八十一振目 手持ち感とは言いますが

 刀剣関係では「手持ち感が良い」といった事が言われます。

 それが何かと言えば普通は主に刀身重量で「ずっしりとした手持ち感」といった感じに言われます。後はバランス、茎の角が痛くないか、錆の手触りetcです。

 バランスは磨上物ですと制作時と形状が変わり、重心バランスが変化しているためぶ無銘(最初から無銘でつくられた刀)かどうか、もしくは磨上げ時の仕立ての巧さが分かったりします。

 茎の角が痛くないかは、時代を経た茎は角が摩耗し丸みを帯びているため持って痛さがないわけです。もちろん痛いと言っても、定規の角を持つか鉛筆を持つかの違い程度の意味ですが。

 錆の手触りは、悪い錆(後付け)などは持った時の触感が違います。

 

 しかし、それとは別に「手持ち感」には別の意味もあります。それが手に持った時の印象というもの。好き嫌い心地よい心地悪い、良い悪い、欲しい欲しくない。

 人の第一印象と同じで、手に持って感じた何かには意味があります。

 それをもう少し科学的?に言うなれば。

 人間は様々なものを見て聞いて感じていますが、その情報を処理する過程で無意識に取捨選択し自分の持つ知識経験から結論を出します。ですから、同じものを見ても出せる答えに差が出てしまう。それでも情報としては得ているので感覚として出てくる……のではないかと。


 刀剣店の方は、再刃の刀を見れば、まず「気持ち悪い」そうで、ピンッと来た後に刀を仔細にチェックしていき、再刃と確信する根拠を見つけていくのだとか。

 その気持ち悪さについて聞いてみると「何とも言えない、もやもや感」なのだそうで、特に茎を見ると「口の中がパサパサする」のだそうで。

 これも数百数千の刀を観て蓄えた知識経験から、瞬間的な感覚として結論を出しているのでしょうか。

 ただ、それが出来るようになるには、なかなか難しいのですが。

 少なくとも私には無理。

 同様にして「違和感を大切に」と言われますが、これも難しい。

 パッと観て何か違和感を覚え、子細に見ると何か欠点があったりするわけですが……刀を前にテンションをあげ、見た事にすら気付かず違和感すら感じない。


 実体験として。

 刀を観て肌の良さに感心し手に入れ、自宅に帰ってからゆっくり眺めてみると……そこで初めて物打ち付近にある肌流れに気付く。さらには棟の斬り込み痕にも、刃文のうるんだ箇所にも気付く。

 さして問題になる程ではないのですが、店で観ている時は全く気付かなかった事が妙に情けない。もちろん店では仔細にみせて貰い、隅から隅まで観ているはずなのに気付けない気付かない。

 落ち込むことしきり。

 ちゃんと欠点を教えてくれる店も中にはありますが、大半の店は言わない。こちらが気付いていると思っているのか、それとも都合の悪い点は黙っているだけなのか……。


 それはさておき、刀に関して「嫌」と感じる事はあります。

 これは上記のような出来不出来とは全く別ですが、何か「嫌」という感覚。

 たとえば古青江の在銘刀。状態も良く古雅で素晴らしいものの、どうにも「嫌」という気持ちが強く、古宇多や長谷部国重も同様で、何かしら持っていたくない気分で手に入れ早々に手放したり。

 この時の気分を表す事は難しいですが、見たいけど見たくない、それでも眺めるとテンションが下がる感じです。手に入れる前に気付ければ良いのですが、そうした気分は徐々に込み上げてくるので難しい。

 しかし、一度だけ買う前に強烈な拒否感を覚えた刀もありました。

 それは一文字則房で、当然ながら抜群に鉄が冴え刃文の出来も良く見るからに名刀といったもの。お店側がどうぞと差し出してくれたものの……思わず遠慮。

 今になるとゆっくり観ておけば良かったと思うのですが、その時は拒否感が強くどうにも触れなかったです。

 こういった感覚を身に付けられるよう精進せねば。

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