第5話 冷徹男

「どういうことか、説明してもらおうか?」


今、探偵事務所のソファには四人の人物が座っている。


私の隣に本宮君。私達の向かいに恵さん。


そして、恵さんの隣には……。


そのご主人の沢城斗真さわしろ とうま


「あ、あの……えっと……」


隣で明らかに怒っている旦那さんに、恵さんはすっかり萎縮してしまっている。


「私から説明します」


そんな恵さんを見かねて、本宮君が沢城氏に言った。


「三年前、恵さんはストーカーと思われる人物に、出勤の前後、付けられていました。そして、今の職場に勤め出した頃から、また同じようなことが起こっています。そこで、そのストーカーについて調べて欲しいと恵さんから依頼を受け、私達が調査していました」


本宮君の説明に、沢城氏は小馬鹿にするように短く息を吐いた。


「馬鹿馬鹿しい」


そう言って、目の前のコーヒーカップに手を伸ばす。


「ストーカーなんて、ありもしない恵の幻想ですよ」


冷たい沢城氏の言い方に、恵さんはさらに萎縮してうつ向いた。


彼は、カップに入ったコーヒーを一口飲んでから続ける。


「久しぶりに仕事を始めて、その緊張感から、そんな思い込みをしているだけだ。だから言っただろう?パートになんか出るんじゃないと。俺の稼ぎで十分なんだ。お前が仕事に出る必要はない」


……何だかな。この人、見た目はなかなかのイケメンだけど、言ってることが、すっごく差別的っていうか俺様っていうか。


「まあ、ご主人落ち着いてください」


本宮君がさりげなく言ったけど、沢城氏はさらに毒気づく。


「だいたいそのストーカーとやらの正体は分かったのか?」


「いえ、今のところ決定的なことは何も」


「そら見ろ!お前の勘違いだから、何も出て来ないんだ!」


沢城氏の強い口調に、恵さんの目にうっすらと涙が滲んだ。


「この依頼は打ち切らせてもらう」


沢城氏は、突然そう言い放つ。


「ちょ……待ってください!これは恵さんの依頼なんですよ?いくら旦那さんだからって、そんな……っ」


私が反論すると、沢城氏はスーツから封筒を取り出した。


「成功報酬分の金なら、この中に入っている。これで文句はないだろう」


そう言って、沢城氏は、その封筒をテーブルに投げつける。


「さあ、恵帰るぞ」


沢城氏は恵さんの手を取って立たせると、事務所の入り口に向かった。


私の隣で、本宮君が封筒に手を伸ばす。


「本宮君」


彼は黙ったまま、その封筒を見つめた。


「これで、いいの?」


これって、何か……。納得いかないよ。


沢城夫妻が、事務所のドアを開けて部屋を出ようとした、その時。


本宮君が封筒を持って立ち上がり、沢城氏の後ろに立った。


「これは受け取れません」


本宮君の声に、沢城氏が振り返る。


「一つだけ、お聞きしていいですか?沢城さん」


「何だ」


「三年前、恵さんのいた職場で、二人の社員が通り魔にあった事件を知っていますか?」


沢城氏は、イラついた表情で答える。


「知っている。背後からサバイバルナイフで切りつけられたんだろ?それが、どうした?恵のこととは何も関係ない」


そう言った後、沢城さんは本宮君の手から奪うように封筒を取ると、恵さんを連れて事務所を出て行った。静かになった事務所で、私は本音を吐き出す。


「もう、何なのよ、あの俺様亭主は!」


「……」


本宮君は黙ったままドアに鍵を掛けると、こっちに戻ってきた。


「はぁ……恵さんのストーカーの件、解決しないまま終わっちゃったね」


最初の依頼がこんな形で打ち切られて、心の中がモヤモヤする。


すると、黙っていた本宮君が言った。


「依頼は終わったけど、事件はまだ終わってないわ」


「……え?」


「ずっと引っ掛かってたの。恵さんのストーカーは、どうして一度ストーカー行為を止めたのに、今頃になってまた恵さんを付けだしたのかしら?」


唐突に聞かれて、うーんと考え込んでしまう。


「やっぱり恵さんのことが気になったから、また付け始めたんじゃないかな?」


「三年も経った今頃?」


「それは……」


「気になることがあるから、ちょっと出てくるわ」


「え……出てくるって、何処へ?本宮く……!」


呼び止める私を残して、本宮君はワイシャツの上にジャケットを羽織ると、足早に事務所を出て行ってしまった。


「もう依頼は終わってるのに……」


私は呟くと、黒のソファに座る。もう冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。上着に入れてある手帳をテーブルの上に置き、メモ書きのあるページを開く。


「恵さんに、特に好意を抱いていた元同僚が三人。金子勝。杉田裕也。桐谷龍一。で、そのうちの二人、金子勝と桐谷龍一が通り魔にあってる」


私は呟きながら、手帳に書かれた人物の名前をペンでなぞっていく。


「もし、仮に、この通り魔と恵さんのストーカーが同一人物だとしたら……。切り付けたのは、自分の好きな恵さんに近づくなっていう警告なんじゃないかな?」


自分なりの推理を組み立ててみた。


「だとしたら、その通り魔は……」


私は、ペンの先を一人の人物に当てる。


「通り魔にあってない杉田裕也なんじゃ?」


今思い付いた推理だけど、これかなり当たってるんじゃない?


「もうちょっと資料を整理してみよう」


私は、本宮君がパソコンで打った調査書を持ってきて、テーブルの上に並べた。


……どれくらい経ったのか、不意にスマホの着信音が鳴って飛び起きる。いつの間にか疲れて眠ってしまったみたいだ。スマホの画面を見ると、本宮君からだった。


「もしもし、本宮君?」


「桜井、お疲れ」


「もう、本宮君てば、何も言わないで出て行くから」


「ごめん、ごめん。またお土産買って帰るから」


「わ~い!……って、そうじゃなくてっ。何か分かったの?」


「分かったわよ。通り魔事件の詳細と、恵さんの以前の職場での新たな情報がね」


「そうなんだ!あ、ねぇ、本宮君」


「何?」


「私、ちょっと推理してみたんだけど」


そう切り出して、私は、さっき仮説を立ててみた杉田裕也犯人説を本宮君に言ってみる。


だけど。


「たぶん違うと思う」


あえなく却下された。


「もう少ししたら全部分かるわ。恵さんのことも、通り魔のことも」


確信めいた台詞の後、本宮君が言う。


「じゃあ、アタシもう少し用事があるから。留守番お願いね」


そして、彼からの電話は切れた。

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