恩師との再会

 PM3:50


 順風満帆とはいかなかった再中学デビュー初日をなんとか切り抜け、安堵に疲労を二乗したような顔で降りてきた放課後の昇降口。俺たちは本日の残りのミッションを達成させるべく、下駄箱から靴を取り出し履き替えていた。


「おい翔。なにスネてンだよ?」


「別に」


 昼休みを境に翔の態度が変わった。

 隣で教科書を見せてもらっているときも微妙に距離を取ろうとするし、目が合うと視線をそらし、声を掛けるとこの通りだし、これまでの行動を振り返ってみても機嫌を損ねた覚えがなく、そうこうしているうちに逆に苛立ちが募りはじめてきた。


 翔はそうした俺の思念を読み取ったのか、


「な、なに怒ってるの?」


「なんかオメーを見てるとなんかこう、イーッてなンだよな。オラ、もたもたしねーでチャッチャと履けよ靴!」


 翔が通学靴に履き替えるのを待ち、ふたり並んで昇降口の扉に手を掛ける。そこで、


「あの、えっと、翔子ちゃん!」


 聞き覚えのある声が後ろから聞こえたので振り返ってみると、玉響が人差し指をつつきながら、下駄箱の隅でこちらの様子を窺っているのが見えた。


「おう、久しぶりだな! 元気にしてたか?」


「え? ……うん、元気かな」


 普通に挨拶を交わしたつもりが翔に腕を引かれ「玉響にとって君は久しぶりじゃないの」と小声で耳打ちされる。俺は慌てて誤魔化すように、


「あーワリィ違うンだ、前のガッコでオメーにクリソツなヤツがいてよ、俺はてっきりソイツがここに現れたって勘違いしてつい」


「うーわ、わざとらし」


「ウルセー!」


 萌が俺たちのやり取りにクスリと笑い、


「あの、もしよかったら、私も一緒に、帰ってもいいかな?」


 流石にあの頃思い抱いていた感情は沸きはしないが、やはりこの学校で一番かわいいと思う。


「あー誘ってくれたとこワリんだが、今からちょっとヤボ用で行くとこあンだ。なあ翔」


「ふん、一人で行ってくれば」


「なッ、何とぼけたこと言ってンだ! いつまでもスネてねーで行くぞ! お、そーいうことだからまた今度な」


「そう……分かった、バイバイ」


 名残惜しそうに見つめてくる玉響を尻目に俺たちは昇降口を後にした。


 もう日は傾きかけているというのに当然ながら外は暑かった。しかし空は依然として青く、太陽は最後の力を振り絞るかのようにグランドを一層黄金色に染め上げている。


 俺たちは野球部や陸上部の、ある意味悲鳴に聞こえる掛け声を背に受けながら、日陰の少ない新校舎南棟沿いを歩いて裏に回った。そして、ブラスバンドの下手くそな管楽器の音が聞こえだす北棟に差し掛かった所で足を止め、


「翔、ひとつ確認しておきてンだが、俺たちに隠し事は一切なしだ。俺はお前でありお前は俺だ。違うか?」


 すると翔は思い出したかのように頬を膨らませ、恨めしげに俺を睨みながらブツブツとこう言ってきた。


「玉響が、君のこと好きなんだって」


「はあっ? ……話が見えねえ。いつだ、いつそうなった!?」


「昼休みの事件のとき。君に助けてもらってから玉響がおかしくなった。恋する乙女顔でそう言ってた。どうしてくれんのさ!」


 翔の苛立ちの原因が判明した。


「ちょっと待て、わざとじゃねえのはオメーも分かンだろーが、俺に怒るのは筋違いってモンじゃねえか」


「……まあ、そうだけど」


「チッ、しかしまぁそれはそれで不味いことになちまったな。アイツ、ユリ属性持ってたっけ? まさか俺が目覚めさせてしまったとか……」


 頭をかきむしって考えをまとめ、翔の肩を抱き、


「まぁ落ち着けって翔。そーゆうモンは一時的な気の迷いってやつで、男が男に惚れるってなアレと同じヨ。恋愛対象とはまるで意味が違う。だろ?」


「……そうだといいけど」


 翔を丸め込むことは簡単だが非常に面倒な事になった。本来存在しない相手に惚れるとか色々不味い事になる気がする。


 翔の肩に手を掛けたままふたたび歩きはじめる。


 ――はぁ、これも含めてドクに相談するか。


 思わぬ出来事に頭を悩ませながら北棟を過ぎると、北棟と山の間にひっそりと佇んでいる古き時代の学び舎が見えた。目的地であるドクのいる旧校舎にたどり着く。


 旧校舎は、昔ながらの木造づくりで、日本にも僅かしか存在しないという、非常に歴史的価値のある二階建ての校舎だ。とはいえ、薄気味悪く誰も寄り付かないという理由から、校長のご子息であらせるドクが、普段からこの場所を研究所として利用している。


 アールデコ調に彫刻された玄関をくぐり抜け、木棚に靴を入れ、素足のまま秋田杉の床板に触れてみる。古めいた木造独特の匂いが、遥か昔の時代へと俺をいざなってくれる。


 目の前にある階段に足を伸ばし、意匠を凝らしたステンドグラスの踊り場に目を奪われながら二階へと上がった。そして左に曲がり、振動する窓ガラスの音を聞きながらふたつ目の教室を通り過ぎ、西側一番奥の教室前で足を止めた。


 古めかしい窓枠の向こうには、白衣を着た銀髪の背の高い男性が、こちらに気づくことなく黒板に向かい、難解な数式と格闘していた。翔が扉をそっと叩き、


「先生、僕だよ」


「どうぞ」


 彼が背を向けたまま翔に返事を返す。


 過去にきて最大級の緊張に全身を襲われる。俺は先に入るよう促してきた翔の配慮を断り、先に行けと顎でしゃくり返した。翔の後に続いて入ると、足場を探すのが困難なほどに積み上げられた機材や大掛かりな装置と、何度も書き直された幾何学的な図形と凡人には到底理解できない数式が書かれた黒板が目に飛び込んできた。


 答えを求めるのに目途が立ったのか、彼は黒板を鳴らしてチョークを置き、手を払いながらこちらを振り返る。


「おっと、今日は友達と一緒かい?」


 未来でも過去でも彼と会うのは久しぶりのことだった。


 ドクはくせのある髪をかきながら、機材だらけの道を難なく進み俺の前で立ち止まる。そして白い粉にまみれた手をいったん白衣の裏で拭き取り、その手を差しのべながらこう言った。


「初めまして鳥野です。ん? 失礼だけど君、どこかでお会いしたことがあったかな?」


 学者の直感だろうか。俺は差し出された手を握らず彼をじっと見つめる。


 若かりし頃の鳥野流二とりのりゅうじ。俺の唯一の希望が目の前にいる。 


「ああ、そうだ。それも一度や二度じゃねえ、俺たちゃこれまで幾度となく会ってきた」


 その言葉にドクは一瞬だけ戸惑いの色を目に浮かべるが、


「フム、実に興味深い回答だ。それについて理論を聞かせてくれるかい?」


 言ったあとで一瞬くじけそうになるが、拳を握りしめることでそれを振り払う。


「ああ、よく聞いてくれ……」


 腹をきめ、後に続く言葉を口にした。


「俺は、未来から来た……翔だ」

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