第14話「恭子の叫び―――11年の愛、1億年の恋」


「私は渡辺恭子です!!妻である私を誘拐しただなんて、あなたたちが無実の罪で捕まえてしまった私の旦那さまを返してください!!」


 美子先生やクラスメイトが自分を捕まえようとしている女性警官たちの壁になってくれているのを尻目に、恭子は多胡中央署のホール前玄関の自動ドアを手でこじ開けるようにして署内にし、即座に受付へと駆け寄って決死の形相で叫んだ。


 その内容も内容だが、大人しそうな一介の女子高生に捲し立てられた受付の警官も流石に慌てる。


「ちょっ、ちょっと待って―――」

「―――いいから、おじさんに会わせてっ!!」


「おじさんっ!どこにいますかっ!?返事をしてくださいっ!!」


 おもいっきり目を瞑り大声で純一を呼ぶ恭子の姿を見て更に混乱を増す受付の警官だったが、少しづつ状況を整理して恭子が息を切らした時にはこの現状を理解できるようなひとつの節があった。


「あなた……まさか、今取り調べをしている渡辺純一の被害者の女子高生?―――結婚?……何を言っているの?……家出した貴方が渡辺純一のことを好きになるのは勝手かもしれないけれど、そんなウソが通用するワケがないでしょう」


 受付の机にダン、と大きな音が鳴ってそこには一枚の紙が叩きつけられていた。


「私は正真正銘のおじさんの妻ですっ!」


「―――なっ、なんですって!?」


 目を見開くようにしてその婚姻届受理証明書に食い入る受付の警官は、同じようにして覗き込んでいた隣の警官に耳打ちする。


「いますぐ、取り調べをしている浜田さんを呼んできてちょうだい」




 数分後、純一と共に居た取り調べ室からこの場の受付まで駆け付けた浜田と呼ばれる刑事の形相は純一を逮捕した時や取り調べの時なども比べ物にならないくらいのものだった。


「結婚たあどういうこったぁっ!?」


「いえっ、私も驚いているんですけど……これを見てください」


 受付の女性警官からその証明書を奪い取った浜田はそれを見て小さく呟く。


「……偽造じゃねえのか」


「浜田さんたちが渡辺純一の自宅に突入してから今のこの時間までに役所の印まで完璧に偽造するのは考え辛いかと……」


 浜田は舌打ちをして苦虫を噛み潰したような顔をした後に、受付の机を足を思い切り蹴りつける。


「そもそも、ハピ―――この子は坂下が施設まで送る筈じゃなかったのかよっ!アイツ、何逃げられてんだっ!JKの一人も移送できねえのかっ!」


 そんな刑事の姿を見た恭子は彼をキッと睨みつける。純一を始め、もし彼女を知る人たちがその顔を見たら驚きを隠せないだろう。それほどまでに恭子は昂ぶっていたのだ。


「私は警察の人から逃げるようなことは何一つしていません。そしておじさんも警察の人に捕まるようなことは何一つしていませんっ」


「っ―――、ハピ―――、いや嬢ちゃん。おっさんとはいえ一つ屋根の下で一年もの間を一緒にいたんだ。ご両親が亡くなって、親戚の家で疎外感を感じて、そんな中で唯一自分を見てくれている人がいるって思ったんだもんな。心を許す気持ちはわかる……でも、それは奴が嬢ちゃんの心の弱みに付け込んで植え付けた嘘っぱちの気持ちなんだよ」


 本来ならこれほどまでに清楚で美しい女子高生が、冴えないおっさんを好きになるわけがない。彼の目と言葉はそれを物語っていた。

 

「嘘……なんですか?私の気持ちは嘘なんですか……」


 恭子の呟きに浜田はここぞとばかりに声のトーンを一つ落として語り掛ける。


「ああ、そうさ。この証明書をつくるために偽造した……いや、嬢ちゃんが偽造せざる得なかった婚姻届けや叔母さんの同意書と同じように、嬢ちゃんの今の気持ちは奴によって偽造された偽物なんだよ」



 恭子はそれを聞いた後に顔を落としたまま、浜田と同じ声のトーンで話す。



「私が5歳の時に熱を出して幼稚園を休んだとき、お母さんもお父さんも仕事を休めなくて家には居ませんでした。それでも私は微塵にも寂しくはなかった。だって、代わりにおじさんがずっと一緒に居てくれたから、おじさんが何時間も何時間も寝ているときまで絵本を読んでくれたから」


「私が小学生1年時に初めて遠足のおやつを一人買う時に、浮かれてて間違って買い物かごに入れるはずのお菓子を手さげ袋に入れちゃったんです。それで店員の人に両親を呼んで、私はとても怖くなって、でも店員さんもお母さんもお父さんも全然怒らなくて、その時の私はそれがなんだか恐ろしいほど怖くて……謝ることも出来ずにずっと真っ青になってました」


「その後にちょっと遅れて汗を垂らしながらおじさんが来てくれて……私を怒ってくれたんです『コラ!恭子、駄目じゃないか!俺だって何回も教えただろう?買い物はカゴに入れてレジに持っていくって、ちゃんと店員さんに謝ったのか?』って」


「私は大泣きして精一杯謝りました。そして店員さんが『いいよ、泣かないで、パパやママを呼んだのも所詮は堅物の主任が勝手に決めたルールだったからだったし、そもそも本来はレジを抜けないと万引きにはならないんだし、次から気をつければ全然問題ないよ』って言ってくれて、その時に初めて悪いことをした私が許して貰えたって思えたんです」


