第17話 張られた網

「恭護先輩って、結構泣き虫なんですね」

「勘弁してくれ……」

 少しからかうような口調の睦月に慰められながら、彼女の数歩後ろを着いて行く。

 非常にばつが悪い。穴があったら入りたい気分だ。

「今日はもう帰って休みましょう。これからの事は明日、一緒に考えましょう」

 とても嬉しい言葉だった。特にの一言が胸に響く。

 キメラ怪人の事は、ずっと一人で抱え込んでいかなければならないと思っていた。

 だがもう違う。俺の葛藤や苦悩といったものを理解してくれる人がいる。

「少し考えている事もあるんです。恭護先輩がよろしければこの事を」

「待て、睦月」

 話の途中で彼女の手首を掴む。

 ……この、感覚は……!

 うなじを押さえる。ちりちりと弱い電流が流れて痺れるようなこの感覚。

 この数日間、何度か感じたこれは……!



 視界の隅、芝生の上にが立っている事に初めて気付く。



 地面を蹴る音も無く、比喩でもなく文字通り滑るように、それは白い軌跡を残しながら滑るように襲い掛かってきた。

 今はただの人間でしかない俺に出来たのは睦月を腕の中に引き入れて庇う事だけだ。

「……!?」

 間近に迫られてようやくその全身が判明する。

 それは気配を感じた時に思った通りのキメラ怪人、一言で表すなら【猫キメラ】だった。

 頭部が猫、あるいは猫科の肉食獣のキメラ怪人で背丈はグリフィンより少し低く、体は細くしなやかだ。

 架空の魔物にワータイガー、ワーキャットと呼ばれるものがいるが、シルエットはそれに近い。

 全身を包む毛皮は微かな明かりを受けて白く輝いている。相手がキメラ怪人でなければ、その幻想的な美しさに素直に見惚れていただろう。

 よく見ると、各部位を鱗状の板で保護している。色は毛皮に比べるとややくすんだ白、まるでプロテクターのようだ。

 そんな猫キメラが今、俺の首を掴んでいる。爪が軽く食い込んでいた。

 感触から、どうやら肉球もあるらしい、など場違いな事を考えてしまう。

 睦月を庇う為に構えた左腕は猫キメラの口にがっぷりと咥え込まれている。牙が当たるが痛みはない。甘噛みというやつだろう。

 抱き締めた睦月の体が小さく震えている。

「まだ、いるのか」

 辛うじてその一言を絞り出した。

 まだキメラ怪人はいるのか。どれだけのキメラ怪人がいるのだ?

 まだ……まだ、戦いは終わらないのか!?

 ジャージの胸元が熱い。抱き締めた睦月の吐息のせいだ。

 ……今は、この状況を打開する方法を考えよう。

 見た限り、猫キメラの武器は牙と爪だ。牙は俺の腕を、左手は俺の咽喉に掛かっている。

 右手は何処だ?

 疑問に答えるように、猫キメラの右手が軽く俺の左肩を掴んだ。

 奴が少し力を加えれば、俺の左腕は噛み砕かれ、左肩は握り潰され、咽喉笛は引き裂かれるだろう。

 痛いのも苦しいのもそれこそ死ぬほど嫌だが、この状況においては俺が全ての攻撃を受け止めるのが正解の筈だ。

 シザーアングと初めて戦った時の経験から分かる。キメラ怪人の力を手に入れた俺の肉体は普通の人間に比べるとずっと

 咽喉を裂かれても即死はしないかもしれない。

 猫キメラの攻撃を受けると同時に睦月だけでも何とか逃がして、グリフィンに変身さえすれば。

 ──変身、出来るのか?

