第10話「後編、食後に幕は上がりて」
一時は恭子の黒魔術によって崩壊させられた俺の精神も、とっちゃんにシバかれたり、体を揺さぶられたり、恭子におでこへ冷却シートを張られたり、耳元で「気を確かにしてください、おじさん」と囁かれたりしたことでなんとか再起をとげた。
「凄まじい、破壊力だった……」
まだ半ば夢心地の状態の俺は、モエフワをスプーンでヒョイヒョイと口へ運びならがそう呟く。
「わ、私も、とても恥ずかしかったです……」
何も言うまい。あえて言うなら、よくやった。
そして、ここから物語は急転する。
俺たちと姫ちゃんの大騒動の幕開けとなったそれは、この日の晩飯を終えたのちに恭子が使用済みの食器を片しながら呟いた言葉により端を発したのである。
「そういえば、吉沢先生ここのところずっとお休みしてるんですけど、……私とても心配なんです」
え、休んでいる?なんだそれ。
「姫ちゃんが学園を?」
あのバーでの一件以来、俺が姫ちゃんの話題を口にしなかったためか、それは初耳だった。
「ええ、他の先生の話によると体調不良みたいでして……吉沢先生、いつも食事をコンビニで済ましているので何か栄養のあるものを作ってお見舞いに行きたかったのですが、住所も知らないですし、電話しても繋がらなくて」
「恭子、それはいつからなんだ?」
「ええと、ですね。……たしか最後に吉沢先生とあったのは、ここで家庭訪問とか仰って来た日でしたから……、よく考えるとあの日の先生はなんかおかしかったんです。そうですよね、とっちゃん?」
「……うん」
とっちゃんの反応が妙に鈍い。
いや、それよりも姫ちゃんのことだ。
家庭訪問と言えば、バーでの一件の前日……確か5日前だ。そもそもバーに来た日も学園を休んでいたことになる。
俺がこれは何かありそうだと、首を捻っていたときに、それまで変にだんまりだったとっちゃんが口を開いた。
「オジサマ、キョウ。実は黙っていたんだけど……私、職員室で他の先生たちに聞いちゃったんだ。姫ちゃんって……行方不明なんだって」
俺と恭子が「「え!?」」と、同時にとっちゃんの方をみる。
「どうして、そんなことを黙っ―――」
俺がそう言いかけると、被せるようにとっちゃんは大声を出す。
「だって!!オジサマ、仕事も忙しいし、姫ちゃんはただ連絡がつかないだけかもしれないし、こんなことオジサマに言ったら、絶対にしょい込んじゃうに決まってるもん!!」
俺が凄い勢いで捲し立てるとっちゃんに戸惑っていると代わりに恭子が返答してくれる。
「でも、それでもとっちゃん!吉沢先生の連絡が取れないって、もしかしたら事故とか―――」
恭子の顔がみるみる青ざめていく。
「大丈夫だから!!キョウ、先生、反応があったから!!」
なるほど。恭子にも黙っていた理由がわかった。なにかの事故に遭遇したのかもしれない、それがただの可能性のひとつだけかもしれないにしても、それを交通事故で両親を亡くした恭子に感付かれたくなかったのだろう。
そして、今までは姫ちゃんへの不安を俺たちへ感じさせないために元気に振舞っていたのだろう。
「本当ですか!?吉沢先生から連絡があったんですか!?」
「うん。今さっき。私もずっとメッセージ送り続けていて、読まれていなかったから心配してたけど、ようやく返信があったんだ」
返信があったにも関わらず、とっちゃんは切ない顔をしているのは何故なのだろうか。
「そっとしておいてください、って。あはは、そっからメッセージブロックされちゃったよ。……余計なお世話だったのかなぁ」
「そんなことないです!!とっちゃん、絶対にそんなことないですから!!先生にどんな事情があれ、とっちゃんが心配してくれることが余計なお世話だなんて!」
「そうだよね。キョウ、私間違ってないよね……」
とっちゃんは恭子の胸に顔を埋めて、声を殺して泣いていた。
いつも元気で明るいとっちゃんのこんな姿を俺は初めて目にする。
「おじさん。私、先生を探します」
恭子はとっちゃんの頭を優しく撫でながら、真剣な眼差しをもってその決意は掲げられた。
俺は返事をするかわりに、とっちゃんの頭の上にある恭子の手の上へと更にポンと手のひらをもっていく。
「とっちゃん、とりあえず今日は送っていくよ」
「……うん、ありがと。オジサマ」
バーで酔いつぶれた日から酒を控えていた俺は車のキーをポケットに入れとっちゃんを連れ駐車場へと向かった。
「寒いな」
俺はマイカーであるゲンちゃんに暖房を入れてから倒した後部座席へとっちゃんの自転車を積み込んだ。
ヘッドライトが夜道を照らす。
「オジサマ。私オジサマみたく格好よくできないんだよ」
姫ちゃんに差し伸べた手をスッパリと遮断されたことがよほど堪えたのだろう。
「俺なんかカッコよかねえよ」
「ううん、あの時のオジサマなんか、まさにヒーローだった」
九州の話か、もう忘れて欲しいんだけど。
「おっさんが、無様に踊っただけだろ」
「……私も、そうなれるかな?」
「ひとつだけアドバイスしてやろう。大人びて見える奴ほど大人としてみるな」
「え?」
「32歳にして俺もそうだけど、中身なんてとっつぁんたちとそれほど変わらんからな。体こそそれなりに成長して、スーツなんぞ着せられるもんだから外見は大人っぽくみえるだろうけど、心はちょっと毛の生えた子供みたいなもんだ」
「特に姫ちゃんは先生なんかやってるから、周りに”大人であること”を強いられているんだよ。ありゃあ、典型的な背伸びされられている子供だな」
車のキーをオフにするとエンジンの音が唸りを止める。
とっちゃんの自宅のちょっと前で積んでいた自転車を手渡そうとしながら俺は言葉をつ続けた。
「余計なことなんて考えなくていいんじゃないか?がむしゃらにドーンとぶつかって、姫ちゃんが見つかったら、心配させたお詫びにあの人にもメイド服とやらを着させればそれで良しだ」
俺は最後にそう言って、車から降ろした自転車のハンドルを持ってとっちゃんが受け取るのを待っていたところ、彼女は俺の両手を上に手を重ねたまま離そうとしない。
「オジサマのそういうところが格好良くてたまんないんだよ。……私もキョウと、もうちょっとだけ頑張ってみるよ!!」
とっちゃんが俺から奪い取るように自転車を受け取ったその瞬間だった。
俺の頬になにか柔らかいものが触れる。
「オジサマも女の子を惑わしてばっかじゃなくて、お仕事忙しいんだからちゃんと休まなきゃだよー!!」
自転車を押しながら自宅へ戻るとっちゃんが振り向いてそう叫ぶ。
ちなみに俺は言うと、右手を頬に当てながらトリップしていた。
「マシュマロが……小さなマシュマロがぁ……」
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