「小学校の修学旅行の時……私は同じ班の友達と一緒に旅行に持って行くパジャマを買いに行って、それを旅行先のホテルや旅館で一緒に着るの楽しみで……本当にわくわくしていました。余りにも楽しみで旅行前はおじさんにも何回も言っていました」


「でも修学旅行の当日、いざ家を出る時に何を忘れてもそれだけは忘れちゃいけないって、玄関で荷物のチェックをしたのが駄目でした。そのパジャマだけを鞄に戻し忘れちゃったんです」


「旅行先の九州でそのことに気づいたときにはもう手遅れです……私はホテルの豪華な食事も味もわからないほど、初日の夜まで落ち込んでいました」


「でも、お風呂を出て部屋に戻るときに、担任の先生から誰かが面会に来ているってきいて……旅行先で近くに親戚とかがいる人は面会できるって言うのは事前の連絡で聞いていたんですけど、九州に私の親戚がいるだなんて両親からは一度も聞いたことがなかったのでその時は先生の勘違いじゃないかって思ったんです」


「でも、先生が間違いないって言うからロビーに行ってみると……おじさんがうさぎ柄のパジャマを抱えて立っていたんです。そして『駄目じゃないか、あんだけ皆で着るのを楽しみにしていた寝間着を忘れるなんで恭子は浮かれるとおっちょこちょいになるんだな』って渡してくれました」


「飛行機じゃないと来れないような距離のところにおじさんがいることに私はパニックになって何一つ言葉が出ませんでした。そんな私におじさんはそっと頭を撫でてくれて『小学校の修学旅行ってな、何度かある修学旅行の中で一番楽しくて、一番記憶に残るもんなんだ、目一杯楽しんでこい』そう言ってくれて……ようやく私が出せた言葉はなんでここにおじさんが、、、でした」


「おじさんは目を泳がせながら出張のついでとか言ってそのまま帰ってしまいましたけれど、私はおじさんが持ってきてくれたパジャマを胸に抱きしめて涙を流しながら必死で考えてました。急に出張だなんてあるわけない、おじさんはきっと私にこれを届けるために追いかけてくれたんだって……私はパジャマ忘れて酷く落ち込んでいた気持ち以上に切なくなって涙を流し続けました」


「本当は皆と一緒にこのパジャマが着れるのが嬉しい筈なのに、嬉しくない訳がないのに……それでも涙が止まらなくて、そんな私を先生が見つけて私の話を聞いてくれました」


「おじさんがパジャマを届けてくれたこと、嬉しい筈なのに涙が止まらないこと、私が抱き続けてるおじさんの気持ち、ずっとずっと先生は聞いてくれました。先生はビックリしていましたけど、最後こう言ってくれたんです」


「『多分それは大人の恋心よ。女の子は心の成長が早いって言うけど本当なのね。私は小学生の担任としても一人の女性としてもそれが良い事なのかわからないけれど、今の気持ちを大切にしなさい。そう……神海さんは大人の男性に恋をしてしまったのね。でもね、いつまでも泣いてては駄目、神海さんの好きな人は神海さんがこの修学旅行を楽しんで欲しくてそれを持ってきてくれたんでしょう』」


「私がおじさんの事を好きなことくらい、そんなことくらい自分でもずっと前からわかっていました。だって私は5歳の時からおじさんの事が好きで好きで堪らなかったんですから。でもその時に初めて、人を好きになると切なくなる時があるって知ったんです……」



 恭子が顔を上げた。



「そんな、そんな、私の11年間の気持ちを、私の恋を、おじさんへの愛を、貴方は嘘で偽物で―――偽造した作り物だって言うんですかっ!!!」



 恭子の独白を聞いた浜田はたじろきながらもそれに喰らい付く。


「嘘だ、ウソだ!そんなの俺は信じないっ!ハピネスッ!なんでお前は気づかないんだ、そんな気持ちは恋じゃないっ!実際に奴はハピネスを守れなかった、こうやって捕まってしまったじゃないかっ!奴にはキミを守れる力はない……しかし、俺にはその力がある。俺は奴とは違ってキミを守ってやれる、今日から俺がキミを守ってやるから、これからは俺の事を好きになれ!そして奴のことはキッパリと忘れてしまうんだっ!!!」


 気がつけばその場にとても大勢の人がいた。


 美子やクラスメート、駆け付けた複数のハピネスのファンはドン引きしながら『あの刑事ただのハピネスファンなんじゃねえのか』などと口々に声を荒げる。


「がんばれ神海!」

「ハピネス負けるなっ、ハピネスとおっさんのあの時の絆は嘘なんかじゃねえ!」

「神海さんは絶対に間違っていないわ!」



 恭子は叫んだ。


「私を守るですって……馬鹿にしないで……私は守られるだけの存在になんてなりたくないっ!私がおじさんを守るんですっ!!私がおじさんを守りたいんですっ!!私の気持ちが嘘でも偽物でも偽造であっても、もうそんなの何でもいいっ!私は貴方なんて、絶対に貴方なんて好きにならないっ」



「例えこの現世におじさんがいなくても、私は他の誰かを好きになったりなんてしないっ!」



「私は―――私はっ、、、百万回生まれ変わったとしても、絶対にあの人しか好きにならないっっ!!!!!!!!!!!!!!」



 叫んだ後の暫しの静寂は瞬時に歓喜の声に塗り替えられていた。


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