わたくしの助けなんて、必要ありませんわね

「右翼側これ以上持ちません! 撤退命令を!」

「ここを放棄してどこに逃げようというんだ!?」

「無理だ! 数が多すぎる!」

「救護班を回してくれ!」

「応援は……応援はまだなのか!?」


 軍属魔導士の部隊は迎撃の陣形をとるが、早くも一角を崩されて瓦解寸前だ。異形種が防御の薄い右翼側に戦力を集中しつつある。


 足下を埋め尽くす異形種の波は、今にも堤防から漏れ溢れ出そうとしていた。

 この数が相手だ。迷っている時間は無い。


「リリィはローザのカバーを。俺は虚蝕で敵陣を切り崩す」


 防衛陣地を飛び越えて敵陣のど真ん中に着地すると同時に、俺は限り無き灰色の魔法系統アンリミテツド――虚蝕ヘカトンケイルの構築に入る。


 防衛陣地の魔導士たちから「誰だ」「何だ」「死にたいのか」と声が上がるが、お構いなしだ。一呼吸遅れてローザとリリィが着地を決める。


 すぐさまローザが俺の右手にそっと手を重ねた。


「待ってカイ。その魔法を使うとマジックロッドが駄目になっちゃうんでしょ? それはあたしがもらうって決めてるんだから……」


 悠長なことを言っている場合ではないのだが、ローザは不敵な笑みを浮かべて笑う。


「だから……ここは任せてちょうだい」


 金色の瞳を燃やし、ローザは声を上げた。

 それは……キーンと耳をつんざくような高周波だ。


 黒髪を振り乱して少女が天を指さすと、虚空に黒い魔法力の槍――あのワーカーアントの巣で見た魔槍が数百と展開された。


 ローザは人成らざる声で叫び続ける。マジックロッドも使わず魔法力を直接攻撃手段に変換する。その声は異形種の巣の中心核に眠る、得体の知れない胎児めいた化け物の断末魔とも似ていた。


 空を魔槍が埋め尽くす。まるで天に黒い蓋でもしたような、おびただしい数だ。


 さながらオーケストラを統べる指揮者のように、ローザが腕を振り下ろすと、同時に魔槍が落ちた。右翼の防衛陣地に殺到していた、マンティス型とスカラベ型の大群に漆黒の槍が降り注ぐ。


 スカラベ型が防御魔法を張った。並の魔導士では突破もできない強固な防御を、ローザの放った魔槍は易々と貫く。


 瞬殺――


 敵の大群が目の前で消し飛んで、右翼側で苦戦を強いられていた魔導士たちから声が上がった。


「なんだ今のは!?」

「いや、なんだっていい! 助かったぞ!」

「陣形を再編成する。負傷者は後方へ!」

「援軍……なのか?」


 彼らに背中を向けたまま、ローザは同じ攻撃を繰り返した。


「ふふふ……あははは! 死ね……死ね死ね死ね死ねッ! みんなあたしが殺してやるんだからあああああ!」


 ローザが声を上げるたび、迫る異形種の群がことごとく魔槍によって貫かれ、消えていく。


 俺もリリィもそれをただ、見守っていた。余計な手出しをすれば、ローザの放つ魔法の攻撃範囲内に入ってしまいかねない。


「あれ? カイもリリィもどうしたの? 早く攻撃しないと二人が倒す分まで、あたしが片付けちゃうわよ?」


 嬉々として戦うローザの顔に不安を覚えた。リリィがローザに訊く。


「そ、そろそろ魔法力の方が尽きてしまうんじゃなくて?」


 ローザは首を小さく傾げてから、うんうんと二回頷いた。


「そうね。ちょっと足りなくなってきたわ」


 そう呟くと、ローザは単身異形種の群に突っ込んでいった。


「おい待てローザ! いくらなんでも無謀すぎる!」


 彼女に輝盾と鉄壁を掛けて援護したのだが、ローザはソルジャーアントの攻撃を全て予期したような身のこなしで避けると、相手の額に手を伸ばして触れる。


「こんな連中がパンケーキよりも美味しそうに見えるなんて、変な気分ね」


 ローザの触れた手がソルジャーアントの魔法力波長と同調し光る。俺がアストレアにしてもらった慈愛に溢れたそれとは違う。見る間にソルジャーアントの肉体は内側に向けてへこんでいった。深海の底に鎮められ圧壊するように。その体躯が半分ほどになったところで、ソルジャーアントは消滅した。