 こうしている今も、後遺症と思しき頭痛と吐気は続いている。

 消耗し、疲弊している証だ。

 こんな状態でグリフィンへ変身出来るのだろうか。

 そしてグリフィンに変身する糧となる金属は辺りを照らす外灯の支柱くらいしかなく、それが遠い。

 距離にして二十メートルほどだ。辿り着けるだろうか。

 いや……辿り着かなければならない。

 そしてやらなければならないんだ。

 俺が生き延びる為に。

 そして、腕の中で震えている彼女を守る為に。

「睦月、すまん」

「……え?」

 自由に動く右手で抱き締めた彼女を引き剥がすようにしながら右側に放る。

 悲鳴と共に地面へ倒れた睦月を、猫キメラが目で追った。

「お前の相手は俺だぞ!」

 咥えられた左腕を押し込む。反射的に猫キメラが仰け反った。

 相手の姿勢が崩れた。自由になった右手を猫キメラの胸に当て、全身で押し込む。

 首に鋭い痛みが走る。爪が皮膚を裂いたのだろう。

 このまま、一気に外灯の支柱に叩き付けてやる!

「えっ?」

 足が宙を掻き、視界がぐるりと回ったかと思うと背中に衝撃。

 咳込みながら体を起こすと、目の前に猫キメラはいない。

 辺りを見回し最後に頭上を見上げると、猫キメラは外灯の上に立っていた。

 仕掛けて来る気配は感じない。

 視線を外さずにゆっくりと立ち上がる。ふらつく背中を駆けよって来た睦月に支えられた。

 身を寄せ合う俺たちを猫キメラは長い尾をたゆたわせながら見ている。

 そして──音も無く、何処かで跳び去った。

 戻って来るかもしれない。俺たちはそのまま身動ぎせずに様子を窺う。

 何事もなく数分が経過した頃、睦月が俺の顔を見上げた。

「もしかして、本当に帰ったのではないでしょうか」

「そう、みたいだな……」

 若干の名残惜しさを覚えながら彼女から体を離す。

「……行くか」

「そう、ですね」

 肉体的、精神的に疲弊しきった俺たちはそれきり、無言で帰路についた。

 何とか切り抜けた。

 俺たちは単純にそう考えていた。

 猫キメラとの初遭遇にあたるこの一件について、もう少し考えるべきだった。

 そうすれば、この後に起こる出来事を未然に防げたかもしれない。

 後日、取り返しのつかない事になってから、俺たちはそれを悔やむ事になる。



     △▼△▼△▼△▼△▼



 体力が底をついた状態で何とか帰宅した俺が真っ先にした事は、部屋に置きっ放しにしていた携帯を確認する事だ。

 別れ際に睦月に言われた事でもある。誠司の事だから睦月だけではなく俺にも連絡をしている筈だから目を通しておくように、と。

 果たして彼女の言う通りに連絡は入っていた。キメラ怪人に襲われたが何とか倒した事、その際に怪我をしたが大した事は無いという事。

 眠気で視界がぼやける中、それだけ確認した俺は今度こそ力尽き、文字通り倒れ込むように眠りに就いた。

 ──というのも束の間。

 まだ朝日が昇り切らない頃に唐突に鳴り響くメール着信音に無理矢理意識を引き起こされる。

 尋常ではない吸着力を発揮する上下の瞼を渾身の力で開いて確認した携帯の液晶には【辻崎誠司】の文字。

 誠司からのメールなら後回しでいいか。そう思い携帯を床に転すと枕に顔を埋めて目を閉じる。

 睡魔という切り立った断崖から投身するかの如き勢いで意識が暗転していく。

 ──というのも再び束の間。

 今度はほんの数分後、しかも通話の着信音が鳴り響く。

 何なんだ、せめてもう少し間を空けてくれないものだろうか。

 という声に出さない悪態は、液晶に映る【八幡睦月】の名を見て全て消え去った。

