β50 地震と雪★むくちゃんのおはなしは

   1


 ぐらりっ。

 ぐらぐらぐらぐら。

 ぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐら。


「美舞! 地震だ!」


「そうみたいだね! 逃げよう!」


 美舞は、姿勢を低くし、玲は、赤ちゃんのむくちゃんを左腕でしっかりと抱いたまま、身を挺した。


 ぐらぐらぐらぐら。


「信者達は? 一体、どこから逃げるんだ?」


 玲も懸念していた。


「五芒星の城壁に出口はない。天守閣しかないんだ」


「そうか。おーい、皆、こっちに! 祭壇の裏に回ってくれ!」


 ぐらぐらぐらぐら。


「そっちか。儂もそっちに行く。助けてくれ」


「俺も行くから、何とかしてくれ」


「私も、助かりたいわ。どうにかしてよ」


 そう、口々に信者達が押し寄せて来る。


「何で揺れているんだ。地震なのか?」


「そうでしょうよ」


 若い男女が手を取り合っていた。


「あたしゃ、立てないのですが」


「つかまって、おばあさん。私、介護やっていて、慣れているから」


「ありがたいものじゃのう」


「さあ、気を付けて」


 助け合い、心掛けの良い信者も見掛けた。


 ぐらぐらぐらぐら。


「さあ、順番に上がろう」


 玲は、リードする。

 後ろには、信者達が蟻の様に並んだ。

 天守閣の下に、皆が集まる形になった。


「ちょっと待って……!」


 美舞が、後ろから、玲のズボンをつまむ。


「玲、雪が……。雪が降って来たよ。僕には降り始めの音が聞こえた」


 しんしん……。


「でも、出ないとな。信者達も俺達もだ。寒くても仕方がない」


「違うの……。僕の言いたい事は」


 美舞は、十字架建物や城壁を見つめていた。


 しんしんしんしん。


 ぐらりっ。


「雪で、城が、とけて行く……」


 美舞も玲も皆、見ていた。

 崩れるのではなく、イチゴショートの生クリームみたいに。


 しんしんしんしん。

 しんしんしんしん。


「とけてゆく」


 しんしん。

 しんしん。


「黒の城が、こんな雪景色になるなんて! 十字架建物も城壁も何にもない……!」


 玲は、夜空を仰いだ。

 美舞も夜空に顔を向ける。


 しん……。


「しかも、壁もないし、天井もない!」


 玲は、はっとした。


「あっちを、見てごらん。徳乃川神宮の森だ」


 わああっ。

 わあーっ。


 皆、ひとしきりざわついたり、歓喜の声を交差させる。

 むくちゃんを胸に抱く玲と元に戻った美舞は、ほっとしたの一言に尽きた。


   2


「信者達は、散り散りに帰って行ったね。多分、何も覚えていないかな。覚えているのは、ここへ来るまでの悲しい出来事、苦しい出来事、怒った出来事だろうな」


 玲は、右手で、むくちゃんをとんとんとしていた。


「忘れられないのも辛いね。僕は、アレになっていた時を忘れたいよ。迷惑を掛けているし、恥ずかしいし」


 美舞がうなだれている。


「忘れる必要はないよ。たとえ、黒い記憶でも。それら全てが、美舞、君だよ。妻で、母親だ」


「玲……。やっぱり、僕の夫で、パパだよ!」


 少し涙ぐんだまま、玲のむくちゃをとんとんしていた右手にキスをした。


 チュッ。


 その時、美舞の涙が、玲の右手にぽたんと落ちる。


「あれ? 何で?」


 美舞が、玲の手を凝視した。


「どうした?」

 

「玲の右手に、六芒星があるよ!」


 美舞の力などを消去する能力はあったが、六芒星が浮き出ているのを初めて目視する。


「え? なんだって! 俺は、痣ができた事がないよ。仇討ちの時もなくても闘った位だ」


「見てみればいいよ。僕が嘘を吐く訳がないだろう」


「あ、あるな……!」


 二人は驚きを隠せなかった。


「ここではなんだ、家に帰ろう。むくちゃんのお世話もある。しかし、何時だ? 朝だよね? 随分と涼しいし。ミルクにおむつに、寝不足ではないかな?」


 離乳食もそれ程腹持ちがいい訳ではないだろうと、玲が心配する。


「帰ろう」


 美舞は、はにかんだ。


「うん、帰ろうか」


 玲の声は、優しかった。


   3


「大丈夫かなあ……」


 そんな、呟きをしながら、玲は、コインパーキングへと向かっていた。


「何かあったの? 玲」


 美舞は、全く分からない様子だ。


「いや、俺のコートを車に置いて行ったのだが。信者が、くるみボタンを持って歩いていたからな」


「何故?」


 美舞は記憶を遠くへやってしまっていた。


「いや、いいよ。俺にも分からない」


 玲は、頭を振る。

 十分程歩いて、コインパーキングに着いた。 


「おお。車は、無事じゃないか。チャイルドシートも何ともない」


 玲は、思わずばんざーいなんて口にし、うきうきで、むくちゃんをチャイルドシートにしっかり乗せた。


「俺のコートは、ないな……。えーと、待っていてくれ。精算して来るよ」


 直ぐそこへ行った途端、悲鳴が轟く。


「うおお!」


「どうしたの? 玲」

 

「しょぼーん。高かった……。今日は、何日だろうかと思ったよ」


 玲はかなり残念そうにうなだれていた。


「悪い……」


 美舞は、曇り硝子越しの様な顔で拝む。


「いや、致し方ないよ」


 愛しい美舞の頭をくしゃりとした。


「はい、缶コーヒー。二人分だよ。らぶらぶー」


「ふふ……。ありがとう。あったかい、気持ちもね」

 

「所で、むくちゃんは、おしゃべりしないな?」


 ずっと気掛かりだった。


「そうだね。僕も、どうしたらいいのか」


 ふうっと、ため息を吐く。

 

「むくちゃんのおはなしは、楽しかったな……」


 玲は、胸が締め付けられる思いと切なさで一杯だ。


「むくちゃん、いいこなんだよな……。まだ、笑ってくれないのも、寂しいな……」


 美舞より寧ろ玲の方が打撃が強かった。


「車を出すから、気を付けてね。ではでは」


 エンジンをかけて、家路を辿った。

 ふと、ハンドルを握っていた右手を見ると、やはり、自身に六芒星の痣があった。

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