 ソルジャーアントから、ローザは魔法力を絞り尽くしたのだ。黒の第六階層――吸魔など比較にならない。魔法力を吸い上げる死の手がソルジャーアントを次々と捕食していった。


「足りないわ。こんなんじゃ全然足りないじゃない!」


 手当たり次第にローザはソルジャーアントを食らっていく。彼女の危険性を認識したのか、すべての異形種たちの注意がローザに向けられた。


 包囲されたローザの退路を作ろうと、俺はリリィに指示する。


「リリィは俺に加速を!」


「はいですわ!」


 すぐさまリリィの加速が加わり、高速試作型ロッドとの連携で瞬時に魔法公式が構築された。


「穿て雷帝!」


 ローザが得意とする第七界層の雷撃魔法だ。槍術式ではないが、ジグザグに雷撃を走らせて敵の包囲を分断する。


 リリィが叫んだ。


「戻っていらしてローザ!」


 だが、その声はローザに届かなかった。金色の瞳が揺らめき、ローザは高周波のような魔法を“詠唱”する。


 そうだ。あれは詠唱だ。マジックロッドの代わりに声で魔法公式を組み立てる……古代の魔法形態だ。


 莫大な情報量を処理するため、ローザの叫びは高速言語を成す。


 それがあの甲高い声の正体だ。


 俺の放った雷帝など意に介さず、ローザは新たな魔法を試し始めた。


 彼女を中心に足下に魔法陣が展開し、水の波紋のように荒野に広がっていった。


 その範囲内にいた全ての異形種がピタリと動きを止める。


 荒野がしんと静まり返る。まるで時が止まったかのように。


 直後――


 マンティス型の一体が、突然、ソルジャーアント型の首を刈り取った。そのマンティス型めがけて、別のソルジャーアント型か群がり、押し倒しては蹂躙する。


 リリィの口から言葉が漏れた。


「同士討ち……ですの?」


 殺し合う異形種たちのただ中を、ローザはゆったりと散歩でもするような足取りで進んでは、時折戦う相手のいない個体に触れてそれを吸収した。


 ローザが笑う。


「あははは! アオイが言ってた異形種の魔法力化って、本当にすごい技術ね。こんなことが出来ちゃうんだもの」


 誰もがその異様な光景に攻撃の手を止める。


 異形種の半数が同士討ちによって数を減らすと、その中の数匹がローザの前に並んだ。マンティス型もスカラベ型も、女王を迎えるように跪く。


「ようやく誰が一番かわかったみたいね……けど、あんたたちの忠誠なんていらないわ」


 居並ぶ異形種をローザは魔槍で穿ち、その手で吸収し、殺し続ける。


 異形種たちは抵抗もせず、ローザにその身を捧げた。


 防衛任務にあたった前線にいる魔導士の誰かの呟きが響く。



「あれは人の姿をした化け物だ……」



 反論できる人間はいない。俺でさえも、あまりの凄惨さに背筋が震える。


「これではわたくしの助けなんて、必要ありませんわね」


 リリィは悔しそうな顔で、涙をこぼした。


              ※   ※   ※


 ほどなくして、学園の教士たちによる白黒魔導士の混成部隊が援軍に到着した。


 その筆頭は……アオイだ。真っ先に逃げたものと思っていたが、バスティアンに名誉挽回のチャンスとでも言われたのかもしれない。


 混成部隊にはバスティアンの姿もあった。約束通り、避難誘導を終えて援軍として駆けつけてくれたのか。


 部隊の戦闘でアオイが声を上げる。


「ぼ、ボクが来たからには一安心だよ! 負傷者の治療は任せてよね。なにせボクは魔法医の名門サリバン家の人間だから!」


 そう言うとアオイは戦場の手前で救護班に合流した。

