2-6 状況開始

 午後二時一七分、ゼナダカイアム司令室。

 電磁式カタパルトを用いたZグライダーの射出は滞りなく行われた。後はユリウスたちが目標地点に無事着地できれば、飛行まわりの工程が完了する。もちろん問題はその後、未知の生物との戦闘なのだが。

 隊員たちが一息つく暇もなく、不可解な問題が発生する。蓮見は実は二分前からそれに気づいていたが、報告を一旦保留していた。初の飛行実践中の適合者たちへの配慮だった。それまでに解消できればと淡い期待を抱いていたが、既に問題は無視できない段階にまで達していた。

 蓮見は意を決して、その問題を大和に報告する。


「司令。先ほどから宇津木隊員と安國隊員との通信が途絶えています」

『望と泰紀が!?』すぐに飛行中の塁が反応した。

「阿佐谷のショッピングモール、フラドロ……。あー!? 私がオススメしたお店だ!」

「彼らは別任務で外出しておったな。無事だといいが、奇妙な偶然は続くものだのう」


 作戦中だというのに、小向が真剣味のない奇声を上げる。そういえば、昼休みにそのような事を言っていたような気がすると、蓮見は記憶を巡らせた。相槌を打ったのは近藤だが、その含みある言葉は独り言に終わった。無視したというわけでなく、各隊員たちが忙しくてそれについて吟味する余裕がなかった、という方が正しい。それでも蓮見は胸中で、偶然にしては度が過ぎるのではと疑問を抱えていた。


「聞いたな、志藤塁。二人は襲撃に巻き込まれた可能性が高い」

『生きて……ますよね?』


 珍しく弱気な塁だったが、彼の不安は大和が一蹴してくれた。


「私の勘に過ぎないが、安國隊員がいる限りは大丈夫だろう。奴は賢い」

『俺もそう思います! 泰紀なら、きっと望と一緒に何とかしているはずです!』

「だったら彼らを信じて、救ってみせろ。今のお前にはそれができる」

『はい!』


 はきはきとした小気味良い返事に、大和は黙って頷いた。生気溌剌たる若者というものは、得てして組織の士気を上げるものである。緊張感が漂っていた司令室も、志藤塁という適合者が加入したことでさらに結束を深めたようにみえた。

 大和は腕組をしたまま、落ち着いた口調で塁たちに告げる。


「さて、状況はドローンで確認したが、あまり芳しくない。目撃者の証言通り、建物の中は既にゾンビだらけだ」

『ゾンビ、ねぇ』訝しんだ声の主はユリウスだ。

「おそらく閉じ込められた人間たちも、襲われて感染したものと思われる」

『病原体を持つヨルゴスってことですか?』

「いくつかの可能性があります」蓮見はユリウスたちの会話に割って入った。

「病原体を持つヨルゴス、もしくはヨルゴスそのものが病原体、もしくは――」


 二例とも脅威であることに変わりないが、最後の一例を言おうとした蓮見の声音は自然と低いものになった。


「死者を操るヨルゴス……」

『はぁ? 本気で言ってんのか?』舐めた口調での返事に対し、蓮見は毅然として答えた。

死霊魔術師ネクロマンサーという言葉が昔からありますし、現段階では如何なる可能性も否定できません」

「建物外の人間に感染者がいないことから、空気感染の線は薄いだろう。政府としてもこれ以上の混乱は避けたい。直ちに現場に向かい、原因の究明に当たれ」

『了解』


 大和に対しては従順な態度を取るユリウス。もう少し大人になってくれればいいのに、という思いは心の内に留めることにした蓮見であった。


「しかし司令、ゼトライヱ二体の投入はいささか窮策過ぎるのでは? 調査隊の方でも原因究明のために動いています。今からでも遅くはありません。どちらかを退かせて、こちらの警護に当てた方が念のためかと」


 近藤が隣にいる麗しい司令に具申する。大局の動きに五月蝿いのが近藤という壮年の隊員だった。脂の乗った腹と思慮の深さは伊達ではない。若輩者の蓮見も彼と同じ意見であったため、タスクをこなしながら聞き耳を立てた。敵は得体の知れない異星人、どんな安全策を取ろうが充分すぎることはない。

 そんな蓮見の不安の種を払拭するかのように、大和は室内に高声を響かせた。理屈を語られるより何倍も説得力のある言葉だった。


「リスクである事はわかっている。だが、これは国民にゼトライヱの必要性を認識させる絶好のチャンスでもある。それに、六波羅隊員を一流の戦士に育て上げたのはこの私だ。そんなにヤワに育てた覚えはない」

