3-9 妖光が落ちてくる

 午前五時二〇分。危機襲来の凶報は、三沢基地にて待機中のユリウス達の耳にも届いた。空はまだ薄暗く、滑走路にはオレンジ色の誘導灯が灯っている。地上スタッフのいつもと違う様子を見て、駐機スポットに出たユリウスは少々寝ぼけていた頭の中をクリアにさせた。

 本部から連絡がある数分前に、就寝中だったユリウスは急に目を覚ました。何故かはわからなかったが、連絡をもらってその意味を悟ったというわけだ。彼の左腕は既に緋色の物々しいさまに変わっていた。

 そんな大勇を奮い立たせる適合者の後ろには、冴えない表情の三登里隊員の姿があった。ヨルゴスが迫る度に動悸がおかしくなる。隊員としてそぐわない彼女の気質が、ある不吉なシーンを想像させる。緋色の戦士の生体情報を表すモニター、そのあらゆる数値がゼロを指し示すという戦慄。首を横に振って、三登里は嫌なイメージを払拭した。そして、聞き覚えのある男女の音声に耳を傾けた。


『識別信号は赤。これより謎の飛行物体をβベータⅩⅤじゅうご型と呼称します』

『レーダーに反応有り。姿は確認できませんが、Β―ⅩⅤ型は現在、清水山上空を西に向かって進行中の模様』

『函館空港からの映像、出ます!』

『黒い雲……!? いや、バッタの群生相か』

『えー!? あれ全部がですかぁ!? うぅ、背中がムズムズする……』


 通信相手の小向が悲鳴に近い声を上げた。同じく通信中の蓮見の発した言葉から連想するに、何十万、または何百万ともわからない夥しい数のバッタの群れが大移動しているようだ。

 もしかするとこちらにも来るかもしれないと、三登里は明るみ出した闇色の空を見上げる。変わりはなかったが、不気味な静まり返り方のように思えた。

 すると、重低音の考え込む男性の声が聞こえた。年輩の近藤隊員のものだった。


『あのヨルゴス、どこに向かおうとしているんじゃ? 風に乗って移動しているようじゃが』

『進路はおそらく内陸部寄りになるでしょう。ヨルゴスの習性からいって、弱点である海水から遠ざかるはずです』この声は麦島だ。いつにも増して活気のある声だった。

『となると、進路は北西か』


 三登里は地図上で確認すると、β―ⅩⅤ型はバッタの群生相を引き連れて、函館駅や五稜郭などの人の多い地域に飛ぶ計算になる。蓮見が苦々しい声を上げたのはそのためだった。

 続いて、近藤が難題を示す。


『奴が内陸部に行けば被害が大きくなってしまう。α―Ⅲ型がいる五稜郭まで誘導したいところじゃが、かと言って貴重な文化財を蝗害に晒すわけにはいかん。うぅむ、難儀じゃな』

『人命に関わるのなら話は別だが、多少の環境汚染は目を瞑るしかない』凛々しい声の主は大和司令だ。『α―Ⅲ型の状態は?』

『いつでも来臨形態へ移行可能です』

「ちょっと待った!」


 窮屈なタイミングで隊員たちの会話に割って入ったのは、三登里の傍にいた金髪の適合者だった。三登里がまさかと思う間も与えずに、はきはきとした調子の良い声でユリウスは話を切り出す。


「大和司令、具申致します。簡単な事だ、今すぐ俺とルークを出撃させればいい。それで全てが解決する」


 丁寧な口調から始まって段々とそれが雑になる。彼の人となりを忠実に体現したかのような台詞回しだ。さっきまで不安が心の大半を占めていた三登里だったが、これには呆れる他なかった。


『寝言は寝て言え。群生相に巻き込まれたらひとたまりもない』

「SRフライトがあれば、β―ⅩⅤ型も倒せるし環境汚染も防げる! 鳥籠に閉じ込められた鳥は、いつまで経っても飛べないままだ! 頼む、司令! ルークの発進許可を!」

『蓮見、遠征班に連絡を。α―Ⅲ型の出撃準備』

『り、了解』

「無視するんじゃねぇ!」


 声を大いに荒げるユリウス。志藤塁に手柄を取られたくないだとか、自分勝手で我を通したいだとか、そういった邪な思考からの発言でないのは、彼の古くからの付き合いである三登里もわかっていた。六波羅ユリウスは根っからの正義漢なのだ。

 しかし、大和の返答はその熱き想いを受け流すかのような冷たいものだった。


『上司に対してその口の利き方は何だ』

「宝の持ち腐れだって言ってんだ! 街を破壊されるのを眺めるだけの、そんながっせぇヒーローがどこにいる!?」

『お前がいつヒーローになった?』

「なに!?」

『思い上がるな。ゼトライヱはヨルゴスを打ち払うだけの存在に過ぎん。何の犠牲も出ないなら、私だってそう命令している』

「だけど!」

『六波羅ユリウス!』


 食い下がるユリウスを黙らせたのは、厳然たる男性の咆哮だった。輪山りんざん総司令は、ここぞという時にしか言葉を発しない謎の人物だ。彼の言霊の前には、ユリウスの反抗など水泡に帰すも同然だった。


『玉砕覚悟の精神は英雄にあらず。英雄は生きる道に真の活路を見出す。眼を確と見開いて、戦況を見極めるのだ。最後に立っている者が正義であり、英雄だ。本当の切り札はルークではなく、お前自身だという事を忘れるな』

