八十二振目 居合いよもやま
居合いをやっていたので、デーモンルーラー主人公も同じく居合い経験者の設定にしたのですが……編集者氏からは「そういう設定って嘘くさいですよ、居合いなんて普通やらないでしょwww」と言われてしまい、ちょっとショックだった。
そんなマイナーな居合い。
とはいえ、ラノベなどでは剣術や居合いの達人少年少女が存在するので……嘘くさい設定云々はその通りかも。
昔は京都に全国各地から剣士が集まり、京都駅周辺で居合刀を抱えながら雑魚寝していた時期もあったとか(どれだけ昔だ、という突っ込みは無しで)。しかし今や居合いは知名度はあれど、マイナーオブマイナーな居合い。
オリンピックの競技種目にとは言いませんが、せめてもう少し注目して欲しい。しかし、オリンピック開会で演舞とかになれば……いろいろ揉めそう。
しかしアニメやラノベで描かれる居合いの使い手キャラは概ね脇役?
都合が悪くなると刀に手をかけ、照れ隠しに真剣を振り回し、やたら真剣をちらつかせ相手を脅し、時には相手の眼前に切っ先を突きつけ、相手の首筋に刃を寸止めする。短気で粗暴キャラが居合いのイメージでしょうか。
実際に居合いをする者の立場から言わせて頂きますと……確かに【武道武術を学んでいるからと人格者ではない】し、【武道武術を学んでも礼儀作法は身に付いていない】です。
なお、年若い達人は存在しません。
十六歳以降であれば、週一稽古でも三年ぐらいすれば、そこそこ上手になります。しかし面白い事に、それ以下の年齢が稽古しても不思議と上手くならなかったです。
居合いで勢いがあるのは二十代、技量が円熟し勢いがあるのは三十代から四十代前半。それ以降は技量はあっても徐々に身体が付いていかない感じ。何事にも例外がありますので、良い例外が達人と呼ばれるのでしょうか。
また面白い事に、同じ型を演舞しても技に個性が出ます。鋭く尖った感じに荒々しい人もいれば、ふわりと穏やかな人もいる。舞台的な派手な人もいれば、こじんまり縮こまった人もいる。私の場合は甘さが消えないと指摘され、さもありなん。
そして、どれだけ稽古しようと全く上達しない人も存在します。
単に要領が悪いだけの人もいますが、そうした人の多くは学ぶ事を履き違えている事が原因。学校教育の弊害とでも言うべきか、「教えられる事が学ぶ事」と勘違いしてます。
居合いの指導では、逐一手取り足取り指導はしませんでした。
最初に概要だけ説明しておき、目の前で技を行ってみせる。それを真似て貰い、形だけ出来るようになったら後は自分で学んで貰う。もちろん間違ったやり方をしていれば、修正のため注意はすれど後は基本放置。
細かく教えた方が効率がいい?
しかし、型は所詮は型で学んで欲しいことは別にある。
手首を入れる事で斬撃を受けやすくなる、右足の爪先を相手に向ける事で斬りに力が籠もる。理屈を説明するのは簡単ながら、微妙な角度や力の入れ方までは説明できません。
感覚知の領域ですので、下手に理屈を説明すれば「そういうものか」と上辺で納得されてしまい、本当の意味で技を体得できなくなるため「教えられない」わけです。
だから周りを観察し、他の人の動きを見て「どうして、そうしているのか」を考えてもらい、そこから「気付く」でなければ体得できやしない。昔のゲームのように、頭の上に電球が灯り「閃き!」で技を覚えて貰うわけです。
古臭い考えと言えばそれまでですが、元からして居合いは古臭いですから、そういうものです。で、そこが分からない人は言われた事だけを繰り返し、形だけなぞるので上達しない。
そうした古臭い部分がありまして、流派や会によって中身は異なれど、悪い意味での精神論や根性論、あげくには神秘主義まで幅広く存在します。
論語や葉隠れ、五輪の書を読み込み武道のなんたるかを理解せよといった程度はマシな部類で、中には念仏やら何やらを唱え荒行を行い稽古をする会もあったり。
イベント会場で、「東方持国天、西方広目天……」といったアナウンスと共に東西南北に位置する剣士が技を披露、イベントの演出だけなら良いのですが何ともはや。
実際に宗教がかった会も存在しており、刀剣屋で知り合った人は指導者が宗教に傾倒し門人を勧誘、高段者の大半が改宗させられ嫌気がさして止めたのだとかで……うーん、恐い。
居合いを始めようとする人は、そこがどんな会なのか事前にしっかり調べておきましょう。とはいえ、居合いの会は閉鎖的なため内部の状況は入ってみないと分からない事が多いのですが。
ついでに言えば、日本刀関係者も晩年は何かと精神論や神秘主義に傾倒してしまう。若い頃は普通に刀の魅力や美しさを説いていた人が晩年になれば、「日本刀には魔力があり神仏がやどりウンタラカンタラ」、「名刀を前にすればそこから発せられる気によって自ずと頭が下がりウンタラカンタラ」、「大自然の神霊を体現したウンタラカンタラ」などと言いだす場合が多かったり。
そう言いたくなる気持ちは分かりますが、戦場で刀に命を懸けた者が言うならともかく、鑑賞するだけの者が言うべきではないかな。
日本刀は所詮は物、物に神秘を見出すのは人自身。
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