第23話「恭子の疾走」―――恭子side

 手に持つのはスポーツバッグただ一つ。


 駅のホームで立つ姿は神海恭子が半年ほど前に叔母の家から渡辺純一の家に来たときのそれと同じだった。


 しかし異なるのは、姿こそ同じであれど、深い闇から解き放たれ希望と共に降り立ったあの時に比べ、今はかつての心を閉ざした忌まわしき場所へ再び舞い戻るためにここへ立っているというところだ。



 恭子は純一から買って貰った物は全て彼のマンションへ置いてきていた。


 初めてここへ来たその日に与えてくれたスマートフォンも含めて何ひとつ持ってこなかったのは、思い出の品となってしまってはいずれ自分の決断を鈍らせてしまうかもしれないという恐れがあったからだ。


 言い方を変えれば”未練が残る”。


 恭子の確かな決意はそこにあった。


 

 確かに揺るぎない決意を掲げたはずであったのに、両手を膝について息を切らしながら現れた親友を前にして、その決意に綻びを感じずにはいられなかった。


「はぁッ……ハァハァ……ハァ」


「……とっちゃん……どうしてここに」


「なんっ、でも、かんっでも……ハァハァ……お見通しのッオジサマが教えてくれたよっ。キョウはここに行くって」


「時間ないから、言いたいことが、あったら、先に聞いたげる」


 都華子は少しずつ息を整えながら恭子の言葉を待つ。


「おじさんが倒れたのは私の所為なんですッ!!私が一緒にいたら私の大切な人はみんな死んでしまうから!!」


「……あぁ、あは。そっか。そうなんだ」


 都華子はそう言うと、苦しそうな顔へ無理やり笑顔をつくる。


 そして、恭子の頬を思いきり平手打ちをした。


「―――ッ」


「オジサマが倒れたのがキョウの所為かどうかなんてことはぶっちゃけどうでもいいけど、それでオジサマが死ぬだなんてあんたが勝手に決めつけんなッ!!」


 今度は恭子の胸倉を鷲掴みして問い正す。


「何?あんたは預言者?それとも占い師?仮にオジサマが馬鹿やってポックリ逝ったとしても、それが自分の所為だなんて思い上がりもいいとこじゃんか!!」


「でもねッ、今はそれどころじゃない!あんたのツッコミどころ満載なアホ理論は私がいつでも論破してあげるから、今は黙ってこれを見て!馬鹿な考えで家出しようとしているキョウを自分の意思で戻って来させる為にオジサマはそれこそ本当に命をかけたもっと大馬鹿なことをやってんだから!!」


 都華子は恭子にスマホの画面を突きつけた。


「―――え!?」


 それに映っていたのは、ハッピーバルーンを踊っている純一の姿。


「もうこれで5ループ目だよ!」


 何かに憑りつかれているかのようにひたすら踊る純一が写る画面にその発信をネットで見ている人のコメントが次々に表示されている。



『うおwwおっさんの生放送!!ヤバいww』


『なんでおっさんこんなに必死に踊ってんの?』


『なんか大切な家族が帰ってくるまでエンドレスで踊るらしいww』


『なにそれ!めっちゃ熱い!!ww』


『頑張れ!おっさん超頑張れ!!』


『しかもこの場所って化け猫Pの部屋じゃないか?という報告も多数アリ!!』


『マジか!!』


 前の恭子の誕生日に投稿した動画が思いのほか人気があったらしく、サイト上では”おっさん”という呼び名で親しまれている純一。


 

 その様子を見た恭子の顔つきがみるみるうちに変わっていく。


「な、なんで!?どうして!!とっちゃん!!どうしておじさんが!?おじさんは病院で安静にしているんじゃないんですか!?なんで倒れたおじさんが踊っているんですか!!!」


 半ば半狂乱で叫んでいる恭子に都華子は「だぁぁぁっ!!」っと勢いをつけて頭突きをかます。


「なんでって?そんなの私にわかるもんかっ!?オジサマが”死ぬつもりで踊れば”キョウは絶対に帰ってくるって言って聞かないアホンダラだからだよっ!!心の底から本気でそう信じてるカッコイイオジサマだからだよっ!!!」