「……了解」


 ユリウスは震える唇を噛みしめ、そうとだけ伝えた。奇妙なほど素直に従う彼のことを三登里は不思議に思ったが、同時に胸を撫で下ろした。実際のところは確かではないが、輪山の咆哮によって、ユリウスの自重を促したといったところだろう。

 緋色の拳を力いっぱい握り、悔しさを滲ませるユリウス。有り余る正義感を他人に託すなど、彼の性格を考えれば有り得ない事だった。そう、今までであったらなら。


「へまするんじゃねぇぞ、志藤……!」


 絞り出すようにしてそう呟いた幼馴染を見て、三登里は衝撃を受けた。危機に立ち向かう者として責任感を強く感じていたユリウスが、もう一人の適合者に正義を信託するなんて、今までだったら天地がひっくり返っても有り得なかった話だ。ゼトライヱが二人になったことで、幼馴染にかかる負担が軽減されていたとしたら、三登里にとってこれほどの安堵はなかった。

 そして、夜明けの空を見上げたユリウスと三登里は共に願った。輪山の言う真の活路を、常盤色のゼトライヱがもたらしてくれますようにと。


                  ***


『只今、気象庁からバッタの大量発生による、緊急避難警報が発令されました。間もなく、東方面から函館全域に向かって、バッタの大群が到来します。近くにお住まいの方は、戸締りをして自宅で待機し、絶対に外に出ないようにしてください。外出中の方は、速やかに近くの建物の中へ入って避難してください。繰り返します――』


 特有の遅々とした放送と、けたたましく鳴り響くサイレン。

 午前五時二十六分、就寝していた市民は特に耳から非日常を察知し、訝しげに太陽が昇る方向の空を見上げた。蝗害を体験した事のある人間はほとんどいない。自分たちが、まるで台風の日に川の様子を見に行くような危険な状態である事を、一体どれだけの市民が危惧したであろうか。東の空が徐々に黒い何某に侵食されていく様を見て、悠長に構えていた者も血相を変え避難を始めた。


「近くにコンビニがあります! はやく逃げて!」

「アナウンスに従って、落ち着いて行動してください! 建物の中にいれば大丈夫ですから!」


 五稜郭にはまだ多くの人が散歩をしていた。今日中に立入を禁じられるから、明朝の内に理想郷を楽しもうといった目論みの人々が、脱兎の如く駆け出していく。ゼナダカイアムの隊員たちは少数ながらも、彼らの避難誘導に尽力した。その甲斐あって、郭内は志藤塁ただ一人を残して無人となった。

 望ら他の隊員たちは、大型バンに戻り司令室と連絡を取り合う。緊張感が高まる中、麦島、阿畑、そして安國隊員はスムーズに事をこなしていった。望だけがこの車内で唯一、胸の張り裂けそうな不安を表情に滲み出していた。


『群生相が到達するまで、あと三分!』

「五稜郭内にいる民間人は全て誘導しました」

『よし、α―Ⅲ型、来臨形態へ移行』


 大和司令が指揮官たる声でそう告げる。望も慣れないままに、普段とは違う声音で幼馴染に告げた。


「塁、来臨して!」

「了解!」


 しっかりとした返事を聞いて、望は幾ばくかの安心を取り戻した。モニターには、ドローンから得た適合者の現在の映像が俯瞰で映っている。

 五稜郭タワーの根元で佇立した志藤塁は、装着した常盤色の強靭な右腕を前方にかざす。やはりこの動作がないと、来臨係数が思うように上がってこないらしい。野球の左打ちに似て非なる奇怪な動作。しかし、望の目には、幾度かの戦いを経た志藤塁が、謎の貫禄を身につけたようにも見えた。


「来臨……ゼトライヱ!」


 此処に、常盤色の戦士が文字通り来臨を果たした。色彩に富んだ花弁が舞う五稜郭、その地に現れた戦士の雄大な姿には、言い表し難い趣があった。

 そんな余韻に浸る間もなく、戦士は彼方の空を見遣る。東の空は黒い染みのようなもので徐々に蝕まれつつある。ところが、絵画的風景の中に潜んでいるはずの諸悪の根源は、どこを探しても姿を現すことはなかった。

 近くで囁かれるような、遠くで呼びかけられるような、空に落ちていくような、地面に突き放されるような……。無色透明の感覚が戦士を襲う。これまでのヨルゴスの、悪鬼の如く放たれる存在感とは全く異なるもの。

 困惑の感情は、戦士の持つひとつの先入観を疑わせた。濁り、穢れ、歪み、染み……。幾多もの負の言葉を連想させるヨルゴス。人々にとって悪の化身とされる彼らが、はたして本当にそれだけの存在なのかどうか。


 刹那、戦士はハッとして辺りを見渡す。環境にさらなる異変が起きていたのだ。同時に、車中の隊員たちもその異変に気づいた。


「これは……!?」

『どうした?』大和司令が訊き返す。

「光が……光が落ちてきます。蛍の光のような……」


 適合者の言った通り、上空から無数の光の粒が降り注いでいた。何とも幻想的な光景に、人々は言葉を失った。夜が完全に明ける前に、函館の地は陽光ならぬ妖光を帯びて淡く輝いた。雪のように地上に積もる光によって、五稜郭はより理想郷へと近づいたようだった。

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