第20話 宴に背をむけて

 船内の広間からは人々の笑い声が聞こえてくるが、それがひどく遠い世界のことのようにメリーナには思える。

「この船は、かつて海上の覇権をめぐってバリヤーンが隣国と戦ったとき、勝利をもたらした将軍が使ったものを改築したものだ。その将軍は君の祖父に当たる人だ。知っていると思うが」

 偉大な祖父のことは勿論知っているが、まさかこの船が祖父のものだったとは知らなかった。

「そのときの功労によって、君の家は当時の国王から外交や交易に関する多大な利権をあたえられた。むかしは戦った者がおおくを得るのが普通だったから」

 リオルネルはそこで唇を噛んだ。公正に、正しく話を伝えようと考えているようだ。

「それ以前からもサヌバ家は外交や交易にたずさわって利を得てきた。それは先祖代々の家業であり、相続財産のようなものだった。……だが、現代の国法ではちがってしまったんだ。十年以上まえから、交易権の利得は国、つまり国王が有することになったのだが、それを君の父上は納得されなかったらしい。というより、理解できなかったのだ」

 メリーナにはそういった権利の問題はよく理解できないが、つまり父は本来なら国が得るはずの利を、自分のものとしていたという。

「交易品、輸入品の量を自分の采配で変えたり、とどけるべき書類に虚偽を書いたり、税を高く見積もって得た分を自分のものとしたり」

 メリーナは頬が熱くなっていくのを感じた。 

 それでは本当に泥棒ではないか。父がそんな下品な真似をしていたのだろうか? あの父が。

(嘘よ……。そんなの……嘘)

 逃げるか、立ち向かうか。ここがメリーナの正念場だった。

 もしかしたら、両親を亡くしたときと同じほど苛酷な状況におちいっているのかもしれない。両親が亡くなったとき味わったのは灼熱の業火だったが、今メリーナをおそっているのは氷のつぶてだった。

「君のような若い娘に説明するのはむずかしいが……実を言うと、そういうことは商人でも政治家でも多少はやっているのが世間の常識なのだ。だが、限度があって、法の網目をぎりぎり抜けるところで皆おさえている。それを君の父上はうまくやれなかったのだ。おそらく君の父上にしてみれば、先祖伝来の特権や、父の労によって得た権利を行使しているだけで、悪い事をしているという自覚がなかったのだろう」

 潮風が、メリーナの涙に濡れた頬をなぶっていく。

「むしろ、悪いのは自分から従来の利権をうばおうとする国王や、法律を変えるよう進言したロルカ武相だということになる」

「その法は、ロルカ武相が作ったものなの? そ、そうなのね。お父様から利益をうばうために」

 メリーナは咳きこみながら言った。

 リオルネルはうなずいた。だが目線は手摺てすりのむこうの黒い海にむけたままだ。

「そうだ。だが、そうやってサヌバ太守からよこどりした利益を、武相は国庫に入れようとした。国を富まし、軍事力をたかめるためだ」

 逃げるか、立ち向かうか?

「ロルカ武相の狙いは……、交易で得た利益で国を強くすること。君の父上は……」

 ここでリオルネルは言葉を切った。

「君の父上は、風流や風物を愛する人だった。芸術や文化も愛し、楽しんだ。贅沢の好きな人だったのだ。遠目に見かけたり、噂に聞いただけだが、人好きのする人で、人を楽しませるもの好きで、配下の者や、異国の客人にもよく大盤振舞いしていた。気前が良すぎるところがあったのだ。悪く言うと金使いが荒い」

 メリーナはうつむいた。

 今の今まで気にとめたこともなかったが、絹の衣、宝石、毎月のごとく催された宴、その度に蕩尽した費用、芸術品や調度品にも両親そろって目がなく、室礼しつらいにも凝っていたし、出入りの商人からよく高価な物を買っていた。それらにはいったいどれぐらい金がかかっていたのだろうか。

