2-11 元凶の元へ
「催眠術じゃと?」
聞き返したのは近藤だった。司令室は未だ沈黙が続いている。
ゾンビ、感染、ヨルゴス、襲撃。今まで積み上げてきたものを覆される感覚が、大和の目を見開かさせる。催眠術といえば、人の潜在意識に働きかける技術のことで、人が研究し発展させたものだ。前提が破綻していると仙石も言っていたように、彼女も襲撃の根本に疑問を抱いていたというのか。
様々な憶測を頭に過らせるが、大和はそれを隅に追いやって「簡潔に説明しろ」とだけ言ってのけた。
「はい。結論から申しますと、フラドロ内で本日試写会が行われたメガクライシスという映画、これが襲撃の元凶に違いありません」
大型モニターには、その映画の宣伝ポスターが表示されて、続いて野球帽とサングラスに髭面、そして肥満気味という風貌の外国人の男の写真が数枚映し出された。全体が映る画像では、その男は杖をついていた。
「そして、その映画の監督であるホアン・マクレモア。彼が今回の事件と密接に関係していると推測されます」
「ホアン監督は本日、舞台挨拶という名目で現場に居合わせています」
「偶然ではないという事か」
三登里、そして近藤が真面目な口調で言葉を発する。水流のような辻褄の合い方は、結論が近づいている証拠。だが、盲信せず常に大局を見据えた姿勢でなければと、大和は黙りながら考えていた。
「わざわざ日本まで惨劇を見届けに来たわけね、趣味の悪いこと。それで、蓮見君は何か決定的な証拠でも掴んだの?」話を進めたのは大和の隣にいる仙石だった。
「ええ。ダミーAIにこの映画を視聴させてみたところ、人格が書き換えられ制御不能に陥りました。冒頭は普通の映画と変わりないのですが、徐々に催眠効果のある演出へと替わっていき、観た者を深い暗示にかけるようです」
「深い暗示……」三登里が蓮見の方を見ながら呟く。
「暗示というより、呪いと言った方がいいかもしれません。それほど凶悪なものです」
「道理で映像が出回らないわけね。催眠効果を確実にするために門外不出にしたと」
流行りの情報に疎い大和は、仙石の言う事を鵜呑みにするしかなかった。もっとも、司令室内でメガクライシスという映画の情報を知っているのは数えるほどしかいなかった。
「しかし蓮見よ、お主はどうやってこの短期間のうちに映像を入手したのじゃ?」
「ゴホン。それはさておき……」
咳払いをして珍しく言葉を濁す蓮見。卓越した情報収集能力を買われて組織の一員となった蓮見だが、そのやり方は合法と非合法の境界線を行き来するような危険なものだった。
「映画の内容は、ある科学者に拉致された主人公の男が洗脳をかけられ、自身の知らぬ間に猟奇殺人を繰り返していくというものですが、問題のシーンは映画開始からちょうど一時間後に仕掛けられています。拘束された男の額に一定の間隔で水滴を落とし続け、科学者は耳の傍で語りかけます。『お前は化け物だ。快楽のために人の命を奪う愚かな生物だ』と」
「そして、そのシーンを観た人間も男と同様、人を襲う化け物になるという仕組みか」
近藤が苦い表情で髭を擦る。使役という今までとは明らかに異なる異質なやり方に、大和も戸惑いを隠せなかった。今回の敵は、本当にヨルゴスなのだろうかと。モニターに映る画像のホアン監督は不敵な笑みを浮かべており、ある種の人間臭さを感じさせた。
「正しくは、化け物の振りをする仕組みですね。六波羅隊員の証言によれば、ゾンビになったと思われた人たちに目立った外傷がなかったわけですから」
そう修正した蓮見も、自分の説明した事に違和感を覚えざるを得なかった。首謀者がその気になれば、観客をもっとバイオレンスな化け物――人の骨肉を貪る残虐なものにだってできたはずだ。それがどういう事か、振りをするだけの暗示をかけたというのは甚だ疑問でしかない。
しかも、謎は他にもある。その一つを近藤は蓮見に訊ねた。
「ゾンビに襲われた客たちも、彼らと同じ姿になった点については?」
「それは……」
「それはヨルゴスの力によるもの」言葉に詰まった蓮見をフォローしたのは仙石だった。「そう考えれば納得がいくでしょう? ならきっとそれが答えよ。自分が正しいと思った結論を導くために、一生懸命になって解決の糸口を見つけるの」
仙石の強い瞳が周囲を頷かせた。目的はヨルゴス撃破の一点のみである。いくつもある謎や疑問は、今となっては足止めの要素に過ぎない。進むべき道を仙石は示してくれた。あとは大和が号令をかけるだけだった。
「まずは、ホアン・マクレモアの居場所を突き止める。志藤塁は今どこにいる?」
『あ、俺のこと呼びました?』
少々間の抜けた声がスピーカーから届く。日和って脅えていた常盤色の戦士は、いつの間にか英雄然とした姿を取り戻していた。
『こちら志藤。テーマパークで隠れていた望と泰紀を救出しました!』
「志藤塁、すぐに映画館へ向かえ! そこに何らかの手がかりが残っているはずだ!」