「……私、馬鹿だ、本当に私は馬鹿でした……ぁあ、あ、あ、あぁぁ、はやくっ、早くおじさんを止めないと……早くおじさんを止めないとっ!!」



「うんっ!行くよ、キョウ!!」


 ホームの端に荷物を放り投げた恭子は都華子に差し伸べられたその手をとって2人は全力で駆け出した。


 駅員が制止する声も無視して改札を逆走する。


「キョウ!早く後ろに乗って!!」


 駅の駐輪場に置いていた自転車に2人はまたがって、都華子がこれでもかと言わんばかりに盛り漕ぎする。


 その自転車が目的地まで爆走するなか恭子はずっとスマホで純一の安否を確認していた。


 もう何ループ目なのだろうか、休む間もなしにただただ踊り続けている純一にはキレもなにもあったものではなく、なんとか腕と足が振れているだけの状態。


「もう、無理だから、お願い、お願いです。もう止めてくださいおじさんっ」


 スマホを必死で見ているうちに恭子はそこにいるのが純一ひとりではないことを思い出し、スマホにサイトを表示させたままスピーカーモードで電話を掛ける。


 コール音が数回鳴って通話が繋がったことを確認すると、恭子は相手が応答する前に大声で叫んだ。


「お願いします!!吉沢先生!おじさんをはやく止めてください!!」


『……ちゃん?……ん、わかった。私やってみる』


 スマホのスピーカー越しにそう答えた姫紀はカメラの前に姿を現せて、踊っている純一に必死でしがみついていた。


 動画に表示されるコメントには急にフレームインしてきた女性に『あれ、化け猫Pじゃね?』『まさかの顔出し!?』などと生放送を一層盛り立てる。


 しかしそんな盛り上がった状況もよそにして、彼の何処にそんな体力が残っているのか全力を持って止めようとする姫ちゃんを純一は振り払って踊り続けた。


『……めんなさい、……ちゃん。私には止められそうにないの。それが出来るのはあなただけだから……お願いよ、一秒でも早く帰って来てください。……それと、……がそっちに向かっているはずだから―――』


 姫紀が何かを言いかけた途中で、都華子のスマホは警告音と共にバッテリーが切れ強制的に画面が落ちる。


 こうなったら少しでも早く姫紀のマンションに行くしかない。


 そう覚悟した恭子は疲労により自転車を漕ぐする速度が低下気味であった都華子に声をかけた。


「とっちゃん、私運転代わります!!」


「ハァ……ハァ……キョウ、うん。ごめんお願いっ」


 しかし不運は重なる。


 都華子がブレーキを掛けようとした瞬間にガクンガクンと自転車から妙な振動を感じた。


「え?……ハァ、ハァ、まさかっ、こんな時にっ、パンク!?」


「私、ここからは走って行きます!!」


 自転車から飛び降りた恭子がそう言って駆け出した時、前方から走ってくる真っ白なスポーツカーがクラクションを鳴らしながら2人の横へ急停止する。


「恭子ちゃん、とっちゃん!!早く乗って」


「直樹さん!?」


 恭子が助手席へ、そして歩道の脇に自転車を置いた都華子が後部座席へ飛び乗ると直樹はフルアクセルで反対車線へと車を急旋回させた。


「姫ネェから電話があって、事情は聞いてるから」


 追い越し車線と通常車線をくねくねと切り替えながら他の車をひたすら追い越していく直樹。


「ありがとうございます。直樹さんっ」


「恭子ちゃん、今はナベさんが心配で落ち着いて聞けるような心境じゃないだろうけど、どうしてもキミに言っておかなくちゃいけないことがあるんだ」


「え?」


「……確かに今のナベさんは倒れた体で踊り続けているなんて馬鹿げてるって誰が見ても思うけど、それに至る元々の倒れた愚かな原因は別にあるんだよ」


「ど、……どういうことですか?」


「あのさ、ウチの会社は狂ったような残業をさせるし、泊まり込みの指示だって平気出すようなところなんだ。ナベさんがリーダーになってからもなかなかその体制は変えられなかったんだけど、あの人は部下の俺たちに体力の限界を超えさせないよう、十分に気を使ってくれていたんだ」


「そこでナベさんは自分が把握できないからって、青天井の残務になってしまう”持ち帰っての仕事”をみんなに固く固く禁じていた。それなのに、それなのにっ、あの人はここ5日間は自宅や仮眠室へ勝手に仕事を持ち帰って進めていたんだよっ」


 直樹がハンドルを叩く。


「どれだけぶっ続けで仕事していたか予想も出来ないが、俺が調べた作業量的にも少なく見積もっても3、4日は不眠不休だったに違いない」


「あの人が無茶をするのは今に始まったことじゃないんだ!……こんなこと俺が恭子ちゃんに言えた義理じゃないことはわかってるけど、少なくとも家に帰ったときくらいはちゃんと体を休めるように見張ってくれはしないだろうか」


「そうじゃないと、いづれあの人は突っ走ったまま燃え尽きちまう……」


 恭子は苦しそうな顔をしてハンドルを握る直樹の腕にそっと手をおいて、小さいながらも力強く頷いた。



「……キョウ。オジサマがね、私にアドバイスしてくれたことがあるんだ。『大人びて見える奴ほど大人としてみちゃいけない』って。それってオジサマ自身のことだよっ!」


「だからキョウ、オジサマを”尊敬する大人”じゃなくって、これからは”大事なひとが心配していることにも気が付かないくらい無茶をするヤンチャな子供”だと思って見てあげて!!」


 都華子が恭子へそう言った時にはもう、目的地のマンションがフロントガラス越しに見え始めていた。




 直樹は姫紀の部屋のある棟の入り口に車を横付けすると、タイヤが完全に停止しないうちからドアを開けて飛び出そうする恭子に「姫ネェの部屋は302号室だから」と叫んだ。


 恭子はエレベーターも使わずに階段を駆け上がる。


 そして、3階にある手前から2つ目の部屋のドアを思い切り開け放った。



「おじさんっ!!!!!!!!」




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