「もしもし!」

 少し意気込み過ぎた。受話口の向こうで驚きの息遣い。

「すまん」

『いえ、元気そうで安心しました』

 お世辞にも万全な体調とは言えないが、彼女の声が耳をくすぐるたびに目が冴えてくる。

 我ながらいっそ清々しいほどの現金さだ。

『今、辻崎先輩からメールが来たと思うんですけど』

 まだ内容を確認していない。

 その事を告げると、同じメールを受け取っていた彼女は内容をかいつまんで説明してくれた。

 要するに見舞いに来るように、といった内容だ。

「メールするの早過ぎだろ……」

『それでお見舞いの事なんですけど』

 グリフィンの俺は状況を把握している。

 誠司は確かに怪我をしたが大した事の無い軽傷だった筈だ。わざわざ見舞いに行く必要もないほどの。

 その事を話すと睦月は『それは違います』とまず俺の意見を否定した。

『突然、辻崎先輩から連絡が来て、怪我をしたが大した事無いから気にするな。見舞いには来て欲しいとだけ言われたらどうしますか』

「……あいつの事だから大怪我でも大した事無いと言いそうだから、すぐに見まいに行く」

『本当に怪我か軽いかどうか、現場にいなかった恭護先輩には分かりませんよね』

 確かにその通りだ。

 そして見舞いにはすぐに行くべきだが、現在の時間帯と俺の体調を考慮し、仮眠をとる事を勧められた。

 眠っていてメール気付かなかった事にし、起床してから急いで駆け付けた体を取れば数時間は休養が取れる。

 メールには部室から荷物を取って来るように依頼も書かれていたが、これについては睦月が対応してくれると言うのだ。

『部室へ寄ってから迎えに行きますので、病院へは一緒に行きましょう』

 睦月の家から部室へ行き、俺のマンションに寄ってから病院へ行くと大幅な遠回りになってしまう。

 俺が部室へ寄った方が効率はいいのだが、彼女はそれを断固として固辞した。

『恭護先輩はわたしが伺うまで休んでいてください』

 要するに彼女は、俺が少しでもまとまった時間を休息に当てられるように配慮してくれているのだ。

 非常に申し訳ないが、体力が底をついている俺が動き回るのは得策ではないと睦月に説得されてしまう。

『それと、恭護先輩のお宅はキメラ怪人と戦った公園からそんなに離れていませんよね』

「ああ……流石に公園は見えないが、歩いて十分は掛からないくらいだ」

『それでは、くらいの認識を持っておいた方がいいと思います』

 確かに、帰ってくる途中で何人もの野次馬らしき人と警官たちとすれ違った。

 公園を覗いてはいないが、どうやら警察によって公園は包囲・封鎖されているらしい。

 これだけの騒ぎになっているのに全く知らぬ存ぜぬは不自然だというのはその通りだ。

「分かった、帰り道で現場の状況は何となく把握しているから大丈夫だと思う」

『恭護先輩は誤魔化すのが上手ではありませんから心配です』

 何だか、睦月が保護者みたいだな……。

 それから少しだけ話をして通話は終わった。

 彼女は大体四時間後くらいを目安に迎えに来てくれる。

 横になった俺は目を閉じ、一晩の間に起こった出来事を振り返った。

 キメラ怪人とまた戦った。

 誠司と共に戦い、何とか打ち破った。

 睦月に正体がばれた。ばれていた。

 そしてあの、猫キメラに遭遇した。

 猫キメラ──あいつは何者なのだろう。

 あの時に俺たちを殺さなかったという事は敵ではないのか?

 この考えは早計過ぎる。敵では無いかもしれない、という期待ですら今は持つべきではないだろう。

 ──?