***
常盤色の戦士と二人の人間が、ゾンビの徘徊する通りを急ぎ足で往く。八方から聞こえるうめき声に先ほどまでは戦慄していたが、今となってはただの環境音に過ぎなかった。幸いにも、操られた人たちの動作は鈍足で、冷静になれば避けながら進むなど造作もない事だったと塁は反省する。身体能力が向上しているので、できるだけペースを望たちに合わせて先頭をひた走る塁だったが、ある場所で待ったをかけられた。
通りを抜け、フラドロの特徴でもある雫型の吹き抜けの広場に出ようとしたところだった。塁が不時着したアパレルショップも左前方に見える。当然のように傀儡と化した者どもが塁たちを見つけ、おぼつかない足取りで近づいてくるが、望が嫌悪感を示したのは彼らの存在ではなかった。
「やだ、あそこ通りたくない……」
珍しく弱気な望が指差したのは、床に大量の赤い液体をぶち撒けた死体だった。液体だけでなく固形物のようなものも見える。極めて凄惨な光景だった。襲撃の始まりの最中、起こってしまった不幸な事故現場。あの場所だけ時が止まっているかのような、不気味なリアルさがあった。それもそうだろう、徘徊しているゾンビは本当のゾンビでないと判明したのだから。
戦士の姿をした塁も、その異様な光景を前に体をのけ反らせた。
「うッ! これはひどい……」
思わず立ち止まってしまった二人を横目に、泰紀はその死体を避けようともせず、むしろ自ら歩み寄って行った。塁たちは目を丸くして幼馴染の行動を見守った。
「泰紀!?」
「どうしたの?」
「やっぱり……。大丈夫だ、これを見てくれ」
現場検証でもするかのように死体の前で膝をついた泰紀は、二人にこちらへ近づかせようと促す。望が戦士の背中を押し進めるかたちで、二人はおそるおそる死体の顔を覗いた。
死体の男性の顔は、毛穴や肌の質感、目元のシミから歯並びまで見事に再現されており――そう、再現されていると認識できる程度にそれが本物の人でないと見極めることができたのだ。
「人形!?」
「遠目ではよくわからなかったけど、これではっきりした」スッと立ち上がった泰紀は、彼方を眺めながら口を開く。「混乱の引き金となったのは、この偽物の死体だ。つまり、今回の襲撃は周到に準備されたもの。……いや、イベントと言うべきなのか」
イベントという言葉にピンと来た望は、壁の広告を一瞥して泰紀に訊ねた。広告はB級感あふれるデザインだったが、その中にもゾンビの群れが描かれていた。
「じ、じゃあ何? ゾンビ映画の監督がヨルゴスだっていうの?」
「映画館に行けば何かわかるかもしれない。……けど、そうも言ってられないかな」
望が周囲を見渡すと、既に正気でない人たちが彼女たちの周りに集まっていた。鈍足な彼らと言えど、捕まって強制的に目を合わせられれば同じ姿になりかねない。塁は直棒を手に取ろうとしたが、ピクリとして思い止まった。
先ほどはP.Zの放出で困難な状況を打開したものの、その放出量はかなりのもので塁は自身の疲弊を二人に悟られぬよう振る舞っていた。親玉を倒す力は当然残しておく必要がある。しかし、操られた人をそのままにしておくのも気が引ける。
塁の心情を察したかどうかはわからないが、釘を刺すようにして泰紀が告げた。
「塁、気をつけろ。彼らを傷つけてはいけない」
「でも、どうする?」
塁がそう口走る頃には、泰紀は既に動き出していた。泰紀はソフトクリームの売店に走り寄り、その荷台を力ずくで押し倒した。騒音が広場に響き渡る。ゾンビたちが一斉にそちらの方を向いた。
「僕らがゾンビを誘導する! その間に塁は映画館へ!」
僕らと聞いて塁は心配したが、それを吹き飛ばすように望が逆方向へ走り出し、その勢いに乗って平たいオブジェの上に登った。運動靴を履いていなければ無理な動作であっただろう。「とぉりゃあッ!」かけ声を出した望の方にも、生気のない視線がいく。
「へへん、本物のゾンビじゃないなら怖くないんだから!」
「望!」
「塁、さっさと行ってヨルゴスをぶっ飛ばしてきなさい!」
望はそれ以上は語らなかった。長年の仲だから、互いに頷くだけで意思疎通が行なえたのだ。されど鈍感な志藤塁は気づかぬことだろう。友情より深い親愛の情を抱いて押し黙る、一人の女性のことを。
「無茶はするなよ」
そう告げて常盤色の戦士は駆けだした、今まで抑制していた移動の速さを存分に発揮して。通り過ぎるとつむじ風が巻き起こるように、正面にいたゾンビたちをごぼう抜きにしていく。階層などはあってないようなもので、戦士は跳躍して壁に張りつき、三角飛びの要領で一気に二階へと到達した。壁に走った僅かな亀裂は、その人間離れした瞬発力を物語っている。
オブジェに群がるゾンビたちの頭上を飛び越え、望は戦士の逆方向へと彼らを陽動する。女子とは思えぬ軽快な動きであったが、胸中は完全に乙女心を催していた。もっと心配してくれてもいいのに、塁のやつ……。
観葉植物を蹴飛ばして注意を惹く幼馴染のことを、いつもの元気を取り戻したかと勘違いして感心する泰紀の姿があった。
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