 立ち尽くす俺とリリィの元へはバスティアンがやってくる。


「良かった……間に合いましたね。ところで……あの……あれはいったいなんですか?」


 彼が示す先ではローザが単独で万を超える異形種の軍勢の半数を倒し、残りを駆逐している。俺はバスティアンにどう説明していいのか、言葉に詰まった。


 が、状況からバスティアンは理解したらしい。


「ローザさんが使っているのは……まるで異形種の魔法力ですね。しかも個体から直接吸収まで……なんて……美しい」


 うっとりと見とれるような口振りで、バスティアンはますます目を細める。


 あれを美しいだと? 野生の獣が暴れ回るかのごとく、その強さは人間のそれを凌駕している。だが、とても魔導士の戦いとは言えなかった。


「バスティアン。今のローザをそんな風にいは言わないでくれ。あいつは俺の教え子で……黒魔導士なんだ」


「元王立研の主任研究員らしからぬ言葉ですねカイさん。人が異形種を乗り越えた姿じゃありませんか。魔導士の枠に捕らわれてしまうなんて、もったいない」


 遅れてアオイがバスティアンを追ってきた。どうやら救護班からつまはじきにあったらしい。


 ローザの戦う姿にアオイも目を丸くする。


「え……ええ!? なんであのぺったんこが、勇者アストレアばりに単身無双してるわけ?」


 遠方で戦うローザがこちらを向いた。


「聞こえてるわよ……あとで覚えてなさい」


 アオイはビクンと身体を引きつらせた。ローザが纏う異形の威圧感にあてられたようだ。


 覚えていろとは、今のお前が言うとシャレにならないぞローザ。


 戦闘は続いている。が、躍動する影は一つだけ。戦場はローザの独壇場だ。

 下手に手出しをすれば敵の意識がローザから分散してしまう。また、ローザの降らす魔槍の雨に巻き込まれかねない。


 だからこそ、誰もが固唾を呑んで見守るしかない状況で、フッ……と、ローザは足を止めた。


「へー。あんたがアタリね」


 他の個体よりも一回り大柄なスカラベ型と対峙すると、ローザは無造作にその腹めがけて抜き手を放った。魔法防御と装甲に阻まれるはずが、まるでゼリーにでも埋没させるように、ズブリとローザの腕が異形種の腹に突き刺さった。彼女は腕をまさぐるようにすると、なにかを掴んでゆっくりと腕を引き抜く。


 その手には――魔晶石が握られていた。成長すれば結晶核となる魔法力の塊だ。


「ふふふ……あははは! これを食べればしばらく魔法は使い放題ね」


 ローザの手のひらに魔晶石は埋まるように溶け込んでいった。アオイが「魔晶石を……取り込んだだって!?」と、声を上げる。己の研究を目の前で現実の物にされて、その場にへなへなとへたり込む。


「ふあああ……ちょっと食べ過ぎたかも」


 そう言うとローザはそのままバタリと倒れ込んだ。彼女の支配が解けたのか、異形

種の群が一斉にこちらに向く。その数およそ三千あまり。


「ローザを守るぞリリィ!」


「は、はいですわ!」


 俺とリリィは即座にローザの元へと向かった。俺が彼女を抱きかかえ、リリィが異形種の群を牽制して退路を確保する。ローザは俺の腕の中で安らかな寝息を立てていた。


 ほどなくして前線基地から魔導士と戦士の混成部隊も援軍として到着し、魔晶石を失った上に劣勢も悟ったのか、異形種の群は引き潮のように東へと退去していった。


 すべての危機は去ったのだが、学園都市に戻った俺たちに……とりわけ意識を失い倒れたローザへと注がれる視線は、どれもが恐怖に怯えているようだった。

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