 ふと、何かが引っ掛かった。

 何かとても単純な事、そしてとても大事な事を見落としている。

 それは……。


 疲れ切った俺の頭は長時間の思考に耐え得る気力すら残っていない。

 まるで溶けいるように、俺はいつの間にか眠りに就いていた。



     △▼△▼△▼△▼△▼



 インターホンで目覚めた俺は機械越しに睦月への応対を済ませると、手早く準備を済ませて外に出た。

 エントランスで待っていた睦月に挨拶をすると、彼女はマンション前に停車しているタクシーを指差す。

 彼女は自宅を出て車通りが多い場所でタクシーを捕まえて部室まで行き、ここまで来たそうだ。

「体調は大丈夫ですか?」

 後部座席に乗り込むと続いて睦月が乗り込んで来る。

 腰を下ろした時の弾みで彼女の肩が俺の肩に軽くタックルをしてくる。

 子供のようだが、どんな形でも彼女と接触するのは嬉しい。

「出来ればもう少し眠りたいところだが、大分良くなった」

 ぶつかった腕の感触を思い出すように触れた場所を無意識に擦る。

 下から覗き込むような睦月の視線に鼓動を速めながら、俺は努めて冷静に答えた。

「顔色は少し良くなってるみたいですね」

 助手席を掴んで身を乗り出した彼女が運転手に話し掛け、タクシーはゆっくりと発進する。

 大きな通りに出るとすぐに、彼女は俺の膝の上に投げ出すように身を乗り出してきた。

 ほぼ密着に近い。あらぬ誤解を受けないように、俺は背もたれと一体化せんとばかりに体を力いっぱい押し付ける。

 それでも揺れに合わせて時折、彼女の体で最も柔らかいであろう部分が軽く触れるのを感じた。

 朝から嬉しいアクシデントが続いている。昨晩の奮闘のご褒美だろうか……?