『司令のおっしゃる通り。正義の味方がゾンビになるかよ! これより着地態勢に入る!』


 隊員たちは前方の巨大なモニターに顔を向ける。現場上空で待機中のドローンが、高速で接近する飛来物を捉えた。ユリウスは高度を下げて、雫の型がくり抜かれたような建物の屋上に狙いをつけた。フラドロの屋上は子供向けのアミューズメント施設となっており、左奥の広場はステージとそれを囲むような扇形の観客席がある。だが、屋上は閑散としており、周りに二十に満たないほどのふらつき歩く人影がざっと確認できるだけだ。それらが本当に人間であるかどうかは、今のところ判別できない。

 ひとまず人のいない地点に着地しようと、ユリウスは右端奥の貯水タンク付近に目掛けて下降する。操作を誤れば建物外に墜落するが、そんなヘマはありえない。ユリウスは細心の注意を払って、タイミングよく背部の固定具を外した。体が慣性と重力を受けて地上へと落ちていく。

 注意すべきは慣性の方。地面を滑るように減速しなければ、死にたくなるほど格好悪い転げ方をして着地することになるぞ。大和の教えを胸に刻んでいたユリウスには余裕があった。だから、ゼトライヱが上空から現場に向かう様子を各々のスマホで撮影する地上の人々に対して、複雑な気持ちを抱きながら着地態勢に入ったのだ。

 ズシャアと、激しく擦れ合う音が屋上に響く。混凝土の破片が飛び散り、焦げた匂いが辺りに舞う。まるで火砕物が飛んできたかの如く光景だったが、その焼け焦げた中心で今立ち上がったのは緋色の戦士――ゼトライヱα―Ⅱ型だった。


「α―Ⅱ型、着地ポイントに到着」

「さあて、問題は次じゃが……」


 近藤が低い声で呟く。三登里以外の司令室の隊員らは、ユリウスの事を心配していなかった。それは失敗するはずがないという安心感があったからだ。彼らは近藤の言うように、ゼトライヱになって間もない、ちょっと前まではただの一般人だった人物が心配で仕方がなかった。

 モニターに映る次なる飛来物は、視認できるほど不安定な状態で降下し続けている。機体の速さから進入角度と方向、固定具を外すタイミングに至るまで、ユリウスが見た限りでは全てが抜かりなくだった。


『う、うわ、うわあああぁぁぁ!?』


 哀しき最期を遂げるパイロットのような叫びと共に、常盤色のゼトライヱは先輩が見ている前で雫型の穴に落下したのだ。ドンガラガッシャンと、色々な物体を薙ぎ倒す騒音が隊員たちの耳を襲う。小向は口元を手で覆い、蓮見は唖然とし、近藤は目を丸くし、大和は頭を抱えた。――今まで腕を組んで仁王立ちのまま会話に入ることのなかった輪山総司令でさえ、片方の眉をピクリと動かした。

 おおよそ来臨形態でなければ体を強く打って敢え無く死亡しているところだ。一部始終を見届けたユリウスのやれやれといった言い草が、それを物語っていた。


『フォローのしようがねえぜ……』


                  ***


 建物の外から様子を覗っていた人々は騒然としていた。二体のゼトライヱが小型の飛行機で登場したときはフラドロの周囲から歓声が上がった。マスコミも含めたほとんどの人がカメラなどを手に取って撮影に挑んだが、二体目の戦士がバランスを崩して不時着したと来れば、その歓声が戸惑いの声に変わるのも無理はなかった。建物の中から、不穏に濁った煙がモクモクと昇っている。

 その中心で蹲っていた常盤色の戦士は無数の瓦礫を払いのけ、腰に手を当てて今ゆっくりと立ち上がった。身体の背面のありとあらゆる部分を痛めてしまったようで、直立するまでには至らなかった。


「ぐはぁ、痛ってぇ……!」


 まるでプロの選手が投げる球で何度もデッドボールを食らったような感覚だった。反射的にウッと声が漏れてしまうほどの衝撃を間髪入れずにもらってしまった。訓練の際に、頭だけは守れという大和の教えに従っていなければ、来臨形態と言えどもタダでは済まなかったかもしれない。


『生体装甲、二十二パーセントの損傷。脈拍に異常な乱れあり』『神経系に異常は?』『問題はないようです』『来臨形態の維持は――』


 そのようなやりとりを、塁は激痛に耐えながらかろうじて聞き取っていた。塁自身の感覚としては、痛みよりも羞恥心の方が彼を悩ませる原因となっていた。大事な場面でエラーをしてしまい、気持ちを切り替えるにも切り替えられるはずもないあの感じ。生体装甲で顔が覆われてなければ、煩悶に歪む塁の顔面が露になっていたことだろう。

