双数は対偶にある:双数 -2


      2


 京都府警捜査一課の御厨と滝沢は、洛西警察署の対策本部に詰めていた。

 昨夜、西京極のマンションで起きた殺人事件の被害者の司法解剖が終わり、先程、記者会見が行われた直後である。


 司法解剖の結果は、死亡推定時刻が六月二十一日の十八時から二十時の間。死因は、包丁での背部刺傷による出血多量が原因で死亡、ということであった。凶器の包丁からは、住人の裕子の指紋しか検出されなかった。また、被害者は、中嶋なかじま智史さとしという今年二十一歳になるH大学の学生であることがわかった。


 御厨は、小さくひとつ溜息を吐くと、カッタシャツの胸元から煙草を取り出した。口に銜えたその煙草が、最後の一本であったことに彼は苦々しく眉を顰め、空箱を捻り潰した。

 部屋の隅にスチール製のゴミ箱を目敏く見つけると、そこに狙いを澄まして放り投げた。空箱は彼の意を外し、ヤニで黄ばんだモルタルの壁に当たり、床の上にポトリと転がり落ちた。


「それにしても、そんな短時間の間に殺害を犯し、尚且つ、部屋を密室にして小川裕子を連れて逃げた……、ですって? そんなアホなことってあります?」滝沢は、わけがわからないと御厨に訴える。


「ああ」御厨は顔を顰めて煙草に火をつけた。


「つまりですよ。裕子がインターフォンに出た後、すぐに犯人が部屋に侵入し……、いや、インターフォンに出たときには、既に犯人は部屋の中にいた……。あれっ? どっちかな?」

 滝沢は、床に転がった煙草の箱を拾い、ゴミ箱の中に入れた。


「たとえば、前者の場合、犯人は訪問者があることは知らない。だから、犯行中、もしくは犯行後、突然、訪問者が来たことになる。犯人にとって予期せぬ事態である。しかも、訪問者が合鍵を持っていることを、犯人は知らない。その場合、犯人はどうする?」御厨は、滝沢に問う。


「ええ、当然、玄関の鍵を内側からかけ、声を潜め相手が立ち去るのを待つでしょうね。まあ、裕子の口にはガムテープか何かで塞いでおいてですが」滝沢は言う。


 御厨が口から煙を出して頷く。「そうするのが自然な行動だと私も思う。だから前者の可能性はあり得ない。後者の場合が正解だと思うが、犯人は何故か、訪問者に対して裕子に応対させた。そしてロックまで解除させた……、つまり、訪問者がその部屋に来るまでに、一連の工作をし、逃走したことになる」


「それは時間的に無理だということですが、仮に、仮に……、ですよ。仮にできたとしても、すぐにでも訪問者が来るかも知れない状況で、何故、部屋を密室にする必要があったんですかね?」滝沢は素朴な疑問を御厨に投げ掛けた。


「それは……、まさか訪問者が合鍵を持っているとは、犯人も思いもしなかっただろうし、多分、その段階で裕子に誰が訪ねて来たのかを聞き出したとは思うが、合鍵のことまでは考え付かなかったのだろう。としたら、当然考えられるのは、犯行の発覚を遅らせる、死体の発見を遅らせる目的。そうとしか思えん。荒らされた形跡も金品に手をつけられた形跡も無い。物取りの線は薄いと考えられる」


「では、缶ビールについていた指紋は、誰のものだったのですか?」


「ああ、中嶋と裕子のものだったらしい。ほかに、玄関のドアノブからは、第一発見者とみられる人物の指紋が採取されている」


「では、間違いなく二人はあの部屋にいた。それとは別に第三者、つまり姉が通報したことは、間違いないですね……。やっぱり、裕子は連れ去られたのでしょうか?」


「犯人の目的は、中嶋を殺害することではない。中嶋を殺害するのが目的なら、裕子の部屋を訪ねた中嶋を狙ったことになる。何故そんな回りくどいことをする? まして、あのマンションはオートロックだ。どうやって入って、どうやって逃げた?」


「顔見知りの人物の犯行ではないでしょうか? それなら、部屋に入ることも容易いでしょう」


「ああ。犯人は、二人どちらかの顔見知りの人物だとして、犯人は何故、裕子を連れ去ったのだ? そして、何故、中嶋だけを殺害した……?」


「裕子の誘拐が真の目的だった……、としたらどうですか? 中嶋がいたのは、犯人にとって予想外のことですよね。そこで、真の目的の邪魔をされ、ひょんなことから殺す破目になったのではないでしょうか?」


「それでも、誘拐を実行するのか? 殺人を犯した直後に姉の来訪。殺害を隠蔽するために裕子を連れ去った? 顔見知りの者が……、か?」


「お、おかしいですね」


「それとも、裕子を殺す目的で行ったが、そこに予期せぬ人物がいて、何らかの理由で殺害してしまった……。何故、そこまでして計画を実行しようとした? 中嶋がいるのがわかった段階で計画を伸ばせばいい。わざわざ危険な状態で行った理由は? まして、そのとき、突然の姉の来訪があり、急遽、裕子を誘拐することを余儀なくされた。そこまでして実行しなければならない理由は何だ?」

 御厨は煙草の灰が長くなっているのに気づき、灰皿に落とす。「やはり、顔見知りの犯行では無いのか?」


「それなら、また振り出しですよ。犯人は何故か、姉の訪問に対して裕子に応対させた。そして何故ロックまで解除させたか……、ってところの疑問に戻りますよ」滝沢が言う。

「では、犯人が裕子を殺す目的で室内に進入したとしたら、たまたま彼氏がいた。その彼氏とは、ひと悶着あったか無かったかは別として、まず彼氏を包丁で刺し、次に裕子を殺そうとしたところでインターフォンの呼び出し音がなった。姉の訪問ですね。そこで犯人は、裕子に『出ろ』と指図して、その対応に聞き耳を立てて黙る。裕子から訪問者との関係を問い質し、急いで、玄関のドアと窓の鍵をかけ、照明を消す。そして、何処かに煙のように消えた。それを、二、三分で遣った。そういうことですか? あり得ませんねえ……。あっ、姉の証言は事実とみていいのですかね? すべて、彼女の証言に従って推理しています。だから矛盾が生じるのではないですか?」滝沢が、御厨に問う。


 御厨はそのことをすっかり失念していた。


 しかし、何か引っかかる。

 それが、何なのか。

 ただの思い過ごしか?


 御厨は、煙草を燻らせながら思考する。


 訝る滝沢を後目に、御厨は短くなった煙草を親指と中指で摘み直し、フィルタ近くまでジリジリと音を立てて燃え上がるほどに深々と吸い込んだ後、彼はアルミ製の灰皿で揉み消しながら、天井を目掛けて一気に煙を吐き出した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!