 彼女は俺を挟んで反対側に置いてある紙袋を掴んで引き寄せると体を起こし、袋ごと俺に手渡す。

「これが辻崎先輩に頼まれていた物です」

 中にはノートPCが入っている。部室に置きっ放しにしている物だ。

 俺が回収してきた事にするのだから、俺が持っていた方がいいという事だ。

「これはいいとして……睦月、君は……」

 少し無防備が過ぎはしないだろうか。と、言い掛けて止めた。

 これを口にするという事は、逆に俺が意識し過ぎている事を明かしてしまうような気がしたからだ。



 病院に着くと受付で面会手続きを済ませ、俺たちは誠司の病室に向かう。

 ちなみにここまでのタクシーの料金は俺が支払った。

 睦月は大学からマンションまでの分でいいと言ったが、固辞した。

 実家住まいで小遣いを貰っているとはいえ、バイトをしていない睦月には必要以上の金銭的負担を背負わせたくない。

 俺も時折、短期のバイトをするくらいだが、仕送りがあるうえ普段からあまり金を使わない分、懐事情は意外と余裕がある。

 昨晩の着替えの代金も本当は支払いたかったが、これについては「大した金額じゃないので」と逆に固辞された。

 申し訳ないので、何か別の機会で返していきたいと思っている。

「あれ、辻崎先輩?」

 病室に行く途中にあるリフレッシュルームで誠司たちを見付けた。

 誠司と一緒に二ノ宮と相田もいる。

 俺たちに気付いた二ノ宮が勢いよく手を振った。

「相田はもう来ていたんだな」

「うん、連絡を見てびっくりしたよ。まさか本当にやるなんて思ってなかったから」

 相田は誠司からスピネカーマを誘き寄せる事について聞いていたらしい。

 キメラ怪人の恐ろしさを身を以って知っている相田は必死に止めたそうだが、結果は御覧の通りだ。

「二人とも調子はどうなんだ」

「俺は見ての通りだよ」

 誠司は全身に包帯やガーゼ、絆創膏が絡みついている。

 痛々しい姿だが傷そのものは非常に浅く、既に痛みも無いらしい。

 数日も経てば傷口も完全に塞がるくらいなのだが、大事を取って今日一日入院する事になっている。

「ちはやちゃんの怪我は?」

 対する二ノ宮は外見に目立った傷は無いものの、彼女はスピネカーマの毒にやられている筈だ。

 ある意味で誠司よりも危険だったのは彼女だろう。

「こいつ、病院に着いた頃にはもう元気になっててさ。帰ろうとするのを慌てて取り押さえられたんだ」

「病院でじっとなんてしてられないんだー」

「だろうな」

 スピネカーマの毒は決して弱くない筈だ。毒にやられたのは警官にもいたが、彼は卒倒したまま亡くなったという。

 普段の言動から生命力が有り余った子だとは思っていたが、本当にそうらしい。

「わたしは凄く心配したよ」

 固い声で相田が言った。視線は目の前のテーブルに落としたままだ。

 へらへら笑っていた誠司は彼女の強張った表情に気付き、態度を改める。

「ごめんな、相田ちゃん。だけど俺……知ってる奴が襲われるのを何としても止めたかったから」

「それで辻崎くんに何かあったらどうするの?」

「きっとグリフィンが来てくれるって、思ってたんだよなぁ」

「グリフィンだって本当に味方かどうかも分からないのに?」

「それについてはさ、色々と考えてみたんだ」

 誠司たちにとってグリフィンは恐ろしい力を秘めたキメラ怪人だ。

 多少のコミュニケーションは取ったものの、その本心を誠司たちは知らない。話した事が無い。

 だから誠司は考えたのだ。どうしてグリフィンが誠司たちを助けてくれるのかを。

「よく考えるとさ、グリフィンが助けてくれるのは俺たちだけ、なんだよな」

 誠司たちがキメラ怪人に襲われた時、グリフィンは何処からともなく現れる。

 そして誠司たちを守ってキメラ怪人と戦ってくれる。どうしてだろうか。

「今回、スピネカーマの犠牲になった人たちは昨晩の警官も含めると二十近くいるらしいんだけど、俺が狙われるまでグリフィンは現れなかった」

 グリフィンが誠司たちを守るのは、大切な人たちだからだ。

 そしてグリフィンが誠司たち以外を守らないのは、正直に言ってしまえば親しくもない人間がどうなろうと知った事ではないからだ。

 ……俺は知らない人の為に命を賭する事が出来るようなヒーローじゃないから。

「きっとグリフィンには俺たちを守る理由があるんだ。だから俺たちのピンチにはきっと来てくれると思ったんだ」

 いつになく神妙な面持ちで告げ、誠司は相田の手を握った。

 相田は俯いたまま暫く考え込むように黙っていたが、やがて小さく頷く。

「……そういえば、グリフィンは最初からわたしたちの事を守ろうと必死になってくれてたものね」

「そうなの? なんで?」

 二ノ宮が口を挟む。

 空気とか、流れといったものを全く理解していない二ノ宮の発言に虚を突かれた二人は、弛緩したように肩を落として苦笑する。

 少し不穏な空気になりかけていたが、どうやら収束したらしい。

「恭護先輩」

 睦月に背中を突かれた俺は慌てて紙袋を誠司に手渡す。

 誠司は嬉々として受け取り、中のノートPCを取り出して早速電源を入れた。

「今回のレポートを書こうと思ってさ」

「どうせ明日には退院なのに」

「昨晩の興奮が冷めないうちに書き上げたいんだ」

「おっ、それならあたしの事も書いて欲しいな!」

「当たり前だろ、俺と二ノ宮が二人で立ち向かって、最終的にはグリフィンと共闘だぞ」

 『あっ』と睦月が小声をあげる。

 誠司の隣で微笑んでいた相田が、普段の彼女からは想像出来ない威圧的な気配を発した。

 鈍いと言われている俺ですらはっきり分かるこの威圧感は一体……!

「そういえば、辻崎くんはどうしてちはやさんと一緒にいたの?」

「えっとね、あたしずっとせーじくんを見てたの」

「!?」

 驚愕の表情で振り返った誠司に、二ノ宮は「ねー」と同意を求める。

「ち、違う、俺は直前まで恭護の部屋にいたんだ!」

 相田が錆び付いた機械のようにギシギシと俺を見る。

 人の笑顔とは、こんなにも恐ろしいものだっただろうか。

「本当?」

「た、確かに誠司は俺の部屋にいたけど」

「ちはやさんも一緒に?」

「い、いや……いなかった、が」

 笑顔を張り付かせたままの相田が再び二ノ宮を見る。

「だってせーじくん、キメラに狙われてるって言うから、ずっと一緒にいればキメラ見れるかなー、って」

「そう、それでずっと一緒に……」

 腕をつつかれたので睦月を見ると、彼女はアイコンタクトで離席を促してくる。

 そうだ、ここから逃げよう。

 彼女の意見に賛成だ。

 逃げなければ、一刻も早く!

