九十九振目 直江志津は名前っぽい

 直江志津なおえしづとは、岐阜県養老町直江村にて鍛刀した刀鍛冶たちの総称でして、さらにはそこで鍛えられた日本刀の全般を指します。

 一応は美濃伝に含められていますが、作風としては大和伝と相州伝を合わせたような、まさに美濃伝の源流といったものになります。


 来歴をざっといきますと。

 大和手掻系に「包氏」と呼ばれる刀匠が存在し、これが正宗の門人となります。この包氏が大和に帰国後、さらに美濃国志津(今の海津市付近?)に移住しまして、銘を「包→兼」に替え「志津三郎兼氏」と名乗ります(ただし別人説もある)。

 その弟子たちが志津近辺にある直江村に移住。

 志津の一派が直江で鍛えた刀なので、「志津」と呼ばれます。なお、志津の一派が移住前の大和にも存在しており、そちらは「志津」と呼ばれます。直江より大和の方が志津の作風に近く出来も良いとされています。


 直江志津の刀鍛冶は「兼某」の銘(兼友、兼俊、兼延など)

 大和志津の刀鍛冶は「包某」の銘(包友、包俊、包次など)

 という事で、師匠の志津が「包→兼」に改名したように、弟子たちも同じように改名しているものです。その点を考えると、包氏と兼氏が一説にあるとおり別世代とした方がしっくりすると私は思います。

 念のためですが、

 志津兼氏は個人銘、志津は志津兼氏の無銘、直江志津は無銘の流派極め、大和志津は無銘の流派極めになります。


 そんな直江志津も室町期に入ると水害が理由で移住をよぎなくされます。どうも直江村は木曽三川の中州の氾濫しやすい場所だったそうで……。

 年代は1800年頃とはいえ古地図を見ますと、多芸郡にある牧田川の中州に直江村が確認出来ます。500年前も輪中か何かで生活していたのかも。

 どうしてそんな場所に移住した? と疑問に思えますが……当時の木曽三川下流域は網目状に流れ洪水の都度形状を変えるものだったようで仕方がない。

 何にせよ、そうして直江志津の系列としては一部は尾張国に移住しますが、メインとしては兼定系です。初代兼定は赤坂(今の大垣市)から関(今の関市)に移住しており、美濃系統の源流の一つとなります。

 なお、兼元は善定系列ですがこれも大和手掻系であるため根っ子は同じ。


 無銘刀の鑑定極めとしては以下のような流れがあります。

 「正宗→志津→大和志津→直江志津→為継」といった大和ルート。

 つまり正宗の雰囲気(つまり相州伝)が弱まり作が劣るほど右にずれて鑑定されていく。ただし、劣ると言っても元が元のため出来は良い。

 1)正宗は言わずと知れた名匠でして、ただしその素晴らしさは分かり難い。

 2)志津は正宗に近似、しかし一般的に思い描かれる斬れ味よさげな名刀。

 3)大和志津は大和伝ベースに相州伝が強く足された感じ。

 4)直江志津は大和伝ベースに相州伝がほどほど足された感じ。

 5)為継は相州伝上作に見えて、しかし出来が劣るもの。

 値段比率にも上記が反映され(正宗は別格として)

 志津:大和志津:直江志津:為継=10:8:7.5:5

 といったぐらいの感覚でしょうか。しかし、志津はそうそう滅多に出ませんが。

 ただし、正宗からのルートは別にもあります。

 「正宗→江→古宇多→為継」といった北陸ルートの極めです。

 ただし、江→古宇多はちょっとどうかな……と思います。江は観た瞬間に怪しい魅力で江としか言いようのない、得も言われない雰囲気がありまして、ここから古宇多にどうつながるのか……少なくとも私はつなげられない。

 結局、どちらも為継に収束していますが、これは為継が江の子で後に美濃へと移住したためであり……そして、これらルートの落としどころで避難港となっているからです。


 では、直江志津がどんな雰囲気か。

 手にあるものを観ながらまとめてみれば、地鉄は黒味がかったものであり板目がメインで柾目がかった部分もあり、地沸が細かく良く付き地景もしっかり入り白け映りも入っています。刃文は沸が強く互の目小互の目が湾れたもので、金筋があり特に砂流しが多い。

 といった内容ですが……これは教科書のお手本風な表現にしたものです。

 言葉を飾らず観たままでいきますと。

 鉄は黒さがありまして、後代の美濃鍛冶で之定などの明るい鉄質が明らかに違います。ただし黒いから悪いというわけではないですが。

 鍛えは波うつような柾の鍛えが平地に目立ち(これが流れ柾)、そこに木の節のようなものが幾つかあるので板目。それらに沿って焼きが入り地景が混在する。仄かに影のようなものが確認できまして、恐らくこれが白け映りだろうと思います(相変わらず映りは分からない)。

 地沸は備前伝であれば小さな針状(長さ0.5ミリ幅0.1ミリ)、相州伝であればさらに極小な針状(長さ0.3ミリ幅0.1ミリ)といった地沸がまぶされた雰囲気ですが、直江志津の地沸はもっと繋がった雰囲気で見た目極端に言えば微細な粒っぽい感じ。

 刃文は沸が強く、互の目ですが……この互の目が長さ1センチ、高さ0.2センチの極めて浅い円弧をゆるゆる描き連続、場所によって手で引いた直線のような箇所もあり、全体としては極めて緩い湾れ調子に見えてしまう(教本にあるような、綺麗に整い連続した互の目とは形が違います)。

 砂流しも縞状でなく砂浜のような雰囲気で固まったもの。長さ1センチ幅0.3センチぐらいのものが刃文の際にあり、そこだけ沸が取れたように色合いが薄茶。仔細に観ると、細かい沸が密集している。

 金筋は長い線状のものがあり、数本重なったものが刃縁に絡むなど各所に点在。


 なんにせよ重ね0.7と厚く幅も広く、けれど反りは浅めで鋒が延びた感じの姿形。

 大和伝や美濃伝よりは相州伝の毛色で、砂流しが強い部分や姿形からすると師匠となる兼氏の作風を強く感じますが……鑑定としては直江志津。

 備前伝や相州伝と並べますと、やはり実戦刀といった固くゴツイ雰囲気がある。どこがどう違うか言い難いですが……刃の領域が広く沸が強く、肌が沈んで黒さがあり鍛え肌が強い部分に実用品的なイメージを感じるのか?


 直江志津の値段は高くないですが、高くもある。

 保存100万、特保150万と、ここまでは普通。流派極めではよくある値動き。ところが重要250~350万と、やや値上がってしまう。

 同じ流派系極めの重要であれば古三原200~250万、中島来250~300万といったところなので、これらより少し高め。むしろ当麻や千手院と似た値動きな感じ。

 そうなると安い直江志津を買って重要にすれば一儲け……とはならないのが現実。保存や特保はパラパラ出ますが、大半が出来宜しからず。重要になりそうな出来を探すのは難しい。

 なお、大和志津の重要は見かける頻度が少なく、あっても重要350万ぐらい。やはり直江志津より微妙に上の扱い。志津は更に少なく500万ぐらい。

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