がいた場合が挙げられます。そして、もっと分類した場合として、裕子の彼氏は中嶋では無く、森下のほうだと仮定することもできます。と仮定を変えるだけで、様々な状況が考えられるのですが、どの場合でも犯人は一人に絞られる」


「そ、それは、誰ですか?」滝沢が身を乗り出して言う。


「一番すっきりとする推理だと、裕子のマンションを訪れたのは白石寛子、つまり森下の彼女で、インターフォンで返答してきたのは森下だと仮定し、尚且つ、裕子の部屋には中嶋と白石の二人がいたとする。動機としては、森下は、中嶋が、自分の彼女を強姦したという事実を知ったことによる復讐だということになります。そこで彼は、ある計画を練りました。その計画は、白石に、裕子が旅行か何かで家を空けることがある際に、留守番を申し出て、裕子から部屋の鍵を預かるようにと指示をしておく。そして、裕子が外出するその日を、計画の実効日と決めておく。森下は、その鍵を白石から受け取り、前もって合鍵を二個作っておく。その一個を白石に渡す。次に、その日の十八時に、白石に中嶋をマンションに呼び出させる。中嶋が部屋を訪れた直後に、頃合いを見計らって森下が手袋をして、鍵を使い部屋に侵入。一旦浴室に隠れる。洗面所か何処かに森下が来たことを告げる合図のようなものを置く。白石は、トイレに立つと言ってそれを確認し、中嶋に買い物に行ってくると言って、鍵をかけマンションの外で時間を潰す。その後一人になった中嶋が、テレビゲームにでも夢中になっているところを背後から襲いかかり、包丁でひと突き。森下は、前もって用意していた裕子の指紋つきの缶ビールと、白石が飲んだ缶ビールを入れ替え、裕子から預かっていた鍵をテーブルの上に置き、偽装工作をした後、部屋の電気を消す。そこで、森下の指示どおりに白石が、十九時に裕子のマンションを訪れる。森下はインターフォンでそれを確認し、ロックを解除する。玄関のドアの鍵をかける。ここで鍵をかけたのは、いつ何時、隣人に見られる可能性を考慮し、白石には、あくまでも自然な状態で第一発見者を装って貰う必然性があったからです。そうして、白石が来る。白石が合鍵を使って、部屋に入り死体を発見する。その間に森下は部屋から抜け出る。彼女が第一発見者となり、外の公衆電話から警察にはユウコの名前で通報し、警察が到着する前に消える。あくまでも、大筋では、それが彼の計画だったということになる」

 翔琉はそこまで一気に話すと、冷めてしまったコーヒーを飲んだ。


「なるほど、しかし事実は違った……」御厨が言う。


「ええ、この計画はあることで狂いが生じました。それは、白石が部屋から出ようとしたとき、インターフォンのスピーカから呼び出し音が鳴ったのです。そのとき、白石は森下が何か言い忘れたのかとインターフォンに出たところ、相手は裕子なので、どうして急に帰って来たのかわからず、狼狽したでしょうが、ロックを解除するしかありません。このとき、裕子は優子の人格と入れ替わっていたのです。白石にとっては裕子が帰ってくることは予定外であり、ともかく逃げるチャンスを失ったため、玄関の鍵をかけて、急いで浴室にでも隠れたのでしょう。その後は、彼女は部屋から抜け出し、承知のとおり……、裕子、いや何も知らない優子が第一発見者として通報したのです」翔琉の推理が終わる。


「あっ!」御厨が叫んだ。


「いや、これは、あくまでも推測のひとつです。与えられた情報だけから分析すると、こういう解釈もできると言うことです。ひとつの事象は、見る方向によって形を変える。仮説は常に事実を曲解する。あまり急いで結論を出そうとしないほうがいいでしょう。冤罪は、得てしてこういう場合に起こり得る」


「ええ、わかります。取り敢えず森下と白石を事情徴収します」滝沢が言う。


「しかし、その優子という人格は、どうして裕子の姉という存在となって突然現れたのですかね……?」御厨が聞く。


 御厨の問いには、翼が答える。

「そのことに関しては、私が大山崎の優子の調査に行ったとき、隣の家の久保田という老女から聞いた話からも推測されます。但し、老女は隣の家に帰ってきた彼女のことを、ずっと裕子だと思っていたようですが……。多分、裕子は、優子の人格が現れたときにはマンションではなく、実家のほうで暮らしていたものと思われます。裕子には、幼いころに別れた姉が、実際にいたとも言っていました」


「――では、優子は何処にいるのでしょう?」


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