第30話「別れのち、そして再会へ」
目をパチクリさせて起きた恭子だったが、暫くぼうっとした後で慌てて立ち上がってキッチンへ向かった。
俺の為に今日中に色々と作り置きをしておきたかったようだ。昨晩急に増えた人数分の料理をちゃんと作れたのも、作り置き用に沢山食材を買い込んでおいたお陰らしい。通りで昨日預かった買い物袋が重かったわけだ。
「恭子、余り時間が無いんだろう?無理しなくてもいいぞ……それに、ほら冷凍の送ってくれたヤツもまだあるわけだし」
俺が遠慮するもブンブンと首を振りながら寝起きながらあり得ない速度で食材を捌いている。
「冷凍しちゃうとどうしても味が少し落ちちゃうんです。せめて今日明日の分くらいは冷蔵保存できるものを作っておきたいんです」
会話しながらも恭子はその超スピードを落とさない。
煮込んだりする時間もないだろうから、予定していたであろうレシピもリアルタイムで変更しているに違いない。きっと頭の中も手と同様にもの凄いスピードで回転しているのだろう。
俺には少しでも話をしたい気持ちもあったが、エプロン姿の恭子をじっくり眺めるだけでも十分だ。
マンションのキッチンは食卓から見えないのもあって、まじまじと料理をする恭子の姿を見る機会は殆どなかった。
彼女はもう大人だ。
子供じゃあ、ない。
恭子が作ったもの全てをタッパーに入れ終えたのは、車でかかる空港までの時間を逆算して残り半時間もないほどのギリギリのタイミングだった。
そして、恭子の帰り支度が終えたことを確認すると俺は会社から借りている車のキーを手に取った。
「それじゃ、行こうか」
「はい、お願いします」
車の中で尽きること無く話が続く。
「昨日の体育館でのダンス特訓はどうだったんだ?」
「とっちゃんが教えるのが本当にすっごい上手でビックリしちゃいましたっ」
「まあ、そうだろうな。俺のハピバルのコーチもとっつぁんだったし、指摘するポイントがめっちゃ的確なんだよなぁ」
とっちゃんが踊り手としてまだ下手くそだった時にネット民にボロクソ言われたのをずっと覚えていたのが、上手な教え方の大きな一因だったらしい。
「そういや、ゲンちゃんも元気にしているか?」
俺は絶対に半年で帰ると心に決めていたこともあって、自分の愛車を九州へ持ってこなかった。会社では売っぱらってしまったと説明して新しい車を買うまで社用車を借りる許可を得ており、それを今までズルズル続けているが誰も文句を言わないところを見ると、最後までコレで切り抜けられそうだ。
総務の佐々木さんが上手いことやってくれているのかな。
「勿論です。私がちゃんと定期的に洗車してますし、車内の掃除もしてますからっ!…………毎日」
最後に小声でそう言ったのを俺は聞き逃さなかった。
「ぶはっ……
どんだけ綺麗好きなんだよ。それに洗車は車を動かさないと出来ないはずだ。
「直樹さんやなっちゃんさん、それに姫紀お姉ちゃんが洗車場まで運転してくれます。少しはエンジンをかけておかないとバッテリーが上がってしまうらしいですし」
「いや、それは有難いけど……車内の掃除もその時だけでいいじゃねえか」
それに殆ど乗ってないんだから、汚れもそれほどたまるわけがない。
「おじさんのいない間は……私にとってゲンちゃんがおじさんそのものでしたから」
恭子の料理=恭子と感じていた俺と同じ感覚なのかもしれない。そう思うと切なくもなってしまう。
俺がそのことに関して何も言えずに考えていると、結局何も言えないまま空港に着いてしまった。
そして、登場手続きを済ませた恭子を俺はロビーの待合所で見送る。
「おじさん、本当は来週のおじさんのお誕生日のお祝いをしたかったんですけど、やっぱりちゃんとおじさんのマンション―――私たちの家でお祝いしたいって思ったんです」
そうだった。色々慌ただしくて自分でも忘れていたが、俺の33歳の誕生日はもう来週のことだったか。
「出張の半年までまだ三ヶ月ありますけど……」
そう言うと恭子は首を振った。
「いえ、一年でもそれが二年になったとしても。私をあの場所で待たせていて下さい。そして無事に帰られた時、私に精一杯のお祝いをさせてくださいっ」
あっ、ヤバい。俺泣きそうだわ。
どう言っても格好悪い声になりそうだったので、俺は無言のまま力強くコクリと頷いた。
恭子はそれを確認すると案著の顏を見せて搭乗ゲートへと体を向ける。
「それでは、おじさん。またお逢いできるその日まで、どうかお元気で」
「待て、恭子!!」
自然と出てしまったその声へ即座に振り返る彼女に俺は精一杯の気持ちを伝えた。
「俺があの時に言ったことっ!恭子を養子にして”家族”になりたいって言った時のことっ」
「あれは忘れてくれっ!……俺はお前と離れて気づいちまったんだ!”家族”の在り方は他にも色々あるんだって!……一番近い場所で未来永劫ずっと続く”家族”の在り方はそうじゃないって!!」
「だから、あの時のことはどうか忘れてもらえないっ、だろうかっ!!」
「はい」
振り返った恭子が優しい笑顔で短くそう答えたのを見て俺は一抹の不安を覚えた。
東の空へ向かう飛行機を眺めて俺は思う。
何故恭子はあんなに優しくも壊れそうなくらい
暫くはそんな想いに耽っていたのだが、恭子を見送って半時間ほどが経過した後だろうか、俺のスマホに掛かって来た一本の着信が全ての流れを大きく変えてしまう。
『おい、小僧!!九州の立て直しに関しては順調だと聞いておる。そっちはもう捨て置け!こっちでの状況が急変した、今すぐ片付けて本社へ帰って来いっ!責任は儂が持つ。吉沢の旧体制派が未だかつてないほどの不穏な動きをみせておるんじゃっ!専務の浅野なんぞもはや行方をくらませておるぞっ!』
その命を受けた俺は、九州での現場の仕事は既に真希先輩と平野にまかせていたが、自分の目で改めて大日程を見直し、他部署との連携を最適化して、営業と一緒に取引先をまわって細部の懸念を取り払うのに5日を要し、6日目には本社へ戻る手続きを行った。
結局3ヶ月しかいなかった俺に対して、真希先輩をはじめ小柳ちゃんも職場の奴らも、課長もみんなして俺を気持ちよく送り出してくれ、送別会まで開いてくれた。
佐々木さんがその席で泣きじゃくる様にして別れを惜しんでくれたのには、流石の俺もひょっとしたらこの人は俺の事を好きなんじゃないかって勘違いしそうになる。
九州のことは九分九厘、俺がいなくても何とかなると確信しているので不安はそれほどない。
もちろん、電話で会長の言っていた『吉沢の旧体制派の不穏な動き』も気にはなるが、それよりも自分がいるべき場所に帰れるというのが嬉しくて堪らなかった。
結局、俺の九州での仕事の期間は予定の半分の3ヶ月でケリがついた。
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