双数は対偶にある:双数 -3


      3


 地下鉄の出口から地上に出た瞬間、彼女はあまりの暑さに一瞬後退りをした。

 京都の夏は蒸し暑い。


 熱を帯びた空気の層が、陽炎のように揺らぐ。

 急ぎ足で、近くのビルの日陰へと逃げ込む。

 手にしたメモに眼を落とし、確認する。


 ――たしか、ここで良かったはず……、と辺りを見渡す。


 アスファルトの照り返しが眩しい。

 通りを挟んだ向こう側の建物の三階に、その文字はあった。


 ――『紫桐しとう探偵事務所』


 野球場の得点板に書かれた数字のように、左の窓ガラスから一文字ずつ順番に書かれている。


 彼女は、横断歩道を急いで渡り、その建物に向かった。


 建物の一階は、小ぢんまりとしたお洒落な喫茶店と駐車場がある。

 その喫茶店の横の階段から二階に上がる。小さなエレベータもあったが、彼女は階段のほうを選んだ。


 階段の上がり口に、小さな案内板が取り付けられていた。

そこには、このビルに入居している店や会社の名前が、部屋番号とともに記してあった。


 案内板で再度確認し、彼女は階段を上る。


 二階の階段スペースの右側には通路が続き、幾つかのドアが見えた。

 彼女は、三階への階段を踏みしめるようにして上った。途中で小さな踊り場に出る。そこを折れ曲がるようにして階段が上へと続く。


 三階に到着すると、彼女は少し息切れを感じた。しばらく休み、そして右側の通路を進んだ。目的の探偵事務所は、その廊下の一番奥にあった。

 彼女はその前で立ち止まると、一度深呼吸してドアを開けた。


 <カラン>とドアベルの音――。


「いらっしゃいませ」

正面のデスクでパソコンに向かっていた女性が、顔を上げて言った。

 女性の背後の窓ガラスには、紫桐探偵事務所の文字が反転して映る。


「何か、ご依頼でしょうか?」


「はい。あのう、紫桐さんは……?」


「はい、紫桐は私ですけれど」椅子から立ち上がりながら、その女性が答える。



「あ、いえ、昨日、お電話を差し上げたときは、たしか男性の方でしたが……?」


「ああ、それは兄の翔琉かけるです。失礼ですけれど、お名前を確認させていただきます」


「え、ええ、私、小川優子ゆうこと申します」


「ああ、小川優子様ですね。はい。ご依頼の件は、兄から伺っております」


「そ、それで、お兄様は……?」


「ええ、それが、本日、どうしても手が放せない急用ができまして……、申し訳ございませんが、小川さんのご依頼の件は、私、紫桐つばさが担当させていただくことになります。よろしいでしょうか? 女の探偵では、心許ないですか?」


「い、いえ、そんなことは……」


「では、どうぞこちらに」


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