第19話 真実

 男たちは甲板をならんで歩きながら軽口をたたいていた。どちらも程よく酔っているらしく、足がふらついている。

 ありがたいことに二人は角のところで足を止めたので、メリーナの姿は見えない。何か言っているようだ。どうにかして聞こえないものかと耳を澄ました。

 耳に集中にしていると、不思議なことにぼんやりとだが男の声が鼓膜にひびいてくる。

(大丈夫ですか? かなり酔っていらっしゃるが)

(なんの、これしき)

 メリーナは内心驚きながらも、目をつぶって、必死に耳にひびいてくる声を聞くことに集中した。

 そうすると、まるでメリーナの意志に反応するように、聴覚がとぎすまされたようで、声はよりはっきりと聞こえてきた。 

「どうでした、閣下? たまにはこういう所で遊ぶのもよろしいものでしょう?」

「うむ。悪くないな。あの女を後で室に招こう」

 やはりこの船はそういった目的のための場所で、女たちは全員娼婦らしい。金持ちの好事家こうずかたちが、二足ふたあしの人魚たちとひとときの夢を見るための場所なのだ。海上宮殿ではなく、海上娼館というところだろうか。こんなときだが、メリーナはそんなことを皮肉に思った。   

「そういえば、あのリオルネル=バドル殿下に似た男がいるのを遠目に見ましたが……。聞いておりますか、あの噂? サヌバ太守の娘はバドル殿下に買われたそうですよ」

 自分の名が出たことにメリーナは一瞬、怯えた。

「ふん。そうか?」

「女連れでしたが、まさか、その娘ということはないでしょうな」

「ふん、たとえそうでも、たかが小娘に何が出来る? バドル殿下なぞ、宮廷からは忘れられておるようなものだろう。……第一、サヌバの娘に恨まれるような筋合いは無い」

(恨まれる筋合いは無いですって。よくも、そんなことを……)

 メリーナの胸内で憎悪の炎が燃えた。柄を持つ手に力がこもる。

(お父様、お母様、今、おそばに参ります)

 たとえ、かなわぬまでも一矢むくいてやりたく、メリーナは覚悟を決めた。

 だが、飛びだそうとした足を、次に聞こえてきた言葉が止めた。

彼奴きゃつが陛下に背いたのは事実だからな」

「たしかに、あれはまずいですな、国王の許可をとらずに勝手に他国と海上権の問題を交渉したのは。しかも、それで利を得ていたのですから」

 今にも踏みだそうとしたメリーナの足がぐらついた。

「サヌバは悪い男ではなかったが、あまり自分を過信すぎると、思わぬところで穴を掘るものよな。陛下の裁可をあおがず、おのれの一存で交易をあやつろうとするとは。ばれないと思っていたのか」

「海の利権は旨味があり過ぎますからなぁ。サヌバ家は諸国との外交にたずさわってきたせいで、そこらへんを勘違いしてしまったのでしょうよ」

「ふん。時代は変わったというのに。今の新法のもと、いつまでもふるい慣例で外交や交易に手出しされてたまるか! ある意味、あの男は時代が、世間が見えなかったのだ。彼奴が長年、占有してきた利権は、きっちりと返してもらったからな。家屋敷、資財を没収しても割りが合わんぐらいだ。よもや太守家があれほど貧乏だとは思わなかった」

「所有の領地はほとんど人手にわたっていたようですな。若いころの放蕩がたたったんでしょうよ。そのくせ、けっこう派手好きでかなり財をばらまいていたというし。例の娘の結婚準備にもかなり金を使っていたようですよ」

「メグルク家と縁をむすべばまたいろいろ旨味もあったろうが、そうそう思うようにはいかんのが世の中というものよ。今ごろあの世で思い知ったろう。まったく……あれほど、何度も説得したというのに……」

「最近、ご気分がすぐれないのは、やはりその事が気になっておいでだったのですね」

「できれば穏便に済ませようとしたのだ。陛下にもみずから告白して陳謝するようにすすめた。だが、彼奴きゃつは聞く耳もたんのよ。先祖代々の権利を行使して何が悪い、と」 

 憎いはずの仇の男の声には、苦みがにじんでいた。

「それどころか、わしのことを新参者の成り上がり者が、と自分のことを棚にあげて毒づきおった。……彼奴きゃつにとっては家柄や血筋がすべてなのだろう。どれだけ親切で言ってやっても、わしの家柄が他の貴族ほど素性正しくないというだけで、人外の者でも見るような目で見てくる」

 男の声ににじむ苦みがさらに強くメリーナの耳にひびく。

「そういう点では本当に融通の利かぬ男でしたなぁ」

「惜しいが、仕方ない。今のバリヤーンには害になるだけだ」

 声が聞こえなくなると、メリーナはその場にしゃがみ込んでしまった。 

 

「メリーナ、ここにいたのか?」

 いつの間に来ていたのか、仮面の奥のリオルネルの黒い瞳はくもっていた。

 メリーナを案じてだろうか。そんなわけはないと思いつつも、リオルネルの憂い気な瞳に、メリーナはほんのすこし救われる気がした。

「わたし……わたし、少し変になってしまって」

 常人なら聞こえないものが聞こえたことよりも、会話の内容がメリーナの頭を混乱させた。

 いったい、どういうことなのだ。父が権利を濫用した?

「メリーナ、大丈夫か?」

 メリーナは差し出されたリオルネルの手にすがってしまった。

「わたし、両親の仇を取ろうとしたの。でも、武相たちの会話が聞こえてきて……それで」

「知ってしまったのか?」

 メリーナは息を飲んだ。

(じゃあ、あれは……ロルカ武相たちが言っていたことは真実なの? お父様はまちがったことを……悪いことをしていたの?)

「メリーナ、君は強いか? 弱いか?」

「え?」

 リオルネルの真摯な声がメリーナの胸を突く。そして〝君〟と呼ばれたのは初めてだ。

「いや、メリーナ、君は強い人間になるか? 弱い人間として生きるか?」

 意味はよく解らないが、その言葉はメリーナに、立ち向かうか? 逃げるか? と訊いているように思えた。メリーナは唇を噛んだ。

「強いわ。……いえ、今はまだ弱いかもしれないけれど、強くなるわ」

 だから、教えて欲しい。知っていることを、すべて教えて欲しい。それが真実なら知らなければならない。メリーナは懇願した。

 ふたりはならんで甲板の端にある木の長椅子に腰かけた。

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