第18話「デスマーチの終焉」

 リミットまで4時間32分を残して九州の件における一連の作業はついに完遂を遂げた。


 部下から提出された最後の作業内容をチェックし終えた俺は、リミット最終日に明け方まで残ってくれたこのチームの全社員に対してデスマーチの終わりを宣言する。


「みんなありがとう。元々無茶な作業量だったにも関わらず、期間内で見事に全てを終えられたのはみんなのおかげに他ならない。恐らくはこのメンバーの誰一人が欠けていても達成できなかったことだろう。本当にありがとう」


 俺は皆に向かって真摯に頭を下げた。


「間に合わなければ数億にも上っていたであろう賠償金支払いの阻止を叶えた優秀なスタッフに対して、こんな僅かなもので心苦しいのだが、今より5日間の休暇と本社役員一同より特別一時金金一封を預かっている―――って、ヤメだ。堅苦しい話はヤメだ!!我々は勝ったんだ!俺たちの完全勝利だあああああ!!!!!」


 俺のガッツポーズと共に職場全体へ歓喜の嵐が巻き起こる。



 俺は役員連中からもぎ取った報酬は、休暇に対してはただの有給消化なので本来であれば得られて当然のものなのだが、それでもこの会社においてはそう易々と手に入れられるものではなく、皆にとっては口から涎を垂らすほど魅力に満ちたご褒美だった。


 そして、更にこの一時金は給料や各種諸手当から外れた明細にも記載されない完全な特別ボーナスであり、通常の振り込みではなく封筒に入れた現ナマで準備させたのは、既婚者たちでもそのパートナーにバレずに小遣いとして手に出来るようにと考えてのことだ。


 俺は要望を出しただけのことだが、我ながら粋に計らったものだなぁと思う。



 歓喜冷め止まぬ中、その封筒を直接手渡す為俺は部下のデスクを回る。


「安武、お前は落ちた寝てしまった仲間の分までフォローして本当に良く頑張ってくれた!感動した!」


 俺はどっかの元首相のような労いの言葉を掛ける。


「なべさんの苦労に比べたら、こんなの全然っすわ!」


 若干、目尻に涙を浮かべながら封筒を受け取った安武とガッチリ握手を交わした。


 その後も一人、また一人と順々に声を掛けていき熱き思いを交わしていく。


 完全に俺も含めてみんな眠気という限界を超えた若干おかしなテンションだ。


 次のデスクに座っているのは夏海菜月。


「夏海。……俺はあの時お前を失わなくて本当によかったと心から思う。逆境に負けず社員になってくれて―――ありがとな」


 恭子のことも含めてこいつには公私共に助けられている部分が大きく、俺にはとても感慨深いものがあった。


「なんスか!そんなのやっ、やめて、くださっ―――あかんスよ。……渡辺さん、そんなの反則や、わぁ」


 夏海の言葉の間にはヒックヒックと嗚咽が混じっていた。



 ―――そして最後に木下直樹。


「お前はもっと頑張れ」


「ええぇぇぇ!!!そりゃないっしょナベさ~ん」


 ズッコケて椅子から滑り落ちそうになる直樹が情けない声を出す。


「冗談だ。お前はもういつでもチーフをやれると上に伝えてある。そのうち異動があるかもしれん、覚悟だけはしておいてくれ」


「……うっす」


 その言葉が俺からの昇格内定通知だということを直樹は理解していた。

 



 

※ ※ ※ ※ ※ ※


 その後、渡辺純一は恭子の学園祭に行くこともあって部下と共にすぐさま会社を後にしており、社内に残っていたのは直樹と夏海の2人になっていた。


「直樹サンも恭子ちゃんの学園祭にいくんスよね?まだ帰んないんスか?」


 夏海は律儀にも直樹の帰宅準備を待っている。


「ん?ああ。ちょっと気になることがあってな」


 直樹は直近5日間の完了作業リストをペラペラとめくりながら一つ一つ確認していた。


「ミスの確認っスか?渡辺さんが問題ないって言ってたっスから修正なんかありませんて。それよりも学園祭が始めるまでどっか朝牛でもどっスか?」


「いや、違うんだ。俺も最後らへんはナベさんと一緒に進捗確認をしていたんだけど……どうも作業の進行が速すぎると思ってなぁ」


 正直リミット内で全作業を完了するのは不可能だと計算していた直樹にはどうしても腑に落ちなかった点があった。


「そういや、菜月。ここのCA~CRまでは確かお前の担当だったよな?」


「ああそれっスか。でも渡辺サンから風邪で病院に行った如月サンのバックアップを頼まれたから、そこは結局手をつけてないんスよ」


「だよな、俺もそれを知ってる。……じゃあ一体だれがこの作業をやったんだ?」


「確かに不思議っスね。他の人たちもいっぱいいっぱいでしたし……まさか……」


「ああ。それしか考えられないんだよ」


 夏海と直樹はこの部署内にある最高責任者のデスクへ目を向けた。


「あの人は自分で禁じておきながら、それを自分で破ってまでこのデスマーチを終わらせたんだッ!!」



 静まり返った職場の中で直樹がデスクに打ち付けた拳の音だけが大きく鳴り響いていた。

 

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