3-12 妖蝶の名前

「とにかく、方法はいくつか用意している。……が、どれも志藤塁の成長次第だ。彼方上空を浮遊する敵に対して、奴がどのような倒し方を描くか。まずは、α―Ⅰ型のやり方を提案してみる」


 場がいっそう張り詰める中で、やはり望だけが事の重大さを理解しておらず、たまらなくなって阿畑と麦島の顔を覗いた。感情を表に出さないタイプの二人から、不思議と機微は感じられなかった。いや、感じさせまいとする意思が見え隠れしているような雰囲気があった。少なくとも、望の目にはそう映ったのだ。


「α―Ⅰ型の!? それってもしかして……」

「言いたいことがあるのか、瀬奈?」子犬のように可愛い小向を服従させるかの如く、大和は彼女を睨みつけた。

「い、いいえ! 何でもありません!」

「まさかとは思いますが、志藤君がまた新たなスキルコードを生成するという可能性も?」

「どうも奴の思考回路はわからん。奇怪な発想をされたら即却下だ。今後の我々の活動にも支障が出るからな」


 蓮見の問いかけに大和は珍しく鈍い反応を示した。その理由のヒントはすぐに仙石が出してくれた。


「バットにボールだからね。あ、今度はグローブだったりして?」獣すら威圧させるほどの眼光が仙石を襲う。しかしながら仙石には利かず、むしろ官能的に身を捩ってみせた。

「いやん。そんなに見つめられたら照れちゃう」


 大和はそんな白衣の旧友を見て、これでもかというほど重い溜息を吐いた。

 バットにボールとは、塁がヨルゴスを倒した際に使用した物体のことだ。どちらも野球用具に酷似した形状であり、それが適合者の思考にリンクして象られているのだと容易に想像がつく。大和司令には、あまり良く思われていないらしい。


「宇津木、志藤塁が起きたら私に連絡をよこせ」

「り、了解です」


 いっその事、仙石が適当に言い放ったグローブの件を塁に唆してやろうとも思ったが、すぐに自重する望だった。そもそもグローブ的なもので一体何ができるとでも言うのだろうか。そのような疑問がすぐに浮かんだからである。

 軽い咳払いと共に議題、というより話題を変えたのは蓮見だった。お馴染みの眼鏡に触る癖も健在だ。


「ところで、β―ⅩⅤ型の呼称はどうしましょうか?」

「お前の事だ。もう調べてあるんだろう?」


 伏し目がちに大和が言い放つ。蓮見は軽快な口調で話を続けた。


「さすが司令、お察しの通りです。その名はパズズ。アッカドに古くから伝わる悪霊で、また、蝗害を具神化した存在とも言われています。どうです? 今回のヨルゴスにぴったりだと思いませんか?」

「思わないわ」


 蓮見の提案をバッサリと切り捨てたのは、それまで一言も発していない人物だった。望は思わず、通信で繋がっている当の人物の方を振り返った。紺色の制服の背姿は望より小さく華奢であったが、そこには凛としたものを感じさせた。

 蓮見はギョッとしたのか、バッサリと切り捨てた本人の名を呼んだ。


「え゛っ、麦島さん!?」

「仙石主任が説明した通り、あのヨルゴスのもたらした蝗害はあくまで副次的な産物であり、地球侵略という意図からの行動ではないと推察されます」


 無口の印象が強い麦島だが、ことヨルゴスの話題となると人が変わったように流暢に喋りだすという特徴を持っていた。眼帯を身につけ、ダウナーな雰囲気から放たれる言葉一つ一つにも力が込められているようだった。


「真実の追究にはより慎重な調査が必要ですが、私はこう思います。β―ⅩⅤ型は、従来のヨルゴスとは異なる意思を持っていると」

「異なる意思だと?」聞き返す司令に、はいと返して麦島は続ける。

「少なくとも、これまで地球上に出現したヨルゴスが持っていた、人類に対する明確な敵意は感じられません。あるとすればそう、生存欲求でしょうか。

 膨張し続ける宇宙であてどなく星の海を彷徨い、辿り着いた蒼い星はまさしく生命のオアシス。その地に最後の希望を託し、あらゆる植物を成長させる鱗粉を撒いて、子孫を残すための土壌を作っていたとすれば……。ですから、β―ⅩⅤ型は悪霊や神を意味する名称は相応しくありません。あれはただの、種の存続を求めた生命体に過ぎないのです」


 論理的、科学的証拠に基づいていない麦島の独白は、とすると論ずるに値しない極めて無意味なものとも言えるだろう。

 しかし、一同が口を挟まずに彼女の独白を聴き入っていたのは、そこに何らかの不思議な説得力があったからに違いない。望は記憶に新しい惨劇を思い出す。バッタの群生相が到来する前の花々が咲き乱れる景色は息を呑むほどだった。そして、市に降り注がれた光の粒も一見すると美しく、暁の空に浮かぶ蝶型のヨルゴス本体もまた綺麗だったのだ。

 漆黒のヤタガラス、腐敗したような紫色のアノイトスと比べれば、視覚的イメージの差は歴然だった。確かに蝗害は悍ましいものだったが、蝶型のヨルゴスそのものに嫌悪感は感じられにくいと言える。というか、望は全く彼の存在を恐れていなかった。それがこれまでに出現したヨルゴスとの決定的な差だった。

 暫し場に沈黙が漂っていたが、やがて近藤がしゃがれた声を放った。


「ふむ、では麦島君はどういった呼称が適していると思うのかね?」

「……ペタルダ」

「ペタルダ……。ギリシャ語で蝶ですか」


 手元の端末を操作し、即座に調べた蓮見がそう答えた。


「蓮見、反論はあるか?」

「いいえ。麦島さん切っての要望とあらば、僕は身を引くしかありません」


 やれやれといった仕草で蓮見はかぶりを振った。彼の心の処はわからないが、後輩を立てるというのが実に蓮見らしい性格だ。もしかしたら、蓮見も望と同様の思考回路を経て至った結論かもしれないけれど、その点は然したる問題ではない。大事なのは、β―ⅩⅤ型などという冗長な言葉を使わなくて済むことである。

 確然たる口調で、大和司令が締めの言葉を一同に告げた。


「では、これよりβ―ⅩⅤ型の呼称をペタルダとする」

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