2-10 三つ目の仮説
「おっじゃまー。およ?」
仕事が一段落した仙石は、休憩がてら司令室に顔を出しに行った。というのは建前で、Zレガシーから送られる適合者の無線を責任者の権限により傍受し、何やら面白そうな状況になってそうなので司令室に遊びに行ったのだ。司令を務める大和と旧知の仲だからできる振る舞いだった。
ところが、三層から成る司令室の繁忙っぷりは仙石の想像をはるかに超えていた。
「六波羅隊員の安否はまだか!?」
「数値に異常ありませんが、こちらの呼びかけにも反応ありません」
「司令、政府から現場の詳しい状況を報告せよとの通達が」
「ゼトライヱ二体が事態の究明に当たっていると伝えておけ。自治体には周囲の人々の避難指示を徹底させろ」
熱気と慌ただしさが混じり合う幾多の会話が行き交うなか、隊員に向かって最も大きな声量で指示を出すのは大和だった。総司令として輪山という無骨な大男もいたが、彼は腕を組んで状況を静観するばかりだった。大和は入室した仙石のことを知ってか知らないでか、彼女の方を見向きもせずに司令としての役目を果たしていた。
「麦島二尉、今回のは新型とみて間違いないな?」
「微弱な反応でありながら、これだけの被害を生み出すタイプは初めてですね……」
「人工知能による結果予測は?」
「社会性昆虫に類似するものが有力とありますが、断定はできません。その他にも六十五のパターンが予測されています」
「チッ、数が多すぎる……」
不機嫌そうな大和に誰も目を合わそうとしなかったが、仙石は違った。てくてくと歩み寄り、にやにやしながら旧友の顔を覗いてみた。大和は仙石のことを一瞥もくれなかったが、その存在はしっかりと認識していたようだ。
「こりゃまた随分と立て込んでるね」
「突っ立っている暇があったらお前も手伝え」
「オッケー。で、何が起きてるの?」
「こっちが知りたいところだ」
「何それ」
つっけんどんな応酬が繰り広げられる。実際、仙石も事態を楽観的には捉えていなかった。六波羅ユリウスという適合者が不覚を取ったとは考えにくい。これで前回のヤタガラス戦に続いてユリウスは戦闘不能に陥ったわけだが、彼の能力を鑑みればほとほと運の悪い結果だと仙石は分析している。まあ、運の良し悪しに関係なく結果を出すのがゼトライヱに課せられた使命なのかもしれないが。
白昼の都市部で起きたヨルゴスによるものと思われる謎の襲撃。ゾンビに変貌する人々。ユリウスがそれを疑問視するような事を口走った矢先の昏倒。現場で何が起こっているのか、一口ではまるで説明しきれないほどの混乱が渦巻いている。もう既に面白い状況とは言っていられず、仙石は司令室まで応援に向かった次第だった。
一方、大和たちのいる一つ下の層では、小向と蓮見が中心となって作業に当たっていた。それまで他を寄せつけない集中力で最適なタスクをこなしていた小向だったが、大事な局面を迎えた場面で突然変な声を出してデスクに突っ伏したのだ。
「むぎゅう」
「瀬奈ちゃん!?」
「つ、疲れて電池が切れそうです。何か甘いものを……」
人は疲れた時に糖分を欲する。小向においてはその傾向が顕著で、一度でも手が止まるとダメになってしまう体質のようだ。それがまるで動力の切れた電化製品みたいだから、彼女自身で電池切れと自虐している。
蓮見もそれは承知済みであったため、こういう時のための非常食をすぐさま用意することができた。砂糖をまぶした桃色でキューブ状の和菓子――寒天ゼリーである。賞味期限やコストなどを考慮したうえで蓮見が厳選した、小向のための一品だ。ちなみに、蓮見はそれがあまり好みの菓子ではなかった。
半開きの小向の口に一つを放り込むと、見る見るうちに上体を起こしてシャキッとした。効果はてきめんのようで、小向は両の拳を握りしめて声高に叫んだ。
「甘い! 私、頑張れます!」
その時、小向のデスクから何かが落ちた。彼女の手が積み重なった資料にぶつかり、その上に置いてあったいくつかの小物が床に転がったのだ。すぐに作業に戻りたいと思った小向だが、床を散らかしたままなのはさすがに具合が悪い。手を伸ばしててきぱきと小物を片づける小向は、不意に妙な空気を感じ取った。それは本当にちょっとした事で、隣の席の先輩が片づけを手伝ってくれないというものだった。いつもなら手伝ってくれるのにと、ふと顔を上げる小向。そこには、目を見開かせたままこちらを凝視して固まる先輩の姿があった。
「これは……!?」
「どうしたんです、蓮見さん?」
あまりにも先輩が神妙な面持ちでいるから、小向は思わずそう訊ねずにはいられなかった。蓮見は答えずに、眼鏡を光らせて自身のデスクに体を向き直す。一つの意識に入り込んだ人というのは、話しかけられる隙を与えない。小向は様子のおかしい先輩を怪訝に思いながらも、自分も仕事に戻ることにしたのだった。彼女が今デスクに置いた小物の中に、蓮見がある重要な手がかりを見出したことも知らずに……。
場面を上の層に戻すと、ちょうど大和が重たい息を吐き、同期の仙石に助言を求めるところだった。二人の関係性を表す言葉があるとしたら、それは微妙の一言に尽きる。友人、知人、仲間、同志、ライバル、どれを取ってもしっくり来ない。だからこそ、大和は掴みどころのない仙石をなるべく頼らないようにしたし、仙石の方も我が強い大和に対し必要以上に絡むことはしなかった。女同士の謎の意地の張り合い、とも言えよう。