 焦る小向の声が耳に届いても、塁はまだ冷静になれなかった。


『志藤さん! 生きてますか!?』

「な、なんとか」

『周囲の状況を教えてください。煙が舞って志藤さんの姿が確認できません』

「えーっと……」


 痛みを押し殺して塁は辺りを見回すと、自分が窓を突き破って建物の中に入っていたことに初めて気づいた。そして、塁がギョッとしたのは踏みしめた硝子の破片ではなく、地面に転がる無数の裸体の所為だった。よく見るとそれは裸体ではなくマネキンで、床には埃だらけになった衣服が散らばっていた。塁は広場の内側の側面にある服屋のショーウィンドウに突っ込んだのだ。

 穴の空いた窓を跨いで煙に包まれた広場に戻った塁は、すぐさま奇妙な雰囲気を感じ取った。それは、人のいない教室を一度振り返るような孤独感に似ていた。衝撃の残響さえ虚ろに漂っているだけなのに、屋上にはユリウスがいるはずなのに、いつの間にか廃墟に迷い込んだ気分だった。


 そこにひとつの足音が聞こえたのだから、塁は本能的に構えてそちらの方を向いた。

 姿を見せたのは人間の男に違いなかった。しかし、塁の警戒心はなぜだか消えなかった。

 煙たい空間から徐々に姿を現したのは、足元のおぼつかず、衣服を紅く汚し、常人ならざる瞳をこちらに向ける者だった。敵対や狩猟などの意思を持たず、されど強い攻撃性を孕んだ瞳は、常盤色の戦士に狙いをつけていた。

 ひとつ、またひとつと煙の中からこちらに近づく足音が増えていく。主婦も老人も警備員さえも、血塗れでうめき声を上げるだけの亡者に成り果てていた。晴れない霧の向こうから異形が襲い掛かる映画を塁は想起する。彼は戦士の姿のまま、無惨な最期を遂げる脇役という、そのような不相応な役柄に図らずも徹していた。


「ゾッ……!?」

『ゾ?』


 小向が聞き返した後、あまりに惨めな塁の叫びが広場に響いた。


「ゾンビだあああぁぁぁ!?」


 何を隠そう、志藤塁はホラー系に属するものが大の苦手だったのだ。適合値が目に見えて著しく低下していく。大和は見兼ねた様子で塁に檄を飛ばした。


『日和るな! 落ち着いて対処すれば何も怖くない!』

「んな事言ったって、ゾンビッスよ!? 白目剥いてましたよ!? 噛まれたら終わりだってのに落ち着けなんて……わあッ!?」

『志藤さん!?』


 訓練の時に一言も口答えしなかった塁が、よもやこのようなパニックを起こすとは。初見でヤタガラスを撃破したことを踏まえての今回の出撃だったが、大和はむしろ自分自身を責めていた。適合者の能力を全て把握したと思い込んでいた自分の失態だ。

 大和が自責の念に駆られている間にも、時計の針は止まらずに回り続けている。焦りに焦った塁の声がスピーカーから届いたが、ドローンから常盤色の戦士の姿は捉えられなかった。舞っていた煙が晴れても、その姿は確認できなかった。塁は建物の内部に逃げこんだのだ。


「ヤバいヤバい、うじゃうじゃいます! 道を塞がれた……」

『ユリウスと合流しろ! 屋上に行け!』

「だから、屋上への道がゾンビだらけなんス! あー追ってきた!? ひとまず下に逃げます!」

『あのたわけぇ……!』


 屋上にいたユリウスは広場を覗きながら、隠しきれない殺意が混じった大和の小言をバッチリと聞いていた。広場や他の階には、既に大勢のゾンビが跋扈している状態だ。彼らはとりわけ足が速いというわけでもなく、知性を持った行動をしている風でもない。となると、生きている人間がどこかで鳴りを潜め、助けを求めているかもしれないが、ここからでは確認できない。

 ただ、ユリウスは何か引っかかりを感じていた。六波羅ユリウスは、非科学的な話を一切信用しないタイプの人間だった。霊的なものを信じるタイプである三登里に対し、わざと怖がらせるような話をよくしたものである。

 違和感の原因をはっきりさせようとするユリウスだったが、屋上のどこかで助けを求める声が彼の耳に届いた。事態の究明は後回しにして、今は最優先事項を遂行しなければならない。


「こちらユリウス。どうやらビビりの後輩を助けに行く暇はないようだ。状況を開始する」


 知らぬ間に近づいてきていたゾンビの群れを跳躍で飛び越え、緋色の戦士は声のする方へと向かった。

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