三十一振目 樋のこと

 「樋」と書いて「ひ」と読みます。

 刀身の鎬地(刃と反対側の平たい場所)に溝のように掘られた部分の事です。これを入れる事で刀身重量が軽減され、一方で強度が上昇します。

 なぜ強度が上昇するのかといえばH鋼材と同様の原理。

 それは断面二次モーメントと部材重量の比率から説明でき、重量が少なくなるほどタワミにくく強度が上昇する……のですが、ここらはH鋼材が何故頑丈かをググって下さい。

 実際に樋の有無によって重量が一割ぐらいは違う感覚です。

 軽くなるという点で考えると、振る速度が速くなるわけですから戦いにおいても有利という事でしょうか。

 さて、そんな樋ですが……酷い説明では、「日本刀で刺した時に、そこから相手の血を抜くためにある」などとされてます。普通に考えて、どうでしょう。刺したら普通は肉が締まるので血は抜けないでしょう。釘なんぞ刺さった時は泣く思いで抜きましたから。

 樋はあくまでも重量軽減と強度上昇という事です。


 この彫りの形状、たとえば樋の始まりの位置、端が角か丸か、深いか浅いか等々で時代や国を判別する手立てとなります。その辺りを調べると、きっと楽しいでしょう。

 添樋と呼ばれる樋に並んだ細い線を見れば研ぎ減り状態も分かりますし、樋に注目すると色々と想像出来ます。たとえば、樋に触れながら指を走らせると意外に変化が激しい。深く掘られた場所もあれば、浅かったり……で、深い場所を確認してみると鍛え割れがあって。さては鍛え割れを消そうとして深めに掘ったな、などと想像するだに楽しいわけです。


 樋の難点は、樋鳴りが響く事。

 ヒュー、ヒー、ヒュオンッという感じで風斬り音が響きます。樋が有る場合の音を十とすれば、樋が無い場合の音は二か三ぐらいの感覚。

 音自体は左右に広がるため、振っている本人は案外気付かない。でも結構に大きな音が響きます。間違いなく言える事として、樋ありの刀は辻斬りには向かないという事でしょうか。


 この樋にはもう一つ役割があります。

 それは『偽装』です。

 順を追っていくと、まず樋には最初から掘られた場合と後から掘られた場合があります。そして、後からの場合は、善意と悪意があります。

 善意は使いやすいように軽くする場合。

 悪意は誤魔化しの場合。誤魔化すとしても、鍛え疵を消す為であれば日本刀の美観を良くするためのもので、悪意とまでは言い切れません。

 完全なる悪意である『偽装』は、時代や作者を誤魔化す為です。新刀期の特徴として鎬地が柾目になる点なのですが……ここに樋を掘ってしまえば柾目を消す事が出来てしまうわけですね。そうなると、新刀を古刀っぽく見せかけ誤魔化す事だって可能となるわけです。

 そうして古刀に化けた新刀が何本もあるとかないとか……。

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