そんな付かず離れずの二人が協力するという事は、それこそ現在の非常さを鮮明に表していたのだ。声量を抑えた大和の声もそれと同様だった。
「今回のヨルゴスは、大勢の人間をまとめて操る能力を持つと考えられる。お前の主観でいいから、有力な仮説をいくつか挙げてみろ」
「ふむ。では三つほど」仙石はすぐに答えた。そのへんに関しては抜かりなかった。「一つは寄生体ね。人体に寄生したヨルゴスが、宿主の行動を操っているというもの。有り体に言えば生物災害」
人工知能による予測結果と同じ見解なのか。大和は鋭い視線でそう訊ねた。伝達は上手くいったようで、仙石は話を続ける。
「カマキリに寄生したハリガネムシが、宿主を水中に飛び込ませる……。地球上の生物においてもそういった事例が確認できているし、ヨルゴスなら尚更ね」
「確かに、ヤタガラスは地球の生物であるカラスに似た外見をしておった。奴等にとって、擬態や能力の模倣などは造作もない事なのかもしれん……」
たくわえた顎ひげを擦りながら、近藤が司令の代わりに相槌を打つ。
地球上の生物に似せた体を持つヨルゴス。全体のフォルムは霊長類さながらの直立姿勢で手足があり、そこから様々な生物を模倣したような姿で我々の前に現れる。先の闘いのヤタガラスは鳥類をモチーフとしていたが、〈ヨルゴスの来寇〉の際には他にも、甲殻類や昆虫の特徴を持つ化け物が人々を脅かした。〇〇人間や〇〇怪人――〇〇の中に任意の生物が入ると言えばわかりやすいかもしれない。
さて、今回の新型は寄生体という予測が有力とされているが、もしそうだとするといくつかの疑問点が生じてしまう。散布型ヨルゴス感知榴弾〈アマノハバヤ〉は、たった一つの微弱な反応しか捉えなかった。親玉のヨルゴスが子の寄生体を人間に取りつかせたのであれば、反応は複数であるのが妥当だ。
それに加え、モチーフとなる生物が依然として不明なのも気がかりだ。人を死に至らしめる寄生生物はいるにはいるが、今回のものとは当てはまらない。人の行動を牛耳るような生物をモチーフとしているのなら、それはまさに世界規模の生物災害という事になるが、それはないと大和は直感した。大和司令は勘が鋭いことで知られている。
しかしながら、今は勘で物事を判断する場面ではないため、大和は脳内でそのような思案をめぐらすだけに留まった。そうしているうちに仙石が続きを喋りだす。
「二つ目は特殊な精神感応による使役。言わばヨルゴスだけが扱える超能力ってとこかしら」
「科学者の発言とは思えんな」
呆れたように大和はそう言う。対して仙石は知的な眼差しを彼女に向けた。
「そう? 重力を自在に操れる生物が出てきたんだもん、今さらどんな奴が現れたって不思議じゃないと思うけど」
「限られた範囲と人数なら操作可能なのかもしれんな。それならショッピングモールを封鎖したのも合点がいく」
やはり相槌を打ったのは近藤だった。
仙石の示した仮説の二つ目は、こうであれば楽だよねという彼女らしい希望的観測そのもののようだ。楽という表現は語弊があるが、仮にそうなら来臨形態を維持した志藤塁が、ヨルゴスを早急に発見し、操られることなく是を撃破すればいいだけの話になる。
おそらく、そうは問屋が卸さないだろう。近藤も言っていたように、襲撃の前後に人為的のような策略が仕組まれている。しかも、その策略は被害の拡大を狙ったものではなく、逆に被害を制限するかのような計画的な犯行だ。計画というある程度の知性が必要な行動を、ヨルゴスが取ったというのだろうか。それとも、大和たちが知らなかったもっと複雑な事情が絡んでいるのだろうか。
深く考え込んでも埒があかないため、大和は最後の仮説を訊くことにした。
「三つ目は?」
「三つ目は、そもそも前提が破綻しているというもの」
そう告げた仙石は、お手上げとでも言うように首をひねらせた。
「どういう事だ?」
「大勢の人間を操るくらいなら、ヨルゴスじゃなくとも可能という事よ」
「何? それは一体――」
「大和司令!」
自分を呼ぶ声に大和は反応した。声の主は下の層にいる蓮見二尉で、鋭い眼差しで大和を見上げている。沈着冷静な彼が語気を荒っぽくしているのを見たのは、大和はこれが初めてだった。
眼鏡のズレを直す仕草と同時に、蓮見は大和たちに向かって申し立てた。
「やっとわかりました。今回の騒動は生物災害でも、ヨルゴス特有の超能力でもありません」
断言した蓮見に、周りの隊員は一斉に彼の方を注目した。しんと静まり返る司令室。ある一名を除いた隊員らは、蓮見が次に発する言葉を早く聞きたいと思ったことだろう。白衣を纏う仙石だけは違った。自分と同じ考えに辿り着いた者がいることに感心し、満足げな表情を浮かべていたのだ。
「催眠術です」
蓮見の隣にいた小向は息を呑んだ。彼女のデスクには、二つの赤いアロマキャンドルと、穴に糸を通した五円硬貨が置かれていた。
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