第50話 東ローマ帝国の歴史レビュー
先日東ローマ帝国の皇帝評価記事をあげましたが、東ローマ帝国の歴史について簡単にかいたレビュー記事を発見しましたので、記載します。
人類史上ビザンツ(東ローマ)帝国ほど、長く存続した国家(文明)は存在しません。
この「ながきにわたった」ということを見るのなら、ビザンツはまさに奇跡的な文明であったといえます。
この長いビザンツの歴史を細かく語ると巨大なサイトが一つできてしまうほどになりますので、歴史雑学では大雑把に語りたいと思います。
まずは、ビザンツ帝国を4つの時代にわけてみます。
●東ローマ帝国としての栄光の時代(395年-595年)
395年にローマ帝国は東西に分裂する。西ローマはゲルマン民族の大移動の混乱期に滅亡する(476年)が、東ローマ帝国は以後千年に渡って長い歴史を刻んでいくことになる。
■皇帝は?
初代テオドシウス王朝のアルカディウスから、レオ王朝を経て、ユスティニアヌス王朝のユスティニアヌス一世がなくなるまで。
■どんな時代?
ローマ帝国の後継国家として、全ヨーロッパの文化的宗主国として繁栄を誇る。また、東ローマが示す名前のとおり、ローマ文化の継承国であった。
政治内容も前ローマ時代を色濃く残し、ユスティニアヌス帝の時代には、地中海沿岸地域を支配する広大な帝国となる。
●暗黒時代(596年-867)
ユスティニアヌス帝が亡くなると、彼の膨大な軍事出費と無理な領土拡大が響き、帝国国内は滅亡寸前にまで追い込まれる暗黒時代に突入する。
■皇帝は?
ユスティニアヌス朝のユスティニアヌス二世から、ヘラクレイオス朝、イサウニア朝、アモリア朝のミカエル三世が廃位されるまで。
■どんな時代?
ユスティニアヌス死後の混乱をヘラクレイオス(610-641)がおさめるが、今度は、ササン朝の攻撃で滅亡寸前まで追い込まれ、ササン朝を追い返すと、次はムハンマドのイスラム勢力に圧迫されるといった苦難の時代であった。
この時期に、公用語がラテン語からギリシア語に変更されるなど、ローマ帝国ではなく独自の文明をもった、ビザンツ帝国へと変貌を遂げる。
●ビザンツ帝国の黄金時代(867-1025)
東西貿易と小農民の発達によって、経済が安定してくると、軍事力も安定し、国庫にはうなるほどの財がたくわえられる。その経済力を背景に帝国は黄金時代を迎える。
■どんな皇帝?
マケドニア朝のバシレイオス一世からバシレイオス二世が亡くなるまで。
■どんな時代?
北方からスラブ民族の侵入が相次ぐが、軍事力を背景に撃退する。アッバーズ朝やフランク王国が衰退していくのを尻目に、ビザンツは再び地中海の強国としての地位を取り戻す。
●ビザンツ帝国の終焉(1026-1453)
後継者問題から端を発し、皇帝がめまぐるしく交代し、国内は大混乱に陥る。そうしている間にも、貴族の大土地所有がすすみ、中央集権力も失う。こうして帝国は衰退し、滅亡へとむかう。
■どんな皇帝?
コンスタンティノス8世からドゥーカス朝・コムネノス朝・アンゲロス朝
で一旦ラテン帝国に支配を譲る。
その後、パライオロゴス朝コンスタンティノス11世が戦死するまで。
■どんな時代?
バシレイオス二世死後、後を継いだコンスタンティノス8世の無軌道ぶりから帝国は大混乱に陥るが、アレクシオス帝が立て直す。
そこまではよかったのだが、マヌエル1世のおかげで全てが台無しになり、西欧にも敵感情を持たれ、東はオスマン・西はイタリア諸都市・神聖ローマにはさまれ、帝国は滅亡へと歩を進める。
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