六十一振目 眼を養うのなら

 眼を養うのであれば一日十分でいいので毎日観ること。

 数ヶ月もすればなんとなーくみえてくるものがあります。それで鑑定が出来るようになるのではないですが、今まで気付かなかった点や新しい発見が出来るようになってきます。

 とはいえ、その毎日観る刀は出来るだけ良いものにしたい。


 かつて「刀を知りたければ名刀を買え」と言われた事がありまして、少々ムッとした覚えがあります。どんな刀であっても良いもので、名刀だけが刀ではない、と反感を抱きました。そんな発言を、金持ちの傲慢とさえ思ったぐらいです。ですが……その真意を最近ようやく理解。

 見る眼というものは、自分の見える段階までしか見えないです。

 意味が分かりにくいので例として。10を知っていれば、1から9の区別がつけられます。一方で5までしか知らなければ、1から4が分かっても6以上は分からない。そうした意味で、少しでも良い刀を観ろといった事なのかな、と理解している今日この頃。


 流石に毎日観るのは無理としても、出来るだけ良い刀を観る事はとても勉強になります。

 ですが、個人で名刀を入手する事など金銭的に難しい。人生の他を投げ打って爪に火を点す想いで必死に貯めたところで、買える品は重要刀剣ぐらいまで。そうかと言って博物館や美術館で硝子ケース越しに見たり、または印刷物や画像を見たところで観た事にはならず、それは眺めただけ。

 なかなか名刀を観る事はできないのですが……そんな時に助かるのが、鑑定会や鑑賞会といった場所です。なかなか手に取れない名刀を観る機会がありますので、興味があれば是非に参加を。

 ただまあ……一本につき精々数分程度しか観られないため、それで観たと言えるかは微妙。個人的には一本につき、せめて十分は欲しいとこですが。


 ここからは眼を養う話とはズレますが、もし鑑定会や鑑賞会に行かれるのであれば、そこで教わる事が全てではないという点も踏まえておきたいです。

 これは何故かと言いますと、「出される刀剣は、その刀工の標準的な出来や作風のもの」という事です。たとえば「畠田守家の刃文は蛙子丁子」といった事が一般的であれば、それに沿う刀剣が出されます。

 なお、これは刀剣書類でも同じで「畠田守家の刃文は蛙子丁子」としか概ねは解説されていません。

 しかしながら実際には守家であっても作風には幅があります。概ねは蛙子丁子であっても、時には重花丁子に互の目乱れ、又は腰の開いた丁子を焼いている作もあります。

 これは勉強としては当然の事でして、いきなり細かい部分まで説明すれば返って混乱を与えてしまう上に、そもそも時間や紙面が足りない。そのため標準的な特徴で「刃文は蛙子丁子を焼く」もしくは「どこかに蛙子丁子が現れる」といった程度の説明に留めるしかないわけです。

 その点を理解しないまま、四角四面に「畠田守家の刃文は蛙子丁子」と認識してはせず、「他の作風もあるけれど、大半は蛙子丁子を焼くため、まずは蛙子丁子である」と認識したいところです。

 学校の勉強でも足し算引き算の基礎を学んだ先に、かけ算わり算があってどんどん複雑になっていきます。最初から難しい部分を教えたりはしません。

 それと同じ事です。

 足し算引き算を習って得意になった子供が、かけ算わり算について「そんな計算はありえない」と言えばどう思われるか……なのですが不思議と刀剣関係では、そんな人がいる。

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