「正直いうと、わたしが調べた結果では、太守家はかなりきびしい財政状態だったらしく、それをおぎなうために、君の父上は異国の外交官や商人と私的に会い、自分の一存で交易にかんする条件を決めてしまったらしい。すべて国王には無断で。これは、下手したら反逆罪になる。事実、反逆罪になってしまった」

「ああ……」

 メリーナは両手で顔をおおい、声をおさえてすすり泣いた。

「お父様は……無実では、なかったの?」

 父の無罪を信じていればこそ、それこそ命がけで敵ロルカ武相を恨み、その復仇のために〈聖断〉を受け、名誉をすててまで、生き永らえてきたというのに。

「無実、とはいかないが、それでも死刑になるほどの罪ではなかったと思う。もし、非をみとめて謝罪していれば、刑には服したかもしれないが、数年でゆるされたろう。だが、父上はあくまでも自分の無罪を主張したらしい。そして」

 リオルネルは一瞬、言葉をとめてから話をつづけた。

「これはロルカ武相の陰謀で、陛下は武相の言いなりになっていると御前で発言したようだ。そして陛下にむかって、先祖の神聖な権利を自分からうばったのだ、と。その言い分にも一理はあるかもしれない……。だからこそ、よけい大事になり、お気のみじかい陛下は我慢できなくなってしまったのだろな」

「ロルカ武相が正しいの? お父様がまちがっていたの?」

 身をしぼるような悲痛な声でメリーナはたずねた。

「完全な正義や悪というのはないのだと思う。特に政治の場では」

 リオルネルが夜空をながめながら、ひどく老成した人のように言葉をつむぐ。

「ジャスミンの方……私の母の話を知っているだろう? 母は王太子、つまり今の陛下を呪った魔女とされ後宮を追われた。後年、母は死の間際、私に告白したのだ。たしかに、心のどこかで正当な王子を嫉み、恨んでいた、と。ああいう状況で、まったく人を嫉むなという方がむりだと思うが。……母の心にもたしかに邪心はあった。それが凝りかたまって生霊となって、王太子に病という災いをもたらしたのかもしれない。か弱いひとりの女の身でさえ、そうなのだ」

 メリーナはしゃくりあげた。

「君の父上は基本的には善人だが、たしかに目先の見えないことをしてしまった。ロルカ武相は冷酷だが、目的は国家の繁栄だ。また、ややこしいことを言うようだが、最近、隣国ではあやしげな動きがあって、バリヤーンもそうそうのんびりしていられないのだ。たしかに軍備拡張も必要で、すこしでも国策にまわす金がいる」

「その、必要なお金を、父は盗んだのね。自分のために」

 いや、メリーナのためにでもある。太守家の財政がきびしい状況でも、父は嫁ぐメリーナのために最善の準備をしてやろうとしたのだ。半分は自分の見栄だが、たしかに愛もある。

 家族をこのうえなく愛してはくれていても、政治が見えない。根は善良で親切ではあっても、法や規律が理解できない。芸術文化に親しんではいても、国情国政にはうとかった。イレニアス=サヌバとはそういう人であった。長所もあったが短所もあった。そしてメリーナは、十五の娘としては仕方ないことだが、父の良い面しか見えなかった。見なかった。

 全身の力が脱けていく。

 だが、放心しても、ひとつの考えが胸の奥底から白いちいさな炎のように燃えあがり、メリーナに決心をさせた。


もはや、こうするしかない。

「メリーナ、何をする!」  

 

 背後で自分を呼ぶリオルネルをふりきって、メリーナは全力で船の欄干らんかんへと向かった。そして……海の神ラミダスに我が身を奉げようとした。

(これでいい……。まちがったことをしたとしても、お父様を愛しているわ。お父様と、お母様の所へ行こう。もう、わたしには生きている意味はないもの)

 ダルシス、セラミス、ダナ、イルマの顔がとじた瞼の裏に浮かんだ。黒い覆面のザザルも、おなじく素顔を一度も見せなかったリオルネルも。

 そして……一度だけ会って、はげしく憎んだあの冬の夜空色の目をした男の顔もおぼろげながら浮かんで、すぐ消えた。



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