「わ、悪いな、俺たちはこれから大事な用事があるから」

「恭護、お前はこの間に続いて今回も俺を見捨てるつもりか!」

「人聞きの悪い事を言うな、俺が誠司を見捨てるわけないだろう」

「おお……恭護……持つべきものは幼馴染の親友よ……」

「最初から拾ったつもりもないのに捨てるもなにもないだろう」

「どうしてこういう時に限ってちょっと上手い事を言うんだお前は!」

 席を立った俺たちは威圧感漂う空気から逃れるようにその場を離れる。

 正直、引っ掛かるものはある。

 確かに誠司は嘘をついていない。

 だが、二ノ宮も嘘をついているようにも見えないのだ。

 どうして二ノ宮はあんな事を言ったのだろうか?

「あ、きょーごくん」

 二ノ宮に呼び止められて振り返る。

 彼女は片手を垂直に、顔の正面に立て、珍しく神妙な顔をしていた。

「なんか、ごめんね」

「ああ……まぁ、たまには誠司がやり込められる姿も見せて貰わないとな」

「あはは、そっか」



     △▼△▼△▼△▼△▼



「何度見ても大したもんだねぇ」

 PCで再生した動画を見終えた男は、顎髭を抜きながら満足そうに頷いた。

 どうやって撮影したのか、誠司がスピネカーマに襲われてからグリフィンが止めを刺すまでの録画映像だ。

 男にとってスピネカーマがグリフィンに倒される事は想定内だ。

 夜というアドバンテージがあったとしても、両者のキメラとしてのスペックには大きな差があるのだから。

「特にこのグリフィンの翼は凄いね。マッハ行くんじゃない?」

「病院でシザーアングが倒された時の目撃情報が本当なら、その可能性もあるでしょうね」

 机の前に立つアーティファクトが呆れた口調で答える。

 実際呆れていた、グリフィンというキメラのスペックに。

 警察の目を盗んでスピネカーマとの戦闘跡を調べた結果、足跡などからグリフィンの体重は一トン近い事が分かっている。

 それが凄まじいスピードで駆け、跳ぶのだ。

 彼女が知るキメラ怪人にそこまでの機動力を持つものはいない。今後も現れる気がしない。

「キメラにおいて速さは絶対の強さではないけれども、それでも非常に強力なのは確かね」

「元々スピネカーマはの役割だったから倒されるのはいいんだけど、せめてもう少し始末を進めて欲しかったなぁ」

 収穫はあった。

 驚いた事にただの人間の分際でキメラと真っ向から立ち向かおうとしている若者がいた。

 元々、ある疑いのある若者だった。

 一週間ほど経ってからアーティファクトに教えられたWebサイトを確認すると、スピネカーマとグリフィンの戦いに関する記事が追加されている。

 その記事には事が書かれている。

 予想通りだ。男は口端を吊り上げる。

「彼はグリフィンについて何か知ってるかな」

「どうするつもり?」

「あまり手荒な行動には出るなって言われてるし、少し考えてみるよ」

 笑顔で動画をリピート再生しながら、考える。

 どうにかしてもう一度、グリフィンを引き摺り出したい。

 その為に何が出来るか。

「……ああ、そういえば……スピネカーマの死体は」

「とっくに回収済みよ」

「ありゃ、残念」

「残念?」

「少しは情報を与えてあげないと、一方的になっちゃうじゃんか」

「一方的……ね」

 それ以上、アーティファクトは何も言わない。

 動画に没頭する男をあざける様に一息吐くと、挨拶もせずに山奥にある廃ビルを後にする。

 車に乗り、ゆっくりと峠道を走らせながら、先日【ケット・シー】によって判明したグリフィンの【キャリア】となった若者の顔を思い浮かべた。



「暫くは様子を見させて貰おうかしら……頑張って凌いで見せなさい」



 何故か不安と心配に彩らせた表情で、ひとりごちる。

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